なの魂(旧版)

夢を見ていた。
そう遠くない昔。
自分が生まれたばかりの時の夢だ。

鼻につく薬品の刺激臭。
規則的に聞こえてくる電子機器の作動音。
精密機器が稼動する音。
深いまどろみの中に堕ちていた自分は、嗅覚・聴覚でそれらの情報を知覚し、
自分がこの世に生を受けたのだということを認識した。

ゆっくりと目を開けた。
曇りガラスを通して見たかのような、ぼやけた風景。
しなくてもいいと分かってはいるが、思わず目を擦った。
稼動したばかりの"目"が徐々にピントを合わせ、ぼやけた視界がシャープになっていった。
太いパイプが張り巡らされた、無機質な天井。
そこに備え付けられた手術用の大きな照明。
視界の片隅で何かが動いた。
上体を起こし、そちらの方をみる。
白衣を纏った、老齢の男がいた。
肩までかかる長い白髪、しわだらけの痩せこけた顔。
自分はこの男の顔に見覚えがあった。
……いや、見覚え、というのは語弊だろう。
該当するデータを、脳内に増設された記憶素子から見つけた。
男は驚愕したような表情でこちらを見、顔を強張らせていた。
どうやら、自分が正常に起動したことに驚いているようだ。
しばらくの間、沈黙が続いた。
しかし自分も、一応空気という物は読むことが出来る。
さすがにこのまま黙りこくっていては、雰囲気を悪くするだけだろう。
だからとりあえず、挨拶をすることにした。

「……おはようございます」

と。
今になって思う。
もっと気の利いた言葉は掛けられなかったのか、自分は。

男の顔から、強張りが消えた。
疑念に満ちていたその表情は、やがて優しく柔和な顔つきに変わっていった。
男は目尻に涙を溜め、自分のことをぎゅっと抱きしめてきた。
……とりあえず一発殴っておくか?
そんな考えが頭を過ぎった。
実行には移さなかった。
彼に抱きしめられている間は、不思議と悪い心地はしなかった。



それが私、No.5チンクと。
もう一人の私の父、林流山博士との初めての邂逅だった。



なの魂 〜第十二幕 たまには回り道も必要〜



生まれたばかりの頃は、本当に必要最低限のデータしか入っていなかった。
先に生まれた姉達と、二人の父親――ジェイル・スカリエッティ博士と、林流山博士。
この人物達のことだけだ。
まるで乾いたスポンジのような脳を持っていた私に、林博士は色々なことを教えてくれた。
私が、スカリエッティ博士――現在はドクターと呼称させて貰っているので、ここでもそうさせて貰う――と林博士の共同で作られた、
最新鋭の戦闘機人――平たく言えば、サイボーグのようなものだ――であるということ。
開発の際、ドクターが生体部分を、林博士が機械部分を担当していたということ。
また、私の開発を優先した結果、一つ上の姉の起動実験が大幅に遅れてしまったらしいこと。
――これが原因なのかは定かではないが、私は一つ上の姉にはあまり良く思われていない。まあ私自身、姉のことはあまり好きではないので
どうでもいい話なのだが。
などなど。
だが、林博士から教わったのは、何も科学者畑の連中にしか理解できないようなことばかりではなかった。
炊事、洗濯、掃除といった家事全般から、商店街での効果的な値切り方まで。
およそ戦闘用の兵器には無縁な……そう、お婆ちゃんの知恵袋的な知識まで私に詰め込んでくれた。
正直なところ、これらの話が本当に今後役に立つのか甚だ疑問ではあったが、私は今でもこれらの知識を蓄えている。
別に記憶領域から消し去るのが面倒くさかったとか、そういう理由ではない。
ただ、これらの家庭的な知識を教えてくれている時の博士の顔が、とても嬉しそうだったから。
彼の言葉と一緒に、その表情もずっと覚えておきたかったから。
だから今でも、私はこうして実用性皆無な知識を覚え続けている。
私が"お父様"と呼び慕った彼を、私を実の娘のように愛でてくれたお父様のことを忘れないために、ずっと覚えている。
ただ一つ。
どうしても思い出せないことがあった。
それが何なのか、私には分からない。
何しろ忘れてしまったのだから。
ただ、それはとても重要なことで……絶対に、忘れてもいいようなことではなかったのではないかと。
漠然と、そう思う時がある。



事件が起きたのは、ほんの一日前だった。
研究所でいつも通りに戦闘訓練のプログラムを終えたときのことだった。
お父様から、可愛らしい財布を預かった。
中を検めると、紙幣が数枚入っていた。
これは何なのか、と聞くと、たまには女の子らしく外で遊んで来い、という返事が返ってきた。
これには私も戸惑った。
何しろこちらは、来る日も来る日も訓練やデータ収集を行っていたのだ。
普通の人間の風習や、立ち振る舞い方などは……知識だけならあるが、実際にはよく分かっていない。
だというのに、いきなり『女の子らしくしろ』と来たものだ。
困惑しながら、お父様の顔を見た。
目の前には、柔和な笑みが映し出されていた。
さすがにここで無下に断るのは気が引ける。
私は遠慮がちに礼を言った後、自分達に宛がわれた部屋へと戻った。
唯一与えられていた外着である和服を、一番上の姉に着付けて貰った。
二つ上の姉が「どういう風の吹き回しだ?」と聞いてきたので、「ただの気分転換だ」と答えて部屋を出た。
さすがにこの格好を見知った職員達に見せるのは気恥ずかしかったので、早足で廊下を駆け外へ向かった。
途中、薄暗い研究室でお父様とドクターが何か言い争いをしているのが見えた。
どうせまた「洋酒はウイスキーかブランデーか」などといった下らない口論をしているのだろうと思い、気にも留めなかった。
町へ着いても、特に変わったことは何も無かった。
強いて言えば、人気の無い路地裏で下品な中年男性に絡まれたところを、
黒服を着た瞳孔開き気味の男性に助けられたということぐらいだろうか。



帰路へつき、残りの道程も半分くらいになった頃。
研究所の方角から、黒い煙が立ち昇っているのが見えた。
嫌な予感がし、研究所へ通信を送ってみた。
応答無し。
もう一度通信を試みようとした時、二つ上の姉が通信を割り込ませてきた。
実験中の事故で大規模な火災が発生。
自分達姉妹とドクターを除く職員達が所内に取り残されてしまった、とのことだった。



研究所へ戻ってきた私を待っていたのは、全てを焼き尽くす業火だった。
まるで生きているかのように蠢く紅蓮の炎を前に、私は半狂乱になりながら駆け出した。

「やめろチンク! 死ぬつもりか!」

声と共に、右腕を凄まじい力で掴まれた。
突然動きを阻害され、つんのめりそうになりながらも後ろを振り向いた。
二つ上の姉、トーレがそこにいた。

「離してくれ、トーレ! あの中には、まだお父様が!」

「冷静になれ! あれだけの熱量の塊に飛び込んでは、我々でもただでは済まんぞ!」

一切の反論を許さない気迫。
人間を素体としている以上、どうしても戦闘機人は熱量攻撃に弱くなる。
内蔵された緊急冷却装置を稼動させてもこの勢いの炎、そして通路の狭い研究所内では、持って数分程度だ。
このまま飛び込んでも、おそらく犬死だろう。
……そんな事は分かりきっていた。
だが、納得はしたくなかった。

「……何もせずに……ここで黙って見ていろと言うのか……!」

姉を睨みつけ、腕を振り払おうとする。
無理だった。
高機動・近接格闘をコンセプトに作られた姉に、力で適うはずも無かった。

「んもう、チンクちゃんってば物分り悪いんだからぁ。あなた一人が行ったところで、どうにもならないわよ」

いつの間にか隣に、眼鏡をかけた女が立っていた。
一つ上の姉、クアットロだ。
歯に衣着せぬ物言いに、私は思わず激昂した。
クアットロは私を心底哀れんだような目で見、ため息をついた。

「無駄だって言ってるのよ。分からないのかしらぁ?」

呆れたように言い、目の前にいくつかのデータが表示された映像を映し出した。
その後に彼女から放たれた言葉は……私が、最も聞きたくない言葉だった。

「生体反応ゼロ……もう手遅れなのよ」

映像には、五つの赤い光点……任務でこの世界を離れていた、三つ上の姉を除く私達姉妹と、ドクターのものだけが示されていた。
嘘だと思いたかった。
何かの間違いだと思いたかった。
だが目の前で光る五つの光点は、これは紛れも無い事実だと、そう告げていた。
私は言葉を失い、その場にくずおれた。



紅蓮の業火は、瞬く間に全てを飲み尽くした。
後に残されたのは、研究所"だった"瓦礫の山。
そして、奇妙な実験用のポッドが一つだけ。
職員達は地獄の炎に焼き尽くされ、骨すらも残っていなかった。
お父様もまた、例外ではなかった。



薄暗い貨物室の中。
体育座りの姿勢で眠っていたチンクは、コンコンと扉をノックする音で目覚めた。
顔を上げ立ち上がろうとしたところで、自分の腕が湿り気を帯びていることに気付いた。
どうやら気付かぬうちに泣いてしまっていたらしい。
情けない顔を見られたくなかったので、ゴシゴシと顔を拭い、軽く頬を叩いて気を引き締める。

「……入っていいぞ」

心境を悟られたくないがために、出来る限り無愛想にそう言った。
殆ど仁王立ちに近い格好で腕を組み、ふてぶてしく振舞う。

「失礼致します」

聞き慣れない声と共に、扉が開かれた。
部屋へ入ってきたのは、見知らぬ男だった。
端麗な顔立ちに金色の髪。
ウェイターのような服の上に赤いコートを羽織ったその男の両耳には、機械のパーツのようなものが装着されていた。

「……お前は?」

表情一つ変えず目の前に立つ男に、チンクは不信感を募らせながら問う。

「"戸−伍丸弐號"……流山博士が生み出した、"芙蓉プロジェクト"最後の作品です」

感情の篭らない声で、男はそう答えた。
芙蓉プロジェクトという名に聞き覚えはあった。
父、林流山がドクターに出会う前に続けていたという計画。
端的に言えば"人の手で人を生み出す"プロジェクトだったのだが、戦闘機人技術に代替され、最終的に頓挫したという話だ。
そういえば、と昨日のことを思い出す。
火災現場に不自然に残されていた実験用のポッド。
事件の後ドクターが回収していたのだが、あの中に入っていたのが彼なのかもしれない。

「……戦闘機人……ではないのか?」

「僕にはあなた方とは違い、生体パーツは一切使われていません。
 全て機械で造られた身体。人間を素体とした戦闘機人とは、似て非なるものです」

無感情な声。そして全く変わらない表情。
それは、大なり小なり"感情"というものを持ち合わせている自分達とは、全く別種の存在であるということを示していた。
彼の手に、そっと触れてみた。
冷たかった。
だがその感触は、紛れも無く人間のそれだった。
機械だけでここまで出来る物なのかと驚き、そしてここまで人間に近い機械を生み出していた父のことを、誇りに思えた。
機械工学だけに関して言えば、ドクターの数段上を行っているかもしれない。
今度は、少しだけ手を握ってみた。
自分の体温が伝わり、彼の手が少しずつ暖かくなっていくのが分かった。
ほんの僅かだが、懐かしい感じがした。
何故かは分からなかった。

「今後、あなたの身辺の世話やメンテナンスは、僕が行うこととなりました」

「何……?」

不意に聞こえた言葉に、チンクは首を傾げた。
彼女の疑問を解消すべく、伍丸弐號は言葉を続けた。

「知っての通りあなたの身体には、流山博士が独自に開発した芙蓉プロジェクトの技術が使われています。
 生命工学畑のドクターより、プロジェクトの全てを詰め込まれた僕の方が適任だと判断し、ドクターに進言した次第です」

「そう……か……」

握っていた手を離し、言葉の意味を咀嚼した。
メンテナンスだけでなく、身の回りの世話も行う。
ということは、彼は四六時中自分に付きっ切りになるということなのだろうか。
ふと彼を見やった。
端正な顔立ちと服装のせいで、その姿は優秀な執事に見えなくも無かった。
あ、結構良いかも。
そんなことを思う。

「……伍丸弐號と言ったな」

「はい」

しばし黙考した後、腕を組み、目の前の彼を見据える。

「言い難い。私の呼び易い名で呼ばせてもらうぞ」

「構いません」

「……では…」

ゴホンと咳払いをし、チンクはその名を言った。
父が残した、最期の作品に。
懐かしい感覚を覚えた、目の前の彼に。

「お……"お父様"……」

蚊の泣く様な声。
そして訪れる気まずい沈黙。
はたして彼に、自分の声は聞こえていたのだろうか。
いや。
聞こえていたなら、すぐに応答が返ってくるはずだ。
なにしろ相手は機械。
自分達とは違い、空気など読めるはずもないのだから。

「な、なんでもない! 後で考えるから、それまで待っていろ!」

「了解しました」

真っ赤になって顔を背けるチンクに返ってきた言葉は、やはり無感情な物だった。



「もっ、申し訳ありません! 主の従者の方だったとは知らず……」

そう言ってシグナムは銀時達に向かって大仰に頭を下げた。
家に着いてはやての部屋へ戻り、自分達の素性を話し、そしてはやてから
銀時達のことを聞いた守護騎士達(特にシグナム)の慌てっぷりといったら、一見の価値有りである。

「そ、そんな謝らなくても……仕方ないですよ、知らなかったんですから」

「オイ、『知らない』で殺されかけたこっちの身にもなれ」

まぁまぁ、と両手を胸の前に出す新八を小突く銀時。
そんな彼らを横目で見つつ、ヴィータは手を頭の後ろで組みながら呟いた。

「……シグナムの後ろ取っておいて、よく言うぜ…」

「っ……。ヴィータ! 無礼な態度は許さんぞ!」

今の今まで一対一で完全に背後を取られた経験のなかった騎士が怒鳴る。
はたしてこの無礼というのは銀時達に対してのことなのか、それともシグナムに対してのことなのか。
真相は謎のままである。
ヴィータは口を尖らせながら、銀時達に向かって頭を下げた。

「……悪かったよ。いきなり殴りかかって……」

「……はやてには手を出さないって誓うアルか?」

酢昆布をくっちゃくっちゃと噛んでいた神楽が、ヴィータの前へと歩み寄った。
ヴィータは心外だ、と言わんばかりに怒鳴る。

「あ、当たり前だろ!? アタシ達は、主を護るために……」

そこまで言ったところで、目の前に長方形の紙製の箱が突き出された。
今まで見たこともないその奇妙な箱に、ヴィータは戸惑いを覚える。

「……何だコレ?」

「酢昆布やるヨ。お近づきの印ネ」

顔を上げると、希望通りの言葉が聞けて満足した神楽の顔があった。
"スコンブ"というものが何なのかは分からないが、ともかく自分たちのことを許してくれるらしい。

「あ……うん。ありがと……」

とりあえず素直に受け取っておいた。
ちなみにこの後、酢昆布を口にしたヴィータと神楽の間で

「酸っぱい! なんかスッゲー酸っぱい! 風呂入る直前のザフィーラ並に酸っぱい!」

「その酸っぱさがクセになるネ。きっとザッフィーの匂いもそのうちクセになるネ」

「絶対なりたくねぇ! つーかよくこんなの食えるな!」

などといったやりとりがあったのだが、それはまた別のお話である。

「……で、何か? オメーらは、この闇の書って奴とはやてを護るために生み出されたプログラムで、
 コイツを完成させると、何かすんげぇ力が手に入る、と」

手にした皮製の表紙の本を掲げ、銀時はシャマルに問いかける。

「概ねそんなところですね」

「……ってことは、何ですか? コレが完成したら、はやてちゃんの足も治るかもしれない、と」

眼鏡を掛け直しながら新八が聞くと、シグナムが淡々と答えた。

「ええ。その程度のことでしたら、闇の書の力を持ってすれば造作もありません」

「マジアルか!? じゃあさっさと完成させるネ!」

興奮したように神楽が言うが、シグナムは少し困った様子で返す。

「ですが、完成させるためにはリンカーコアの蒐集が必要で……」

「リンカーコア?」

「魔法使える奴がみんな持ってる、魔力の元みたいなモンだよ。魔導師とか、魔法生物とか」

聞き慣れない言葉に首を傾げる新八に、銀時が解説する。
かつて魔導師と戦ってきただけに、この手の知識は一般人よりも持ち合わせているのだ。
その言葉を聞き、神楽が何かを思い出したかのように手を上げた。

「夜兎は魔法使えないけどリンカーコアは持ってるネ。とりあえず景気付けに、私の蒐集してみるヨロシ」

「やめとけ。コイツの吸っても薄汚れた力しか手に入らねェよ」

「オイ、どーいうことだコルァ」

ギリギリと銀時の襟元を締め上げる神楽。
見る見るうちに銀時の顔が青ざめていく。
が、なんとか手を離してもらえた。
完全に意識が落ちる前に解放してもらえた銀時は、首を押さえながら息を乱す。
そんな彼を気にも留めず、はやては顎に手を当てながら、難しそうな顔をしていた。

「……え〜っと、それってつまり、闇の書を完成させるためには、人様に迷惑をかけてまうってことやんな?」

返答、無し。
何故か目を逸らす守護騎士達。
主に似たのか、馬鹿正直な連中である。
この行動を肯定の意として受け取ったはやては、声を大にしていった。

「そんなん絶対あかんよ! 自分の身勝手で誰かに迷惑かけるなんて、絶対にあかん!」

「ですが……」

困惑するシグナム。
それはそうだ。
他者を想い、それ故に力を手にすることを拒む。
そのような主とは未だかつて出会ったことがなかったからだ。
むしろ、自分のためなら他人がどうなろうと知ったことではない。という考えの人物の方が圧倒的に多かった。
困惑するのも無理はない。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、銀時が声をかけた。

「……ご主人様がこう言ってんだ。いいんじゃねェのか?」

確かに一理ある。
自分達は主の命に従い、また主の望みを叶えるために生み出された存在。
主が力を欲さないというのならば、それもまた良し……なのか?
最後に疑問符を付けながら、シグナムは難しい顔をする。
そんな彼女の顔を見て、銀時は呆れたような表情をしながら言った。

「まァ何にしろ、オメーらがコイツのこと護ってくれるってんなら……俺達の仕事はここまでだな」

「え……?」

何の突拍子も無く聞こえてきた言葉。
はやては驚いた様子で銀時を見る。
銀時は腕を組みながら、さも当然のように言い放った。

「そりゃそーだろ。タダで働いてくれる小間使いがいるってのに、わざわざ俺達がここにいる必要はねーだろ」

「こ、小間……」

騎士から小間使いにランクダウンさせられたシグナムが、心外だと言わんばかりに銀時達を見る。
銀時達はその視線を華麗に受け流した。

「安心はできないけど、信用はできるネ。きっと悪いようにはしないアルよ」

「ちょっと寂しいけど……これでお別れだね」

しんみりした表情を向けてくる神楽と新八。
どうやら冗談ではなく、本当にこの家から去るつもりのようだ。
はやては俯き、黙りこくる。
今まで彼らと過ごした時間が、脳裏に鮮明に蘇ってきた。
毎日が騒々しくて、でも楽しくて。
いつの間にか、彼らがいない日常など考えられなくなっていた。
でも、彼らは去っていってしまう。
何も今生の別れというわけではない。
だが、それでも。
自分の目の前から、彼らがいなくなってしまうのは……嫌だった。
胸にぽっかり穴が開いたような気分だった。

「それはそうとして……だ。なんでオメーがこんなところにいんだよ、ヅラ」

思い出したかのように、銀時は部屋の片隅へ視線を向けた。
桂が壁に背を預け、「俺の出番はまだか?」と言いたげな表情でこちらを見ていた。

「ヅラじゃない桂だ」

やっと話しを振ってもらえた桂が、少し嬉しそうに返答する。
「ウゼーんだけど。なんで嬉しそうなんだよコイツ、マジウゼーんだけど」という銀時の言葉を華麗にスルーし、
シグナム達に視線を向ける。

「少し、君達に話があって来た。銀時、お前達にもだ。
 ……八神殿。すまないが少し席を外させてもらうぞ」

「え? あ……はい」

酷く沈んだ様子ではやては答える。
桂はシグナム達を連れ、部屋を出て行ってしまった。
その後に続き万事屋も部屋を出る。
列の一番最後にいた銀時は、部屋を出る直前にちらりとはやてを一瞥した。
はやては物憂げな様子で、ずっと俯いていた。
その姿は酷く儚く……放っておけば、そのまま消え入ってしまいそうに見えた。



「それで、話というのは?」

はやての部屋の入り口を閉め、リビングの真ん中まで来たところでシグナムが口を開いた。
桂は目を伏せ、重たげに話を始めた。

「……こちらへ来て早々ですまないが、悪い知らせがある」

そのあまりの空気の重たさに、一同は思わず黙り込む。
普段はおちゃらけた万事屋も、今回ばかりは真剣に桂の話を聞き入っている。

「単刀直入に言おう。君達の主が、ある男に狙われている」

「何……ッ!?」

顔をしかめる守護騎士達をよそに、桂は懐から一枚の写真を取り出した。
その写真を見、今度は銀時が顔をしかめる。
間違いない、コイツは……。

「高杉晋助……力による革命――クーデターを目論む、危険な男だ。
 ……その勢力は、もはやテロリストの枠を超えている」

写真をシグナムへ手渡し、腕を組んで語り始める桂。
その表情は、どこか辛そうなものだった。

「元々は、奴らが新型の兵器を開発しているという情報を手に入れ、その調査を行っていたのだがな。
 その過程で、闇の書のことが浮かび上がってきた。……奴らは闇の書の力を使い、この国を滅ぼすつもりだ」

「ですが、闇の書は……」

シャマルが口を挟むが、桂は手を出してそれを制した。

「主以外には使えない。そして主の元を離れることはない……分かっている。だからこそ、だ。
 俺のような一介の攘夷志士ですら容易に得られた情報だ。奴らが知らないはずもない。
 なんらかの対抗手段を持っていると考えるべきだろう」

シグナム達は口をつぐむ。
はたして、管理局ですら完全な封印を施せなかったこの闇の書を制御する方法など、存在しえるのだろうか?
疑問に思うが、彼の言うことは尤もだった。
独自に兵器を開発できるほどの組織ともなると、その情報網は多岐に渡る。
もしかすれば、管理局にも根を張っているかもしれない。
となれば、闇の書の詳しい情報を得ていても不思議ではない。
また、そこから闇の書を制御する方法のヒントを得ていたとすれば……。
半信半疑ではあるが、危機感を持っておくに越したことは無い。
この男も、そのためにわざわざ自分達にこのような話をしたのだろう。
シグナムは思い、桂を見る。

「そこで、だ。銀時、お前に頼みたい仕事がある」

彼は銀時に話を振っている最中だった。
真摯な表情で、銀時の顔を見る。

「八神殿の護衛をしてはくれないだろうか」

そう言った桂は、シグナム達に目配せをしながら話を続けた。

「もちろん、彼女らの力を信用していないわけではない。
 だが先に言ったとおり、奴らも闇の書に対する情報は充分に得ているはず。
 奪取の際には、それ相応の戦力を送り込んでくるだろう」

そこで一旦言葉を区切り、銀時に向き直る。

「……必要なのだ。"白夜叉"と呼ばれた、お前の力が」

かつて戦場を駆け抜け、数多の魔導師を屠ってきた頃に付けられた名。
ひどく懐かしく、そして忌まわしいその名を聞き、銀時は目を細めた。

「……ヅラ。テメェ何を企んでやがる」

「邪推はよすがいい。俺はただ、約束を護りたいだけだ」

「約束だァ?」

「ああ。……"いずれ恩は返す"。そう約束した。今がその時なのだ。
 ……だが立場上、俺が彼女を直接護ることは出来ん。だから、出来る限りのことをしてやりたいだけだ」

真剣な面持ちで語る桂。
確かに、指名手配犯である彼が関わっていたとなれば、はやての立場が危うくなる。
だが、自分達はたった今はやてに別れを告げてきたばかりだ。
今さら舞い戻っても、確実に怪しまれる。
何よりアレだ、恥ずかしい。
そしてそれ以上に……。

「ケッ……ふざけんじゃねーよ。何が悲しくてテメェの頼みなんざ聞かにゃならねーんだ。
 却下だ。そんな依頼」

桂の言うことを聞くのが癪だった。
ガキのような理由だが、どうにもこの男の頼みを聞く気にはなれなかった。

「ち、ちょっと銀さん!?」

「銀ちゃん、はやてがどうなってもいいアルか?」

背を向け、部屋から出ようとする銀時の背中に新八達の声がかけられる。
銀時は一瞬だけ考え込むように立ち止まり……またすぐに歩き出した。
部屋から出るために、扉に手をかける。

「……銀ちゃん!」

扉が開く音と共に、背後から声がした。
何事かと思い後ろを振り向くと、自室から出てきたはやてが、大きな紙袋を抱え、思い詰めた表情でこちらを見ていた。

「あの……銀ちゃん、頼んだらなんでもしてくれる万事屋さんなんやな?」

「何を今さら……それがどうかしたか?」

腰に手を置き、ぶっきらぼうに答える。
はやてはいそいそと車椅子を漕ぎ、銀時の目の前までやってきた。

「それやったら、私から一つ仕事の依頼や!」

ビシッ! という効果音と共に銀時を指差しながら言う。
が、今の勢いはどこへやら。
すぐに顔を赤くしながら俯いてしまった。
両手の人差し指を胸の前でつき合わせながら、ぶつぶつと呟きだす。

「あの、これから毎日……じゃなくてもええ。たまにでいいから、遊びに来てくれへんかな……?」

上目遣いでこちらの様子を窺うように顔を覗き込んでくるはやて。
銀時は面倒くさそうに頭を掻きながら言う。

「……報酬は?」

その言葉を聞き、はやては自信なさげに抱えていた紙袋を差し出した。

「……今ちょっとお金ないから、これで勘弁してほしいんやけど……。
 銀ちゃん、ジャンプ好きやろ? そやから、うちにあった単行本全部あげる!」

はやてから紙袋を受け取り、中を検める。
彼女の言葉通り、紙袋の中にはジャンプのコミックスが大量に敷き詰められていた。
しかし武装錬金やブラックキャットはともかく、いちご100%やToLOVEるまで入っているのはどういう了見だ。
銀時は頭を抱えた。

「現物支給かよ。しかも俺単行本派じゃないんですけど」

「うぅ……」

ああ、やっぱり駄目か。
殆ど涙目になりながら恨めしそうに銀時を見つめるはやて。
そんな彼女の目の前で、銀時の動きが止まった。

「……オイ、はやて」

呟き、袋から一冊の本を取り出す銀時。
水色の表紙に、大きな二文字の漢字。
なんとなく買ってみたものの、三巻辺りまで集めてそのまま読まなくなってしまった漫画だ。

「コレ、銀魂一巻の初版本じゃねーか」

「え……? うん、そやけど……それがどうかしたん?」

物珍しげに本のページを捲る銀時を見て、はやてはきょとんと首を傾げる。
銀時は意味深に微笑しながら、はやての方を見た。

「どうかしたって、お前……。俺ァ本誌派だけどよ……コイツだけは集めてんだ、銀魂」

本を閉じ、はやてに表紙を向けながらニッと笑う。

「コイツのためならなんでもするぜ。たまにと言わず、毎日でも来てやんよ」

ぽかん、と口を開けたまま固まるはやて。
どうやら思考回路がフリーズを起こしたらしい。
しばらく待っているとようやく再起動がかかったのか、はやてが車椅子から身を乗り出しながら聞いてきた。

「……ホンマに!?」

「ああ。侍は嘘はつかねーよ」

ポンポン、と銀時ははやての頭を軽く叩く。
はやてはしばらく、惚けた表情で銀時の顔を見続けた。
もしかして、これは夢?
いや。
今頭を触られた感触は、確かに本物だった。
夢なんかじゃない。
これからもずっと、彼らと一緒にいれる!

「……やたー!」

目尻に涙を浮かべ、諸手を上げて喜ぶはやて。
神楽がそんな彼女を抱きかかえ、大喜びでぶんぶん振り回す。
新八も嬉しそうな表情をしていたが、さすがに神楽の行動はマズいと考え止めに入る。
そんな彼女らを見て銀時は笑い、桂の方を見た。

「……そーいうわけだ、ヅラ。お前の依頼を受けるわけにはいかねェ」

背中越しに、はやてを右手の親指で指す。

「あっちのが上客だ」

「……フッ」

盟友の天邪鬼っぷりに、思わず吹き出す桂。
そのまま銀時の横を通り、部屋から出て行こうとする。
そして銀時とすれ違う直前、彼はこう呟いた。

「そうか。玄関と窓ガラスの修理費も、俺が肩代わりしてやろうと思っていたのだが……それなら仕方ないな」

「……あの、スンマセン桂様。俺が悪ぅござんした」

桂の腕を掴み、頭を下げる銀時。
現金な男である。

「そや、忘れるトコやった。みんなのお洋服とかも買ってこなあかんな」

そんな彼らの後ろでは、神楽に抱きかかえられたはやてが、満面の笑みを浮かべてシグナム達を見ていた。

「……は?」

いきなり訳の分からないことを言われて困惑するシグナム達。
洋服? 騎士甲冑か? いや、あれは買うものじゃないだろう。
などと思考を巡らせていると、はやてがグッと握り拳を作って宣言した。

「闇の書の主として、守護騎士みんなの衣食住、きっちり面倒見んと!」

「オィィィ! お前金あるじゃねーか! 服買うくらいなら俺の給料に回せや!」

叫ぶ銀時。
どうどう、とそれを押さえつける桂。
どこまでも金にがめつい男である。
しかしはやては慌てず騒がず、嫌な笑みを浮かべながら口元を手で覆った。

「あれれ〜? 銀ちゃん、本一冊でなんでもしてくれるって言うたやんなぁ?
 侍は嘘つかんって言うたやんなぁ?」

「腹立つんですけど! メッチャ腹立つんですけどこの子!」

こめかみに青筋を浮かべながら怒鳴る銀時。
未来の片鱗を見せるチビ狸は、心底嬉しそうな笑顔を浮かべていた。



次元空間で一隻の船が航行を続けていた。
名はアースラ。
時空管理局が保有する、巡航L級8番艦である。

「みんなどう? 今回の旅は順調?」

艦長席に腰掛けながらその女性――リンディ・ハラオウンは言った。
オペレーター達が彼女の問いに対し、逐一報告を返す。

「はい。現在、第3戦速にて航行中です。目標次元には、今からおよそ160ベクサ後に到着の予定です」

「前回の小規模次元震、やはり第107管理外世界も感知していたようですね。
 現地の組織に、調査要請を出したようです。
 それと……二組の探索者が再度衝突する危険性は、非常に高いですね」

「そう……」

物憂げな表情で次元の海を眺める。
小規模次元震が起こったというだけでも厄介だというのに、その発生地点がよりにもよって第97管理外世界なのだ。
時空管理局に勤める一局員としては、あまり関わりたくない案件である。
だが、件の次元震にロストロギアが関わっているという情報を得てしまった以上、管理局が動かないわけにはいかない。
これ以上、戦争の火種を振り撒かないためにも。

「失礼します、リンディ艦長」

「ん。ありがとね、エイミィ」

差し出された紅茶に口をつけ、一息つく。

「そうねぇ……場所が場所だし、ちょっと厄介ね……。
 ロストロギア……彼らに知られでもしたら……下手を打てば、一年戦争の再来ね。
 ……危なくなったら、急いで現場に向かってもらわないと。ね、クロノ」

視線を下へ向ける。
ブリッジの中央に立っていた、紺色の魔導法衣を身に纏った少年が艦長席を見上げながら言った。

「大丈夫。分かってますよ、艦長。僕は、その為にいるんですから」