なの魂

 夕暮れのデパートとは、こんなにも騒がしいものだったのだろうか。
 遠巻きに聞こえてくる悲鳴が、喧騒が、店内を明るく彩るBGMと入り混じり、不調和な騒音を奏でる。
 販売員すらいなくなった家電コーナーの一角では、それに負けじと雑多な喚き声が上がっていた。

「止まれェェェ! そこの四人組!」

「自分達が何やってるのかわかってんのか!?」

 商品棚や展示された電化製品を間を縫ってドタバタと忙しない足音が響き、男たちの叫びが店内に消える。
 彼らの必死な訴えに、しかし返ってきたのは無情なる炎。
 空気が爆ぜ、圧倒的な熱風が男たちに襲い掛かる。
 防刃・防弾・耐熱を兼ね備えた服を着込んでいても、さすがに丸出しの頭部は守りきれない。
 男たちは泡を食ったように、近くの商品の影へ身を隠す。
 しかし紅蓮と化した炎の槍は、彼らに安息の暇すら与えない。
 床を、冷蔵庫を、食洗機を焼き溶かし、蟻の巣を突付くように男たちを燻り出す。

「ね、ねぇ、シグナム……」

「なんだ!?」

 戸惑った様子のシャマルの言葉に、紅蓮を操る麗しき剣士は声を荒くして振り向いた。

「さ、さっきの人達、あんなに派手に吹き飛ばしてよかったの? あの物取りの仲間だって決まってたわけでもないのに……」

 散り散りになる男たちを眺め、眉根をひそめながらシャマルは問いかけた。
 考えてみれば、これだけ近代化された世界の、しかも公共の場。
 彼らが盗人だったとして、そのようなならず者がこんな場所で堂々と幅を利かせているとは考えにくい。
 今現在自分たちを追っている黒服の集団に限らず、最初にはやてに声をかけてきた二人組みについても、だ。
 ついでに言えば、先程シグナムが吹き飛ばした黒服たち。
 よくよく思い返してみれば、『逮捕』だのなんだのという言葉を発していたような……。

「武器だ!」

「え……?」

 そこまで思考を巡らせたところで、また一つ家電を融解させたシグナムが、レヴァンテインを鞘に収めながら答えた。
 いきなり武器がどうのと言われても、何がなんだかさっぱり分からず、シャマルはきょとんと小首を傾げる。

「今の男たち……揃いも揃って腰から剣を下げていた。それにあの統一された服装……統制の取れた動き……」

「アイツら、ただの盗人なんかじゃねぇ。組織だって訓練を受けた盗賊団だ!」

 そんな彼女には一瞥もくれず、はやてを抱えて疾走するザフィーラは難しそうに眉を潜め、
 彼のすぐ足元で大きな鉄槌を担いで併走するヴィータは、どこか立腹した様子で握る拳に力を込める。

「そのような連中が、たかが日用品目当てにこのような規模で行動を起こすとは思えん。
 連中の狙い……おそらく、闇の書だ!」

 ぐわっと大袈裟に腕を振り、シグナムはザフィーラの腕の中で横たわるはやてを指し示す。
 盾の守護獣に抱えられた彼女は、何故かくるくると目を回してきゅぅ、と可愛らしい声を上げていた。
 無理もない。自分達という浮世離れした存在に出会い、戸惑っていたところにこの騒動だ。
 きっと精神的に参ってしまったのだろう。

「止まれェェェ! っていうか止まってェェェ!」

「ホントもうお願いします勘弁してください!」

 再び背後から響いてくる喧騒。
 忙しない足音と共に聞こえてきた男たちの叫びは、どこか泣き出しそうな悲壮なものであった。
 振り返って見てみれば、もはやヘトヘトになった黒服の集団が、それでもなお懸命に自分たちを追いかける姿が。

「耳を貸すな! 不用意に気を逸らせば命取りになるぞ!」

「ぜ、絶対になにか違うぅ〜!!」

 死に物狂いな男たちの姿に、居た堪れないものを感じたのだろう。
 叱咤するシグナムの言葉になど耳を貸さず、シャマルはただただ叫ぶ。
 なんだこの胸に募る罪悪感は。
 ひょっとしなくても自分たちは、何か大きな間違いを犯しているんじゃないか。
 今すぐにでも頭を抱えてうずくまりたい衝動に駆られながら、しかしシャマルはひたすら走る。
 そして一際大きな商品棚を横切ろうとしたまさにその時。
 キィ―…ンと、まるで耳鳴りのような音が聞こえた。
 考え事で俯けていた顔を上げると同時、隣を駆けていたシグナムが面食らった様子でレヴァンテインを鞘から抜く。
 ――瞬間。
 轟、と凄まじい音を巻き上げながら商品棚が真っ二つに割れた。

「……借りは返すぜェ、牛女」

 棚が埃を巻き上げながら倒れ、展示に使われていたガラス板が砕け、陳列されていた商品の内部部品が床の上で跳ね回る。
 パキリ、とガラスの破片が踏み砕かれる。
 それと同時に、咄嗟に盾代わりにしたレヴァンテインを伝わり、シグナムの腕に痺れるような衝撃が走った。
 ギリギリと音を立てて炎の魔剣と打ち合うのは、僅かに湾曲した片刃の剣。
 冷徹にして無慈悲な刃。その刀身に浮かんだ蒼い波紋が電灯の光を反射させ、底冷えするような輝きを奏でる。
 しかしどういうわけかレヴァンテインとぶつかり合うのは、危うくも美しい刃ではなく、漆黒に輝くその峰であった。

「加減をしているつもりか、貴様……!」

 全身夜のような漆黒に染め上げられ、所々に月明かりの如き金の刺繍が施された服。
 真白い布に全貌を隠した長物を背負い、その男は笑っていた。
 まるで彼が手にした凶刃のように、ギラギラとした危険な笑みだった。

「殺すなって言われてるんでね。だが痛い目には会ってもらうぜィ」

 獰猛に、狡猾に。焔のように燃える蘇芳の瞳を細め、剣を握るその拳に力を込め……。
 その男は跳び退った。
 まるで深淵の森に巣食う山猫のような俊敏さだった。
 刹那、彼の足元の床が、まるで隕石の直撃でも食らったかのように吹き飛ぶ。
 パラパラと破片が降り注ぎ、粉塵舞い上がるクレーターの中心には、大型ハンマーを振り下ろした少女の姿。

「沖田隊長! ご無事で!?」

 肩に乗った塵を払い、手にした得物の刃先に指を滑らせる男――沖田の傍に黒服の男が一人駆け寄る。
 振り向き、その声に応えようとすると同時に、肉を打つ様な鈍い音。
 沖田の瞳に映ったのは、頬に小さな鉄球をめり込ませ、まるでギャグ漫画のような崩れた顔で吹き飛ぶ隊士の姿だった。
 商品棚に打ち込まれ、展示された電子機器を盛大にぶちまける隊士の呻き声を背に、
 沖田は先程まで自身が立っていた場所へと目を向ける。

「……アタシが時間を稼ぐ。早く主連れて逃げろ!」

 あどけないながらも迫力を帯びた声。
 薄れゆく粉塵の中から現れたのは、燃えるような緋色の髪を三つ編みの二つ括りにし、膝上僅かな漆黒のワンピースを着こなし、
 ヘッドの付け根から白煙を立ち昇らせる、大きな鉄槌を担いだ少女。
 小学校低学年くらいの、見た目愛らしい女の子供であった。

「ヴィ、ヴィータちゃん!? 何を……」

「だいたい! 逃げるのなんて性にあわねーんだよ、アタシは!」

 ぶん、と手にした鉄槌――アームドデバイス・グラーフアイゼンを大きく振り回し、まるで歌舞伎の見得のように、
 胸を張ってヴィータは意気込む。

「鉄槌の騎士ヴィータ。ただの人間に背を向けるほど、落ちぶれちゃいねェ!」

 騎士の誇りと名誉のために。
 そしてなによりも主の御身のために。
 少女は今、戦場へと降り立つ。

(あああ……なんだかややこしいことに……!)

 しかし同じ騎士でありながら、それを快く思わないものがここに一名。
 湖の騎士、シャマルである。
 "騎士"と言うよりむしろ"近所のお姉さん"という表現の方が似合いそうな容姿の彼女は、
 仲間達に不審な視線を向けられる可能性すら考慮に入れずに、頭を抱えてうんうんと唸っていた。
 マズい。これは非常にマズい。
 今までも充分にマズい状態ではあったが、僅かでも機会さえあれば、あるいは話し合いでなんとか出来たかもしれなかった。
 だが、しかし。

「……ナマ言ってんじゃねーぞ、クソガキが」

 しかしこうして正面切ってケンカを売ってしまった以上、その僅かな機会に望みをかけることすら叶わない。
 なにしろ先程ヴィータが殴り飛ばそうとした青年が、射殺さんばかりの視線をこちらへ向けているのだから。

「シ、シグナム……!」

 既に無駄かもしれないが、これ以上の状況悪化は絶対に避けたい。
 しかし自分一人では、最早どうしようもない所まで事態は来ている。
 だから彼女は助けを求めた。
 ヴォルケンリッターのリーダー格である、剣の騎士シグナムに。

「わかった。この場はお前に任せよう」

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 戦略的撤退をすべく、身を翻して駆け出そうとするリーダーの姿にシャマルはついに泣きそうな顔で悲鳴を上げた。
 突然妙な顔をして珍奇な声を上げる仲間の姿に、シグナムもザフィーラも首を傾げてその足を止める。

「何をやっているシャマル! ここはヴィータに任せて、先へ行くぞ!」

「だ、だからそうじゃなくて!」

 狼狽もあらわに諸手を振るその姿は、妙齢のたおやかな外見と相俟って、どこか可愛らしくも見える。
 しかし別に彼女は媚を売っているわけでも可愛さをアピールしているわけでもない。
 ただ純粋に助けて欲しいのだ。
 いまだかつて経験したことの無い、この罪悪感と焦燥感のせめぎあいから。
 しかし彼女の本心はシグナム達に伝わることは無く、それどころか事態は悪い方へ悪い方へと、
 全力全開で突き進んでいくのであった。

「そうか。ヴィータ一人では不安だ、と。そう言いたいんだな?」

「へ? ……あ、いや、そうでなく……」

「分かった。ならばこちらは、私とシグナムで何とかしよう。主のことは我々に任せて、存分に暴れてくるがいい」

「だ、だから……!」

「後で落ち合おう」

「人の話を聞いてー!!」

 どこか生暖かい笑み――当人達にはそんなつもりは無いのだろうが、少なくとも彼女はそう感じた――を向けられ、
 シャマルは怒り半分悲しさ半分といった複雑な表情をシグナム達の背へ向けた。
 湖といえば静穏、閑寂といったイメージがあるが、その名を背負うには相応しくない位に、
 コロコロと忙しく表情の変わる女性だ。

「いい度胸じゃねーか。ガキ一匹とボンクラねーちゃんで、俺たちの相手しようってのかィ?」

「だっ、誰がボンクラですかー!」

 突拍子も無くおバカ扱いされ憤慨するシャマルだが、自身の置かれている状況を思い出し、
 慌てて口元を押さえる。
 気まずそうに辺りを見渡してみれば、家電の影から、棚の影から、出るわ出るわの大所帯。
 シャマル以上に怒り心頭になった男達が、彼女らを遠巻きに取り囲み、及び腰になって二人を睨みつけていた。

「はっ。ガキはテメーのほうだろーが。ちょっと数が多いからって、いい気になってんじゃねーぞ」

 だが大多数に囲まれているという現状をものともせずに、小馬鹿にしたような態度の沖田にヴィータは負けず劣らずの罵詈を飛ばす。
 売り言葉に買い言葉である。
 だが、どうみても自分の半分も歳を食っていなさそうな幼女にガキ呼ばわりされてたところで、負け惜しみにしか聞こえない。
 これだけの多勢に前に、それでもなお憎たらしい口を利く小娘の存在は、意地っ張りで負けず嫌いの沖田の心に、
 ひどく粘っこい不快感を与える。

「……気にくわねェなァ……そのツラ」

 抜き身の刃を振り、弧の軌跡を残し沖田は刀を構える。
 それを合図にヴィータ達を取り囲む男達も、一斉に各々が携える刀にその手をかける。

「お、沖田隊長! マジでやるんですか!?」

 初めて魔導師と相対すると言う事実に、そしてその魔導師が生み出した、圧倒的過ぎる力の残滓に、
 思わず知らずその身を震わせ、一人の隊士がカチカチと奥歯を鳴らし精一杯に声を張り上げた。
 暗に「戦いたくない」という意味合いを込めたその言葉に同意するように、数名の隊士が遠巻きに沖田を見つめ、
 固唾を呑んで彼の返答に聞き耳を立てる。

「予定変更だ」

「は!?」

「あのガキ泣かすぞ。デカ乳のねーちゃんに借り返すのはその後でィ」

 犬歯をむき出し、サディスティックな笑みを浮かべ、手にした刃の切っ先をヴィータへ向けて、沖田は言った。
 その表情を例えるなら、蟻の巣に水を流し込み、それを悦びとする子供のような顔。と言ったところか。
 彼の言葉の意味をにわかには理解できず、撤退を期待していた隊士たちはあんぐりと口を開けて素っ頓狂な声を漏らし、
 青白くなった顔を俯け、フロア中に響き渡るのではないかというくらいに、大きな大きなため息を吐いた。
 沖田ならば魔導師相手でも勝ちを拾えるかもしれないが、正直な話、三下の自分達では相手をするだけ無駄というものである。
 出来れば今すぐ逃げ出したいところだが、そんなことをすれば士道不覚悟で切腹だ。
 ならば、もうやるしかあるまい。
 震える身体に鞭打ち、それでもおさまらない膝の震えに情けなさを感じながら、キッとヴィータを睨みつける。
 殺気混じりに眼光を浴びせられた鉄槌の騎士は、雄々しく立ち向かう数多の凡人を鼻でせせら笑い、
 床に散らばった破片を踏みしだき、巻き上げ、爆発的な力で地を蹴った。



なの魂 〜第六幕 身の丈に合わない筋トレは身体を壊すだけ〜



「……なーんかエラい騒ぎになってるわねぇ……」

 警備員と真選組に誘導され、店の出口へ向かう人の波を眺めながら、アリサはぽつりと呟く。
 同時に店内を暴力的な振動が襲い、爆撃でも受けたかのような轟音が上階から響いてきた。

「また、ターミナルからエイリアンがやってきたのかな……?」

 パラパラと埃が舞い落ちる天井を、すずかは心配そうに見上げる。

「そーいえばユーノを拾ったときも、エイリアンのせいで騒ぎになってたんじゃなかったっけ?」

「うん。ニュースでそう言ってたよ。でも、まだ捕まってないみたいで……」

「警察はなにをやってんのかしらねー。職務怠慢よ、怠慢!」

 プリプリと頬を膨らませて怒るアリサの言葉に、近くで避難誘導を行っていた真選組の隊士が
 眉をひくつかせて渋い顔をした。
 うるさい、こっちだって精一杯やってるんだ。
 そう言いたげなオーラを全身から噴出させ、しかしこんな小さな子供にその言葉をぶちまけるわけにもいかず、
 口をへの字に結んで客の避難誘導へと戻る。
 相も変わらぬ喧騒と、鳴り響く爆発音。
 だがこれだけの異常事態にもかかわらず、出口へと向かう客の足は不気味なくらいに落ち着いていた。
 これだけ大規模な避難ともなれば、混乱に際して転んで負傷するような人間が必ず出るはずだ。
 しかしこの人の波からはそのような気配は一切見えず、人々は一糸乱れぬ速度で外へ向かうだけだ。

(……あの、なのは? もしかして、こういうのってよくあることなの……?)

 怪我人が出ないのはいいことだが、それにしたってこの光景は異様過ぎる。
 アリサ達から少し離れ、柱にもたれかかっていたなのはの頭の上で、どこか薄ら寒いものを感じながらユーノが尋ねると、
 なのはは唇の指を押し当てながら、

(ん〜……そうだね、よく魔法使いの人が強盗とかしたり、ちっちゃなエイリアンが町で暴れたり……。
 半月に一回くらいは起こってるかな? 私は、巻き込まれたことはほとんど無いけどね)

(…………)

(そうそう! 去年なんかすごかったんだよ! 学校の校庭に、ガ○ダムみたいなロボットが降ってきて!)

(ガン○ムって何?)

(パイロットの人がね、「ボクの名はカイジ! 地球は狙われている!」とか言っちゃって……)

 呆れ果てた様子のユーノとは正反対に、なのはは興奮冷めやらぬ様子でまくし立てる。
 よほどその時の出来事が心に根付いているのだろう。
 このまま聞き流すべきか、それとも話題を変えるべきか。
 判断に困ったユーノが首を捻っていると、ミシリ、と何かが捻じ曲がったような音が、彼らの頭上から聞こえた。
 すぐにその場を離れればよかったのに、興味本位に上を向いてしまったなのはの額に石膏ボードの小さな欠片がぶつかった。
 その、次の瞬間。

「ふぇ……えぇぇぇぇぇ!?」

 轟音とともに天井が抜け、上階のコンクリートの床もろとも、なのはの頭上へと降り注いだのだ。
 逃げろ、逃げろと頭の中で警鐘が鳴り響くが、あまりにも突飛な出来事に足がすくみ、
 驚きと恐怖のあまりに、体内に鉄芯でも通されたかのように身体が動かなくなる。
 大きくつぶらな瞳に映る建材は、あっという間に彼女の視界を覆いつくし、盛大な騒音を以って
 周囲に大量の破片をぶち撒けた。
 避難を行っていた人々の視線が一斉になのはが居た場所へと向けられ、アリサとすずかもまた、
 粉塵巻き上がるその場所を呆然と眺める。

「……ったく。お前って奴は……」

 ぱらぱらりと粉砕された天井の破片が舞い落ちる中、男の声が聞こえた。
 心底呆れたような、それでいて、何処か安堵したような優しい声だ。
 目の前に迫った脅威に思わず目を瞑っていたなのはは、恐る恐るそのまぶたを開く。

「なんでこう災難ばっか吸い寄せるんだお前は。頭に掃除機でもついてんのか?」

「ふぇ……銀、さん……?」

 声の主――銀時は、なのはの華奢な身体を抱きかかえ、ぽんぽんと彼女の頭に積もった塵をはらう。
 埃まみれになった彼の顔を見上げ、なのはは目をまん丸に見開きぽかんと口を開ける。

「やっぱり、来てたんだ……」

「あ?」

「あ、い、いえ! なんでもないです! なんでも……」

 彼を探すため、人目もはばからず必死にぴょこぴょこ跳ね回っていたことを思い出し、
 なのはは頬を薄い羞恥の色に染めて、ぷいっと銀時から顔を背けた。
 「おい、まだ付いてるぞ」と銀時に頭を撫でるようにはらわれ、くすぐったそうに顔を俯け、
 そこでなのははあることに気付く。

「……あ、あれ? そういえば、ユーノくんは……」

 ついさっきまで頭の上に鎮座していたユーノが、姿を消していたのだ。
 銀時に助けられる直前まで、ぐでーっと垂れて前足でつかまる形で、彼は自分の頭の上に存在していたはずだ。
 一体何処に行ったのだろう、となのははきょろきょろと周囲を見渡す。

「あー、アイツなら向こうで筋トレやってるけど」

 ひょい、と銀時が指し示したその場所にあったのは、なのはから見れば一抱えほどもありそうな大きな天井の破片。
 それを眺めて、なのはは不思議そうに首を傾げる。
 傷だらけになった床の上に転がるその破片が、プルプルと震えていたのだ。
 そしてその破片の影から覗くのは、二本の短い足と、力なく地面に垂れる長い尻尾。

「ふんぎぎぎぎ!!」

 その光景を見て、思わずなのはは絶句した。
 あのか細い身体の一体どこに、これほどの力があったのか。
 小さな小さなフェレットくんが、その短小な四本の足を突っ張らせ、ガクガクと身体を震わせながら、
 天井に押しつぶされぬよう必死に歯を食いしばっていたのだ。

「よォ〜しよし良くやったァ感動した! 次は10キロ行ってみようかァ」

「む……無理……も、死ぬ……」

 あえなく押しつぶされてしまうのではないかと思えるくらい悲痛な表情をしていたユーノであったが、
 突如として自身に掛かる重圧が無くなったことを感じ、安堵したようにパタリと倒れ伏す。
 その頭上から聞こえてきたのは、年寄りのようにしゃがれた少女の声。
 息も絶え絶えになりながらユーノが声のした方へ首を回してみれば、口を尖らせ、先ほどまで彼が支えていた破片を右手に、
 そしてその破片よりも一回りほど大きなタイルを左手にした神楽が、どこか楽しそうに彼を見下ろしていた。

「だ、大丈夫なのは!?」

「なのはちゃん、怪我とかない!?」

 呆然と立ち尽くしていたアリサとすずかが、腰を屈める銀時の元へ、はっとしたように駆け寄った。
 彼に抱えられたなのはの顔を覗き込み、二人して心配そうに彼女の左手を握り締める。

「え、えっと……うん、大丈夫、かな……えへへ……」

 だから、心配はいらないよ。となのはは笑顔を作り、開いた右手で銀時の着物をきゅっと掴んだ。
 ん? と怪訝そうに銀時に見下ろされ、それに気付いたなのはは、再び恥ずかしそうに顔を俯ける。

「たたた、大変だ銀さァァァん!!」

 不意に騒々しい声が、銀時の背後から響いてきた。
 聞いたことのある優男の声に、銀時たちは一斉に顔を上げ、声のしたほうを見やる。
 彼らの視界の中心におさまったのは、ドタバタと粗野にこちらへ駆け寄る、新八の姿であった。

「どしたァ新八。ウンコ漏れそうなのか?」

「いや、むしろ今やってきて……ってンなこたァどーでもいいんだよ! そうじゃなくて、
 はやてちゃんたちがいなくなったんですよ! ちょっと目を放した隙に!
 どど、どうしよう!? なんか凄い騒ぎになってるし、はやてちゃんたちに何かあったら……!」

 大袈裟に身振り手振りを交えつつ、唾を飛ばさんばかりの勢いで新八はまくしたてる。
 しかしそんな危機的な事件が起こったにもかかわらず、銀時はうっとうしげにヒラヒラと手を振るだけだ。

「いちいち怒鳴るなっての。『主君を護るのが騎士の務め!』なんてエラソーなこと言ってたんだ。
 心配しねーでも、はやて連れて避難してるだろ、アイツらなら」

 なのはをそっと床に降ろし、膝についた汚れを掃いながら銀時は立ち上がる。
 あまりにも呑気な彼の言い様に、文句の一つでも垂れようとする新八だが、その前に人だかりの向こうから、
 豆鉄砲でも食ったかのような男の声が聞こえてきた。

「ちょ、ちょっと大丈夫ですかそこの人っ! ……って、万事屋のダンナ? 奇遇ですね、こんなトコで会うなんて」

 おっとり刀で人ごみを掻き分け、銀時たちの目の前に現れたのは、真選組の監察、山崎退であった。
 つい今しがたまで血相を変えていた彼は、銀時の姿を認めた途端に、気勢をそがれたように肩を落とした。
 万事屋とトラブルは切っても切り離せない存在。心配したところで無駄だと感じたのだろう。

「山崎さん!? 一体どういう状況なんですかコレ!? なんかさっきから店揺れてるし、爆発音聞こえるし!」

 一方新八は、落ち着きを取り戻した山崎とは対照的に、先ほどにも増して気を揉ませ、詰め寄るように山崎の前へ踏み出る。
 自分の失態ではやてたちが危険な目にあっているかもしれないというのだ。いてもたってもいられない。
 まあまあ、と山崎は新八を宥め、困り果てた様子でため息をついて肩をすくめる。

「なんか四人組の魔導師が暴れてるみたいだよ。車椅子の女の子人質に取って」

 途端、新八たちの周囲の空気が固まった。ような気がした。
 口を一文字に結び、額から冷や汗をダラダラと流し、目を泳がせながら銀時は、新八は、神楽は、
 その場で凍りついたように動かなくなる。

「副長と沖田隊長も出てるみたいだけど、どうなることやら……って、ダンナ、大丈夫ですか?
 なんか顔色悪いですけど」

 青白くなった銀時の顔を覗き込みながら山崎は尋ねるが、銀時はそれに答えることなく、ゆらりとなのはの隣に立ち、
 彼女の手をしかと掴む。
 それに倣うように、新八はすずかの、神楽はアリサの手を掴み、蚊が鳴くように乾いた笑みを漏らし……。

「あ、ちょっとダンナ!?」

 脱兎のごとく、その場から駆け出した。
 困惑しながら手を引かれる幼子たちの心中など察さず、三人はとにかく店の出口を目指す。
 目じりに薄く涙を溜めながら、気持ち悪いくらいにさわやかな笑みを浮かべる三人の思惑は、今まさに一つとなっていた。

(俺……知ーらねっ!!)



 人っ子一人居なくなったフロアの中心。
 大黒柱のように立てられた太い柱にもたれかかりながら、土方は上着の胸ポケットをまさぐり、煙草を一本取り出した。
 マヨネーズの容器を模したライターで火をつけ、一服。
 その周りでは、幾人もの真選組隊士たちが、今か今かと自分たちの出番を待ち構えながら佇んでいた。

「ここまでは予想通りか……」

 土方が紫煙を吐き出すとほぼ同時、彼の前遠方から二人分の足音が響いてきた。
 目を細めて見やれば、先ほど捜査室のモニターで確認した、桃色の長い髪の女と、少女を背負った屈強な獣人が
 こちらへ向かって駆けてくる姿が、視界の中に認められた。
 肺一杯に煙を浸し、流れるような手つきで腰の刀を抜き、その切っ先をタイルの床に滑らせる。
 土方が鯉口を切ったのを合図に、彼の周囲の隊士たちもまた、一斉に己の得物を引き抜き、身構える。

「いいかお前ら。もはや連中に対話の余地は無ェ。手荒になるが、なんとしても捕らえろ!」

 応、という掛け声とともに、隊士たちは一丸となってシグナムたちの前へ躍り出た。
 だが武器を手にした男達が目の前に現れたというのに、シグナムもザフィーラも眉一つ動かさずそのまま直進を続ける。
 そして、彼女らが今まさに男達と交錯しようかという時。
 ほんの一瞬、二人が視線を合わせ頷きあった。
 それと同時にザフィーラはその足を止め、左手に存在する日用雑貨のコーナーへ翻すように身を隠し、
 シグナムは鞘に収められた魔剣の柄に手をかけ、腰を落とし、隊士たちと相対する。
 その姿は、日本で言うところの居合いの構え。
 身の危険を感じ、咄嗟に足を止める隊士たちだが、気付いたときには既に遅かった。
 抜き放たれた剣閃は網目を縫うように隊士たちの間を駆け抜け、疾風を纏った刃が刹那のうちに土方に襲い掛かった。
 乾いた剣戟の響きが打ち鳴らされ、周囲の空気が一瞬にして張り詰める。
 次々と隊士たちが倒れ伏す音を背に、土方の持つ日本刀の刃に食い込んだ己の愛剣を見て、シグナムは舌打ちを漏らした。
 一撃で得物もろとも叩き潰すつもりだったのが、どうしてなかなか、相手の腕も悪くはないらしい。
 しかもこの男、10人近い剣士を一瞬で斬り伏せるという圧倒的な力を見せられたのに、眉一つ動かそうとしない。
 なるほど、先ほどまでの有象無象とは格が違うということか。

「はあぁ!!」

 筋力強化の術式を編み、その術を両の腕へ集中させ、一気に振り切る。
 迫り合いの形で止まっていた土方の身体がいとも簡単に地面から離れ、シグナムの右手側に存在していた
 フードコートへ向かって吹き飛ぶ。
 けたたましい音を巻き上げ、大量の椅子とテーブルを巻き込みながら盛大に転げまわる土方の身体は、
 ダストボックスにぶつかることでようやくその勢いを無くした。
 衝撃でボックスから飛び出たゴミを頭から被り、重そうに土方は上体を起こす。
 腕に、背中に鈍い痺れが走り、否が応でも顔をしかめてしまう。

「あーあー、おニューだったのに……」

 飛ばされながらも決して手を離すことの無かった刀を見つめ、彼は苦々しげにため息をついた。
 何しろ給料二か月分の新品の刀が、買って二週間でズタボロの鉄くずにされてしまったのだ。
 しかも見たところ、その損傷は芯鉄にまで及んでいる。
 鍛冶屋に修理を頼むくらいなら、新品を買ったほうが安全で安上がりという有様。
 ため息の一つも吐きたくなるのは、無理からぬことだ。
 だが土方のそんな事情などシグナムが知る由も無く、土方に切っ先を向けながら、シグナムはどこか感心した様子で彼を見据える。

「存外、頑丈な男だな」

 見たところ、相手は魔法も使えないただの人間だ。
 あれだけ痛烈な衝撃を受けたなら、しばらくは身動きが取れないだろうと踏んでいたのだが、
 どうやら見通しが甘かったらしい。
 今度こそ確実に彼を無力化するため、フードコートへと踏み入ったシグナムは、
 レヴァンテインを上段から突きつけるように構え、腰を落とす。
 不快感もあらわに舌打ちを零し、土方は弾けるようにその場から跳び退いた。
 土方の肩口を掠めたレヴァンテインはダストボックスに突き刺さり、金属のひしゃげる耳障りな音が発せられる。
 間一髪で隻腕になるのを防いだ土方は、転びそうになりながらシグナムとの距離をとり、手近にあったテーブルを蹴倒して
 簡易のバリケードに仕立て上げた。
 そして傍に転がっていた椅子を引っ掴み、ろくに狙いも定めずシグナムの方へ放り投げ、テーブルの端から顔を覗かせ、
 シグナムの出方を窺う。
 視界の奥でダストボックスから愛剣を引き抜いたシグナムは、無造作に剣を握る手を振り上げる。
 瞬間、彼女の目の前にまで迫っていた椅子が、砕けるような音とともに真っ二つに叩き斬られ、空しく床の上に転がり落ちた。

「……悪足掻きのつもりか。見苦しいものだな」

 血払いをするように剣を振り、侮蔑した視線を土方へ向け、シグナムは言い放つ。
 自身と同じ"剣の使い手"である男が、こうまで情けなく逃げ惑う姿に憤りを感じたのだ。
 だがシグナムの心情を嘲笑うかのように、再び彼女めがけて椅子が飛んでくる。

「貴様も剣士の端くれならば、誇りというものがあろうに。……惨めに生き恥を晒さずに、潔く負けを認めたらどうだ」

 飛んできた椅子を斬り払い、ふつふつと沸く怒りを抑えようともせずに、シグナムは低い声を響かせる。
 無様に勝負に背を向けるこの男の行動に対して、そしてその男に、僅かでも期待を持ってしまった自分自身に対しての怒り。
 もういい。これ以上の醜態は見たくない。
 シグナムは最早、土方に対して、敵としての興味すらも失いつつあった。
 愛剣を握る手に力を込め、猛禽類を思わせる鋭い眼差しを、土方が居るであろう場所へ向け……。

「潔く、ね。……クク」

 バリケードの向こう側から、くぐもった笑いが聞こえた。

「あいにく、俺たち芋侍はそんな誇りなんざ持ち合わせちゃいねーよ」

 眉根をひそませ、バリケードから見え隠れする土方の頭部を見据えるシグナムに向けて、再び何かが飛来する。
 彼女の常人離れした動体視力が捉えたその"何か"は、一抱えほどありそうな、赤い円筒形の物体だった。
 この期に及んで、まだ足掻くというのか。
 取るに足らないその攻撃は、先の椅子と同じようにシグナムの手で無力化される。
 逆袈裟に振り上げられた魔剣が、赤い円筒の真芯を捉え、斬り裂き……。

「負けることが誇りだァ? そんな下らねェモン、俺が叩き斬ってやらァ」

 その瞬間、シグナムの視界が一面白に染め上げられた。
 彼女がたった今斬り裂いた円筒は、消火器だったのだ。
 容器内で限界まで加圧されていた消化剤が空気中にぶち撒かれ、シグナムの身体に纏わり付く。
 微粒子が彼女の眼に、肺に入り込み、臓腑を内側から侵されるような苦しみにシグナムはむせぶ。

「ゲホッ……! 匪賊風情が、小癪な真似を……!」

「誰が匪賊だクソったれ。俺ァ真選組副長……!」

 陣風が宙に舞う粉塵を吹き飛ばし、男の姿をあらわにする。
 鉄くず同然となった剣を大きく振りかぶったその男は、目じりに涙を溜め咳き込む女を見下ろす。
 その相貌は、まさしく鬼気迫るものであった。

「……土方、十四郎だァァァ!!」

 ……一閃。
 断末魔のような甲高い金属音とともに、二つの刃が風を切り、宙に舞った。