なの魂(旧版)

どれほどの時間、そうしていただろうか。
降りしきる雨の中、二人の魔導師は身動ぎもせずに対峙していた。
雲がかかった月を背景に、フェイトはなのはを見下ろす。
無機質なビル群を背景に、なのははフェイトを見上げる。
雨音の寂しげな合唱が、辺りを包み込む。
まるで、『永遠』という名の静寂に辺りが支配されたかのような感覚。

突如、異変は起こった。
眼下から眩い光が漏れ出した。
二人の魔導師は光の方を見、そして目を見開く。
淡い光の球。
そしてその中心にある、蒼い宝石。
先程封印したはずのジュエルシードが、再び発動しようとしていたのだ。

先に行動を起こしたのは、フェイトだった。
身を翻し、ジュエルシードへ向かう。
なのはも少し遅れて、同じようにジュエルシードの元へ飛び立った。
先を争うように、二人は蒼石へ殺到する。
そして……。

「……くっ…!」

「…………ッ!」

甲高い金属音。
二人のデバイスが、ジュエルシードを挟みぶつかり合った。
そして僅かな間の後、何かが砕けるような音と共にジュエルシードから膨大な光、そして衝撃が放たれた。
そのあまりの眩さに、なのはとフェイトは目を瞑った。
結界を張っていなければ周囲の建造物もただではすまなかったであろうその衝撃に、二人は抗うことが出来ず吹き飛ばされる。
彼女らを包み込む光は、まるで月の様に美しく、そして太陽のように力強かった。

衝撃の余波も収まり、光の奔流も鳴りを潜めたところでようやくフェイトは目を開けた。
目の前には、淡い光を放つジュエルシードが浮かんでいた。
封印・回収を行うべくバルディッシュをかざそうとする。
異変に気付いたのはその時だ。
右手に握られていた愛機は、見るも無残な姿になっていた。
本体の至るところにひびが入り、ヘッド部に埋め込まれた宝玉は力無く明滅していた。

「大丈夫……? 戻って、バルディッシュ」

「Yes, Sir.」

ノイズ混じりの電子音とともに、バルディッシュが待機モード――三角の宝石になる。
フェイトはそれを右手のグローブへ埋め込み、慈しむように撫でた。
そして、ジュエルシードをキッと睨みつけ……飛んだ。

「フェイト! 駄目だ、危ない!!」

アルフが叫ぶ。
あろう事か、デバイス無しで封印を行う気なのだ。
フェイトとは真逆方向に吹き飛ばされていたなのはも、そのことに気付き彼女を止めようとするが既に遅かった。
フェイトは両の手でジュエルシードを包み込み、胸の前で抱きしめるようにする。
だがそれは、あまりにも無謀な行為だった。
封印のために魔力を注ぎ込むが、それの数十倍以上の魔力が反発して返ってきた。
指の隙間からおびただしい量の魔力光が漏れ出し、そのエネルギーでグローブが引き千切れる。

(止まれ……止まれ、止まれ……!)

だがそれでも、フェイトは封印を止めようとはしなかった。
一心に願い、握った手を固くし、目を瞑る。
やがて、漏れ出した光はフェイトの全身を包み込み――消えた。
封印に成功したのだ。
安堵感と疲労からフェイトはその場に跪き倒れそうになるが、アルフが彼女の身体を支えた。
死んだように動かなくなるフェイトに焦るアルフだが、どうやら気を失っているだけらしいと分かり、ホッとため息をつく。
アルフは彼女を抱き上げ、なのはを睨みつける。
しばらくの間、重たい沈黙が続いたが、結局アルフは何も言わずにその場を後にした。
ビル群の隙間を縫う様に、器用に飛び去る使い魔とその主。
なのはは、彼女らの後姿をじっと見続けていた。



なの魂 〜第十一幕 思い込みで行動するな〜



ひとまず、現在の状況を整理しよう。
はやてはそう思ったが、光の速さでその考えを反転させる。
うん、これは無理。
……なんて思考が出来る辺り、自分はまだまだ冷静だな。
などと自問自答を続ける。
ベッドの上で、怯えるように後退りをするはやて。
彼女の目の前には、本が浮かんでいた。
本である。
物心付いた時からこの家にあった、金の十字があしらわれた、革表紙の古めかしい本。
無骨な鎖で厳重に封印され、淡い光を放つその本は、確かにそこに存在していた。

突如、本を縛っていた鎖が弾け飛んだ。
そして風も吹いていないのに、勝手にページがパラパラとめくれ始める。
その本のページは、全て白紙だった。
ページはめくれ続け、やがて本の最後に到達した。
本は小口を見せるように閉じ、そして再び表紙を向ける。

『Anfang.』

そんな声が聞こえた気がした。
独語で『始まり』を意味する言葉。
――もっとも、来月ようやく9歳になるばかりのはやてが、そんなことを知るはずも無いのだが。
その声と同時に、はやての胸の辺りから、小さな光の球のようなものが浮かび上がった。
驚き、光球をじっと見つめるはやて。
その光はフワフワと、本の前まで漂うように飛んでいき、やがて動きを止める。
同時にその光を中心として、幾何学模様の描かれた巨大な円が現れた。
その数瞬後、その円と光球から眩い光が放たれた。
はやては思わず、目を腕で覆った。

しばらくの間は、怖くて目を開けることが出来なかった。
時間にすればほんの数秒の間だったのだが、彼女は10分も20分も目を閉じていたような感覚を覚えていた。
意を決して、目を開けてみる。
……目の前には本は無く、先程の奇怪な紋様が描かれた円だけがあった。
――いや。
様子を見ようと身体を起こしたはやては、自分の目を疑った。

目の前には、4人の人間が顔を伏せ、跪いていた。

「……闇の書の起動を確認しました」

ポニーテールの女性――"烈火の将"シグナムが言う。

「我ら、闇の書の蒐集を行い、主を護る守護騎士にてございます」

革表紙の本を抱えたショートボブの女性――"風の癒し手"シャマルも、シグナムに倣いそう言う。

「夜天の主の下に集いし雲……」

大柄の獣人――"蒼き狼"ザフィーラが呟く。

「ヴォルケンリッター。……なんなりと、命令を」

はやてとそう変わらない……むしろ年下にも見える少女――"紅の鉄騎"ヴィータが、少しだけ無愛想そうに言った。

……長い沈黙。
4人は身動きせずに"主"からの命を待ったが、"主"から返事は返ってこなかった。
いい加減痺れを切らしたヴィータが顔を上げようとした、まさにその時だった。

凄まじい衝突音。
荒々しく、何かを蹴り飛ばしたような音が聞こえた。
続けて、ドタバタと何かが走るような音。
どうやら、こちらへ向かっているらしい。
頭に生やした犬のような耳をピクリと動かし、ザフィーラはシグナムに念話を送る。

(……シグナム)

(ああ……起動して早々、敵とはな……)

立ち上がり、胸の剣状のペンダントを手にする

「失礼致します、主。どうやら邪魔者が入ったようです」

そう言いはやてに背を向けた彼女の右手には、先程のペンダント。
そのペンダントは光に包まれ、大型の西洋剣へと変移した。
――炎の魔剣『レヴァンテイン』。
数多の戦場を共に駆け抜けてきた、シグナムの愛剣だ。
レヴァンテインを水平に構え、シグナムは部屋の扉の前に立つ。

(……なぁ、ちょっとちょっと)

ヴィータから念話が送られてくる。
何故か少々戸惑った様子だ。

(案ずるな、ヴィータ。私一人で充分だ)

決して、驕りなどではない。
幾百年の時をかけて培われてきた経験、そして確かな実力が彼女にそう言わせたのだ。
だがヴィータは、端からシグナムのことなど心配していないようだ。
いや、むしろ信頼していると言った方が正しいだろう。
彼女が声をかけたのは、そういうことではないのだ。

(いや、そうじゃなくて……)

ヴィータがそこまで言いかけた時。
部屋の扉が乱暴に開かれた。
同時にシグナムは、扉を開けた主に対して問答無用で瞬速の突きを繰り出す。
目の前では、白髪の男が泡を食ったような目でこちらを見ていた。
この距離、この速度。並の人間では、攻撃を認識する間もなく絶命するだろう。
……そう、"並の人間"なら。

シグナムは一つだけ、誤りを犯した。
――目の前の男……八部衆が一人、"夜叉"の名を冠する男に不用意な攻撃を放ったことだ。

男――銀時の目が変わった。
死んだ魚のような濁った目から、獲物を狩る獰猛な獣の目へ。

(な……っ!?)

シグナムが危険を察知した時には、既に銀時の姿は目の前から消えていた。
己が敵を見失ったという事実にシグナムは驚き、そして気を高ぶらせる。
初見で、しかもこの距離で自分の剣を、受け止められることなく避けられるということは今まで無かった。
未知数の力を持つ相手と対峙したことで、彼女の闘争本能に火がついたらしい。
僅かな空気の乱れから、彼の位置を察知する。

(……右かっ!)

レヴァンテインを横薙ぎに払う。
今度は確実に捉えた。そう確信した。
だがしかし、炎の魔剣は虚しく空を斬っていた。
予想をはるかに超えた速さ。
そして勘の良さ。
シグナムは直感的に、相手が自分達と同質の存在であることを感じ取った。
この男、ただの人間ではない。
恐らくは自分達と同じ、幾多の戦場を駆け抜けてきた戦士……。
空を斬ったレヴァンテインの切っ先から、僅かな衣擦れの音がした。
咄嗟の判断で、レヴァンテインを盾代わりにする。
コンマ数秒遅れて、シグナムの右肩を狙った痛烈な袈裟懸けが振り下ろされた。
ぶつかり合う二つの剣。
リビングで回収した愛用の木刀――妖刀"星砕"を握る手に力をいれ、銀時はシグナムと鍔迫り合う。

「オゥオゥ、こんな遅くに何の用ですか? ドッキリテレビかなんかの類ですか?
 悪ぃけどそーいうの間に合ってるから。毎日がハプニングみてーなもんだから」

薄笑いを浮かべながら、挑発的な態度を取る銀時。
――この男、まだ余力があるというのか?
冷や汗を垂らしながら、シグナムは問いかける。

「……神聖な儀式の場に割って入るとは、不届き千万。貴様……何者だ!」

「顔が近い声が大きい、息を吹きかけるな気持ち悪い」

「近づけているのはそちらだ!」

極限状態で相手を自分のペースに巻き込むのは、銀時の十八番だ。
嫌味ったらしい顔を向けながら言い放たれた一言は、彼女のペースを乱すのに充分な役割を果たした。
迫り合った刃から、僅かに……ほんの僅かにだが、力が抜けた。
銀時はその隙を見逃さない。
一気に相手を押し斬ろうと、左足を一歩踏み込んだ。
さしものシグナムも、全体重をかけた体当たりには耐え切れなかった。
シグナムの眼前に、自身の刃と斬り結ばれた木刀が迫る。

「こンの野郎……!」

ここにきて、ようやくヴィータが動いた。
何故かはやてのいるベッドの上に乗っていた彼女は、愛用のデバイス『グラーフアイゼン』を起動させた。
戦闘用の鉄槌を模したそのデバイスを振りかざし、銀時の背後から後頭部を狙い澄ます。

『ほぁちゃァァァァァ!!!』

同時に聞こえてくる声。
それと共に、窓ガラスが盛大な音をたてて砕けた。

「!?」

ヴィータは驚いた。
それはそうだ。割れた窓から何か赤いものが侵入してきたかと思うと、あろう事か
渾身の力を込めた一撃を、その赤いものに傘一本で受け止められたのだ。
……傘型のアームドデバイス? どんな擬装だ!
などと心の中で叫ぶ。

「もォー! アンタはホントに私がいないとダメなんだからァー!」

振り下ろされた鉄槌に傘の先端を突きつけた、赤いもの――神楽は、銀時に目配せをしながらそう叫んだ。

「なんでお母さん口調!?」

神楽に背を任せ、銀時は怒鳴った。
いきなり訳の分からないことを言われた(と思った)シグナムは、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

(……いや、今はそんなことを気にしている場合ではないな)

無意味な思考を捨て、ザフィーラとシャマルに念話を送る。
自分達が動きを止めている間に、相手を倒せ。という旨のものだ。
二人は小さく頷き、シャマルは支援を、ザフィーラは銀時達に飛びかかる。

「オィィィィィ! お前は後先考えろォォォ!!
 つーか何この状況!? 今日は10月31日!?」

一方新八は割れたガラスの心配をしていた。
窓の外で激昂する家庭派侍、新八。
ひとまず現状では、セロハンでも張ってごまかすしかない。
だが修理費はどうしようか。
やっぱり割ったのは神楽だから、万事屋持ちか?
いやいや、今は非常事態。
何とか便宜を図って、石田先生に修理費を……ああそうか、金が無いから自分達雇ったんだったな。
などなど。
およそ銀時達の心配などとは程遠い思考をして頭を抱える新八。

「まったく……喧嘩っ早い連中だ」

彼の横から、声が聞こえた。

「え……?」

声のした方へ顔を向ける。
うざったらしいくらいの長髪をなびかせた男が、颯爽とはやての部屋へ飛び込んでいった。
その男は凄まじい速さで銀時と神楽の間に割って入り、今まさに殴りかかろうとしていたザフィーラの拳を
鞘に収めた刀で受け止めた。

「そう逸るな、守護騎士の諸君。我々は君達と敵対するつもりはない」

男は厳かに、そう告げた。
同時に、背を預けあった3人は各々の得物を振り、相手を弾き飛ばす。

「ヅラ!? テメェ、なんでこんなところに……」

いるはずがない人物の突然の介入に、銀時は驚く。
その男――桂は、酷く不機嫌な様子で銀時を横目で睨んだ。

「ヅラじゃない桂だ。というか貴様、昼間はどこをふらついていた。
 お前が家にいさえすれば、このような誤解は……」

「敵じゃねーって……じゃあ一体なんだってんだよ?」

「……管理局の手の者ではなさそうだな。何者だ」

もし彼らが管理局の人間なら、お決まりの前口上があるはず。
しかし彼らは、自分達が攻撃されるや何の躊躇も無くこちらへ刃を向けてきた。
管理局にしては、やりかたが荒い。あの組織との関係は薄いと見ていいだろう。
だがこの男は自分達という存在を知っており、なおかつ敵対心は無いと言ってきた。
その事は、彼女ら守護騎士の興味を引くには充分な言動であった。
ぶつぶつと不平を漏らす桂にレヴァンテインを向け、シグナムは問う。

「何者じゃない桂だ。……俺達のことについては、後で話そう。それよりも……」

手にした刀を腰にさし、これ以上の交戦の意思が無いことを示しながら桂は言った。
そして腕を組み、ベッドの方をチラリと見る。

「まずは君達の主を何とかせねばなるまい」

理解不能の出来事の連続に思考が追いつかなくなったはやてが、目を回しながらベッドの上で気を失っていた。



「……ッ」

「あ……ご、ごめんよフェイト。ちょっと我慢して……」

フェイトがピクッと顔を歪めた事に気付き、アルフは慌てて消毒液を含んだ脱脂綿を彼女の手から離した。
アルフに抱きかかえられ住処に戻ってきたフェイトが目を覚ましたのは、先の一件から30分程経った後だった。
目を覚ました直後の彼女の姿は、酷い有様だった。
魔導衣は至る所が裂け、身体中――特に手のひらには、痛々しいまでの傷跡が残されていた。

「平気だよ……ありがとう、アルフ。
 明日は母さんに報告に戻らないといけないから、早く治さないとね」

器用に手のひらに包帯を巻いていくアルフの姿を見て、フェイトは呟く。

「傷だらけで帰ったら、きっと心配させちゃうから……」

「心配……するかぁ? あの人が……」

手首の辺りに小さくリボン状の結び目を作りながら、アルフは疑念の声を上げる。
例え目の前にフェイトがいても、そこには初めから何もいないかのように……いつも何処かを、
見えない何かを探し続けているかのような目をした、彼女の母親の顔を思い浮かべる。

「母さんは……少し不器用なだけだよ。……私には、ちゃんとわかってる」

フェイトは微笑みながらアルフの頬を撫でた。
ツン、と消毒液の匂いがした。

「報告だけなら、アタシが行って来れればいいんだけど……」

「母さん、アルフの言う事はあんまり聞いてくれないもんね。
 アルフはこんなに優しくていい子なのに」

申し訳なさそうに俯くアルフ。
フェイトは、そんな彼女の頭を優しく撫でた。
顔をほんのり赤くし、頭に生やした犬耳をぴょこぴょこ動かすアルフ。
照れ隠しにあはは、と笑い、いつもの陽気さを彼女は取り戻す。

「……まー、明日は大丈夫さ。
 こんなに短期間でロストロギア、ジュエルシードをこんなにゲットしたんだし!
 褒められこそすれ、怒られるような事はまず無いもんね!」

「うん……そうだね」

きっと母さんも喜んでくれる。
だって、こんなに頑張ったんだから。
フェイトも同じように、彼女に笑みを返した。

この後、何事も起こることなく夜は更けていった。
雨が止む事は無かった。



「嘘って言うてやバーニィィィィィィ!!」

などと奇声を発してはやてが飛び起きたのは、翌日の昼過ぎだった。
まるで永い悪夢から逃げ出すかのように、凄まじい勢いで上体を起こす。
直後、何かがぶつかったような鈍い音が病室に響き渡った。

「あだだだだだ! 割れたァァァ! これ絶対割れたァァァ!!
 新八ィ! 見てくれコレ! ミンチよりヒドイ事になってないコレ!?」

顔を押さえた銀時が、ごろんごろんと床をのた打ち回る。
はやての顔を覗き込んでいた銀時と、顔面同士で正面衝突を起こしてしまったらしい。
しかし、意外と面の皮が厚かったはやては――いや変な意味ではなく、文字通りの意味で――真っ赤になった鼻を押さえながら、
自分の周りを見回した。
いつもと違う、真っ白な味気ないベッド。
今まで何度か世話になったことのある、簡素だが清潔な部屋。
そういえば、と納得したかのように胸の前で手を打つ。
昨晩、自分が妙な幻覚を見て気絶したらしいということを思い出したのだ。
ということは、ここは病院らしい。
視線を横に向けると、そこには心配そうに自分を見る石田医師がいた。
はやてが目を覚ましたことに気付いた彼女は、安堵の表情を見せながらはやての元へ来る。
銀時は華麗にスルーされた。

「はやてちゃん……! 良かったわ、なんともなくて」

「もォー! アンタはホントに心配ばっかりかけてェー!」

「だからなんでお母さん口調なんだよ」

ベッドの反対側からも声が聞こえてきた。
神楽がベッドに飛び乗り、新八がそれを白い目で見ていた。
やっぱり銀時はスルーされていた。

「えっと……すんません……えへへ…」

はやては頭を掻きながら、愛嬌のある愛想笑いを浮かべる。
――みんなに心配かけてもうたなぁ。なんかお詫びせぇへんと……。
と、子供なりに気を使った考えを巡らせるはやて。
そんな彼女に、石田医師が病室の入り口のほうを指差しながら耳打ちした。

「……で。誰なの? あの人達は」

「へ? ……あ!」

そう言われて、ようやくはやては気がついた。
病室の入り口に、昨晩見た4人の男女が立っていたのだ。
どうやら、幻覚などではなかったらしい。
スリーブレスの服一枚を身に纏った彼女らは、居心地悪そうにこちらを見ていた。
銀時は一瞥すらしてもらえなかった。

「……どういう人達なの? 春先とはいえまだ寒いのに、あんな格好だし、言ってることは訳分かんないし、
 どうも怪しいわ……」

「あー……えっと、その……なんと言いましょうか……」

いきなりそんなことを聞かれても、自分にも分からない。
何しろ突然現れたのだ。
ただ、なんとなく悪い人達ではなさそうだ。と、はやては漠然と感じていた。
説明に困り、おろおろするはやてを見かねた騎士の一人が念話を飛ばしてきた。

(……ご命令を頂ければ、お力になれますが。如何致しましょう)

突然頭の中に声が響いてきたことに驚き、はやては4人の方を見た。
長い髪を後ろで括った、凛々しい顔立ちの女性――シグナムがこちらを見つめ返してきた。

(思念通話です。心で、ご命令を念じていただければ)

その言葉の意味を、頭の中で咀嚼する。
察するに、テレパシーみたいなものか?
疑うことを知らない無垢な少女は、先の声の通りに頭の中で念じる。

(……ほんなら、命令というか、お願いや。ちょい私に話合わせてな)

どうやらその言葉はきちんと伝わったらしく、シグナムは小さく頷いた。

「えーっと……石田先生。実はあの人達、私の親戚で……」

「親戚?」

突拍子も無い話に驚く石田医師。
もちろん、これははやてが即席で考えたカバーストーリーである。
胸の前で手の先を合わせて、心底嬉しそうにはやては言う。

「遠くの祖国から、私のこと看に来てくれたんですよー」

「遠くってどんだけ遠くなんだよ。明らかに次元レベルの遠さだぞ。一番奥のアレ」

散々無視され続けてきた銀時が、鼻の先を押さえながら入り口の近くに立っていた獣人――ザフィーラを指差した。
つーか、あのガタイでケモノ系は凶器だろ。と付け足す。

(……ザフィーラ、何故隠さなかった!)

(……すまん)

念話でザフィーラに怒鳴りつけるシグナム。
ザフィーラは耳と尻尾を垂らし、バツが悪そうにする。
だが、バツが悪いのははやても同じだ。
まさかこんなところでキラーパスをされるとは思ってもいなかった。
どもりながら、無い知恵を絞って必死にごまかそうとする。

「いや、それは、そのー……み、みんなちょっとお茶目さんやから、仮装して私のこと驚かそうとしててんけど、
 私がそれにビックリしすぎてもーたと言うか、なんというか……その、そんな感じで……な、なぁ?」

同意を求めるように、守護騎士達へ話を振るはやて。
すると、シグナムの隣にいた金髪の女性――シャマルが、その場を取り繕うように愛想笑いを浮かべながら
話を合わせてきた。

「そ、そうなんですよ! その、私達も登場シーンだったんでちょっとはしゃいでたっていうか……
 調子に乗ってました、すみませんでした」

「こいつパクりやがったよ。俺のセリフ丸パクリしやがったよ。ウザいんですけど、マジでウザいんですけど!」

「あ、あはは……」

心底嫌そうな顔で疑いの眼差しを向ける銀時。
そんな彼を見て、はやては乾いた笑いを漏らすしかなかった。



そんなこんなで紆余曲折もあったが、件の4人は不審者ではない、ということは何とか信じてもらえた。
もっとも、銀時はまだ半信半疑だが。
はやてを乗せた車椅子を押し、病室を去る新八と神楽。
守護騎士達も、それに付き従うように歩を進める。
銀時だけは、病室の前から動こうとしなかった。

「……不安?」

「そりゃまァ……な」

石田医師に問いかけられ、銀時は答える。
あれはどこからどう見ても、この世界の人間ではない。
平々凡々な少女の親戚というには、かなり無理がある。
一体何の目的で、はやてに接触してきたのか。
桂の話では、はやてが危害を加えられる可能性は万に一つも無い。とのことだが、やはり心配である。

「私は、信じるわよ」

石田医師は言った。
銀時は意外そうな表情で彼女を見る。

「医者が患者の言うこと信じてあげないでどうするのよ」

そう言って笑いかけてくる。
銀時はしばらく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして……そして笑った。

「ヘッ。なんで俺の周りはこう、お人好しばっかなのかねェ」

確かに、連中のことは完全には信用できない。
だが彼女らを信用しないということは、彼女らを信用したはやてを信用しないということでもある。
そのことに気付き、銀時は自分の考えを改めた。
俺ははやてのことは信用している。
なら、奴らのことも信用できるはずだ。
着物をなびかせ、銀時ははやて達の後を追おうと歩き出す。
その後ろから、石田医師が少し残念そうに言った。

「でも、親戚の方が看に来てくださったのなら……はやてちゃんにしてあげられることは、何も無いわね」

銀時は足を止めた。
彼女の言った言葉を何度か頭の中で繰り返し、理解する。
世話をしてくれる人がいるのに、わざわざ手伝いを雇う人はいない。
要するに、御役御免ということだ。

「……寂しい?」

「いや……」

呟き、ゆっくりと後ろを振り向く。

「出会いがありゃァ別れもあるさ。こーやってガキは少しずつ大人になっていくんだよ、うん」

「あら、それって自分に向けた言葉じゃなくって?」

笑いながら言う石田医師。
銀時はうっせーな、と吐き捨て、その場を後にした。
その背中は、やはり何処か寂しげだった。