なの魂

 生い茂る木々。
 差し込む木漏れ日。
 およそ社会の喧騒とは無縁なその場所に"彼"はいた。

「はぁ……はぁ……はぁ」

 息を切らし、辺りを見回す。
 
 ――どこに行った?
 ――早く……早く、封印しないと……!
 
 何の前触れもなく彼の背後の茂みが蠢く。

「っ! そこか!」

 懐から赤い宝石のような物を取り出す。
 宝石は彼の精神に呼応するかのように輝き、宙に浮く。
 同時に、その宝石の周りに幾何学模様が描かれた円が展開された。

「妙なる響き、光と為れ! 赦されざる者を、封印の輪に! ……ジュエルシード! 封印!」

 呪文と同時に放たれる一筋の光。
 しかし……。

「……逃がし、ちゃった……」

 最後の力を振り絞って放った閃光も、空しく空を切る。

「追いかけ……なく……っちゃ……」

 満身創痍の身体に鞭を打って来たが、どうやらここまでが限界のようだ。
 彼はその場に倒れこみ、死んだように動かなくなる。

 ――あれを……野放しにしておくわけには……。

(誰か……僕の声を聞いて……。力を貸して……)

 彼は祈る。
 願わくば、この世界にかの力を持つ者がいることを……。

(魔法の……力を……)



なの魂 〜第一幕 何事も最初が肝心だがやり過ぎは良くない〜



「あぁぁぁ!!! 銀ちゃん、またそんな甘いもん食べて! 糖尿寸前なんやから、もーちょっと気ぃ使いーな!」

 そんな少女の叫びが聞こえてきたのは、夕日に照らされたリビングの中心。
 ちょこんと椅子に座ったはやては、ビシッと銀時を指差して表情を険しくする。
 銀時達がはやての家へ通うようになって、早一週間。
 はやての天性の人懐っこさと世話焼きっぷりのおかげで、彼女らの距離は急速に縮まっていた。
 ……いや、むしろ縮みすぎていた。

「いや、定期的に甘いもん食わねーとダメなんだって、俺」

「そんなもん定期的に食べとったら死んでまうわ!」

 バンッ、とはやては机に手を叩きつける。
 目の前でケーキをワンホール食そうとしてる、血糖値レッドゾーンな男がいればそれも無理からぬことだろう。

「うっせーな。何? お前も食いたいの? 意外と食い意地張ってるのな」

「ちがーう! そうやのーて、私は銀ちゃんのこと心配して……」

「高いよ〜、銀さん特製の宇治銀時ケーキだよ〜。他じゃ食べらんないよ〜」

「う……うぅ〜……」

 ニヤニヤしながらケーキをフォークに一切れ突き刺し、はやての目の前でフラフラと動かす。
 この男、言動が完全にガキである。
 実年齢と精神年齢の差がダブルスコア、いやトリプルスコアだ。
 はやては悔しそうに口を結び、無言でブンブンと腕を振り回す。

「はぁ〜……またやってるよ。世話しに来てんのに、逆に世話焼かれてどーすんだよあのダメ侍……」

 そんな二人を遠目に眺めながら、部屋の掃除をしていた新八はため息をつく。
 不意に騒がしくなる背後。
 それに釣られて、新八は後ろを振り向く。
 視線の先には、電源の入った大型のテレビ。
 どうやら、ニュース特番を行っているようだ。
 映し出されていたのは、海鳴商店街近くの大きな自然公園。
 ただ普段と違うところは、生い茂る木々が大量に薙ぎ倒されていたことだ。

『――以上のことから、警察庁は何らかの巨大生物の仕業であるとの見解を表明しています。
 付近の住民の皆様は、出来る限り外出を控え――』

「オイオイ、またターミナルからエイリアン侵入か? 最近多いねェ」

 また入国管理局の不手際か。
 そう言いたげに、銀時は呆れた様子でテレビの画面を見やる。
 そうして彼の視線が彼自身の手元から離れたその瞬間。
 一瞬の隙を突いて、フォークに刺さったケーキにはやてがかぶりついた。
 驚き視線を元に戻す銀時だが時既に遅し。
 目の前には、幸せそうにケーキを頬張る無邪気な少女の姿があるだけだった。

「あ、テメっ!」

「油断する方が悪いんやも〜ん。……あ、これホンマに美味しいな」

「ちょっとちょっと……これ、ウチの近くじゃないですか?」

 掃除の手を止め、新八は心配そうにテレビを見る。
 と同時、定春の毛繕いをしていた神楽が、何かを思い出したようにチラリと時計を見、呟いた。

「そういえば、もうすぐなのはが学校から帰って来る時間ネ。心配アル」

「心配しねーでも、士郎の旦那か恭也が迎えに行くだろ。ほっとけほっとけ」

「心配アル」

「…………」

「心配……」

「だー! 分かった分かった! 迎えに行きゃいいんだろ、行きゃァ!」

 はやてにケーキを奪われ、ただでさえ憤っていた銀時の不機嫌の虫はここにきて完全に怒りを爆発させたようだ。
 投げやり、かつ面倒くさそうに銀時は席を立ち、周りに目をくれることもなく部屋から出て行ってしまった、
 そんな彼の背中を眺めて新八は苦笑を漏らし、しかし神楽は別段銀時の態度を気にすることも無く、手を振って彼を見送る。

「夕飯までには帰って来るアルよー」

 そしてその三人を眺めながら、小首を傾げる少女が一人。

「なの……は……?」

 人との繋がりがほとんどないはやてが、聞き慣れぬ人名に並々ならぬ興味を示すのは、当然の帰結であろう。
 不思議そうにその名を反復するはやてに、新八は優しく微笑みかける。

「ああ、銀さんの住んでるトコの家主さんの娘さんだよ。確か、はやてちゃんと同い年だったかな?」

「みんなの知り合いかぁ。いっぺん会ってみたいな〜」

「今度、機会があったら紹介するアルね。きっとすぐ仲良くなれるヨ」

 ぱぁ、と表情を明るくするはやて。
 彼女の笑顔を満足げに眺めながら、神楽は机の上に置きっぱなしにされた宇治銀時ケーキを摘み食いするのであった。



「ねぇ、今日のすずか。ドッジボールすごかったよね?」

「うん、かっこよかったよねー」

「そ、そんなことないよ……」

 と、少女らしくお話に花を咲かせているのはアリサ、なのは、すずかの仲良し三人組。
 どうやら今は学校の帰り道のようだ。
 途中、会話の節々でジャイロボールだのなんだのといった単語が出てきていたような気がするが、恐らく気のせいだろう。

「あ! こっちこっち! ここを通れば近道なんだ!」

 そんなわけで、公園のトイレに……ではなく、近くの自然公園までやってきた三人。
 アリサが少しばかり得意そうに、公園の裏手の林道を指差しながら言う。
 不自然なまでに綺麗に切り開かれたその林道、もともと遊歩道建設のために切り開かれていたものが、、
 予算の都合で中止になってしまい、そのまま手付かずとなって今に至るのだが、もちろん三人娘はそんなことを知る由も無い。

「あ、そうなの?」

「ちょっと、道悪いけどね」

 ほいほいと林道へ足を踏み入れようとする三人。
 だが、それより先に彼女らの前に、一人の男の影が立ち塞がった。

「あー、ちょいとちょいと、お嬢さん達。こっから先は通行禁止だぜィ」

 腰に差した一振りの日本刀。
 スーツのような黒い服。
 短く切られた亜麻色の髪に、静かに燃えるような蘇芳色の瞳。
 歳の割には幼く見える、整った顔立ち。
 彼の名は沖田総悟。
 齢十八にして、武装警察"真選組"の一番隊隊長を務める若き侍だ。
 彼は両手を挙げて通行禁止のポーズをとる。

「えー、どーしてよ!」

 半ば反射的に文句をたれるアリサだが、肩をトントンと叩かれすぐに鳴りを潜める。
 不機嫌そうにアリサが振り向けば、そこにはどこか怯えた表情のすずかの姿。
 彼女はなおも怯えた様子で、沖田の背後をすっと指差す。
 その先に広がる情景を見て、さしものアリサも絶句をする。
 それほどまでに、その光景は凄惨なものであった。
 無惨にも薙ぎ倒された、数多くの木々。荒々しく削り取られた地面。
 まるで怪獣でも通った後のような、そんな光景が目の前には広がっていた。

「どーしても。お巡りさんの言うことは、ちゃんと聞くもんだよー」

「しょうがないよ、アリサちゃん。いつもの道にしよう」

 沖田の隣にいた真選組隊士にも咎められ、しぶしぶ林道を後にするアリサとすずか。
 しかし、なのはだけは何故かその場を離れようとしなかった。

 ――声。

 そう、林道の方から声がしたのだ。
 それも近くにいる男達のものではなく、自分達と同い年くらいと思わしき男の子の声だ。
 だが、この林道は現在通行止めになっているのは知っての通り。
 なら、この声は一体何だ?

(なんだろう……なんだか、呼ばれてる気がする……)

「あ、なのは! どこ行くのよ!」

「なのはちゃん!?」

 不可思議なその声に釣られるように、ふらふらとなのはは林道の中へ足を踏み入れてゆく。
 友人の奇怪な行動に気付き、すずかとアリサも彼女の後を追って林道の中へ。

「ち、ちょっとお嬢ちゃん達!?」

 困ったのは隊士の男だ。
 周辺に危険生物が居るかもしれない、と道を封鎖しているのに、そこへ年端も行かない少女達に進入され、
 万一なにか事故でも起こされてはたまったものではない。
 慌てて少女らを連れ戻そうとする隊士だが、しかし背後から聞こえてきたため息にその動きを止める。

「ハァー……ったく。しょーがねーな」

 そう言い面倒くさそうに頭を掻く沖田は、どこかぶっきらぼうに、しかし『待ってました』と言わんばかりに、
 おもむろにパトカーからバズーカ砲を取り出すのであった。
 もう一度言う。
 バズーカ砲である。
 誘導機能、カット。
 レティクルの中心には少女らの後姿。
 発射可能状態を示す緑のシグナルが視界の片隅で光る。

「くたばれ」

 呟き、引き金を引く。
 砲口から飛び出たのは、花火でも訓練弾でもなく、紛れも無い実弾だった。

『え、えェェェェェ!!?』

 着弾。爆発。
 巨大な爆炎が巻き起こり、辺りをおどろおどろしい黒煙が覆う。

「沖田隊長ォォォォォ!!!? ちょっと何してんですかァァァァァ!!?」

 顔を真っ青にして叫ぶ隊士。
 そりゃそうだ。
 しかし沖田は飄々とした様子で、さも当然のように言い放つ。

「人の言うことも聞けねぇ馬鹿は死んじまえばいいんでィ」

「いや、相手子供ですよ!!?」

 隊士の叫びが空しく響き、焼けた木々の爆ぜる音が燻ぶるように跳ねる。
 行き過ぎた正義によって放たれた魔弾が生み出すは、いたいけな少女"だった"三つの肉塊……。

「おうおう、いい大人がガキ相手に大人げねーなァオイ」

 ……いや。
 爆煙の中から現れたのは、消し炭になった少女三人の遺体ではなかった。
 天然パーマの白髪。死んだ魚のような目。腰には"洞爺湖"の文字が彫られた木刀。

「ぎ、銀さん!?」

 子猫のように服の襟首を銀時に掴まれたなのはは、驚きに目を丸くする。
 何故、どうしてこんなところに?
 脳裏をよぎった疑問は、しかし銀時が先に言葉を紡いだことにより、彼女の口から出ることなく飲み込まれる。

「怪我ねぇか? オメーら」

「おっと、こりゃ失礼。旦那の知り合いでしたかィ」

 両脇と右手に抱えた三人の少女に目配せをする銀時。
 そんな彼を見て、バズーカを肩に担ぎ抜け抜けとのたまう沖田。
 だが銀時は彼の態度をさして気にする様子も無く、三人娘をそっと地面に降ろす。

「悪かったな、ガキどもが迷惑かけて。
 しっかし……エイリアン一匹にこの騒ぎは、さすがに行き過ぎじゃねェか?」

 そう言ってパトカーに目をやる銀時。
 後部座席にチラリと見えるのは、連射式の散弾銃や軽機関銃といった火器。
 さらには光学兵器のようなものまで見受けられた。
 腰に差している刀の存在意義が問われる瞬間である。

「ああ、今回の相手は、ちィとばかしヤバい相手でしてね」

「あァ?」

 パトカーの中からガイガーカウンターのような機械を出し、沖田は言葉を続ける。

「この辺で、結構な濃度の魔力が検出されたんでさァ。下手すりゃ魔導師がらみの事件の可能性もあるってんで、
 ウチの隊も大騒ぎで……!?」

 彼の表情が変わったのは、そう言って何気なしに計測器に目を向けた瞬間であった。
 周辺の魔力の濃度を計測するその装置の針が、大きく左に振れていたのだ。
 通常、魔力濃度が0であるならこの針は右に大きく振れるはず。
 つまり、この辺りには大量の魔力が溢れ返っているということだ。
 だが、これだけの魔力が自然発生するということは、常識的に考えてありえない。
 すなわち……。

「一番隊より全車両。ポイントC5で大型の魔力反応を検知した。二番隊、三番隊をこっちへ回してくれィ。
 残りの連中は付近住民の避難を急げ」

 どこか仕事に対して熱意が足りなさそうな雰囲気を漂わせていた彼だが、そこは腐っても治安維持部隊の隊長。
 パトカーの無線を取り、同じ任に就いていた仲間達に的確に指示を飛ばす。

「旦那、そーいうわけだ。悪ィが早くここから離れてくだせェ」

 向き直り、有無を言わさぬ様相で沖田はそう言う。
 並々ならぬ雰囲気に、さしもの銀時も空気を読んだのだろう。
 足元の三人娘にこの場を離れるように促し、そして自身も公園を後にしようとする。
 不意になのはが足を止めたのは、その時だ。



 初めは、ただの気のせいだと思った。
 だってそうだ。こんな剣呑な雰囲気漂う場所で、子供の声なんて聞こえてくるはずが無い。
 だが、彼女の疑念は再び聞こえてきた声により確信へと変わる。

(助けて――)

「――!」

 なのはは辺りを見回す。
 何処からとも無く、またしても男の子供の声が聞こえたのだ。
 それも、先程よりもしっかりと。

「ん、なのは?」

「今、何か聞こえなかった?」

「何か……?」

「何か、声みたいな……」

 二人の友人に問うてみるも、返ってきたのはそんな答え。
 どうやら声が聞こえているのは自分だけらしい。
 とはいうものの、ここまではっきりと聞こえている以上、ただの幻聴というわけでもなさそうだ。

(助けて――)

「!」

 またしても、声。
 ――すぐ近くだ。
 先程よりもいっそう大きくなったその声に、なのははそう確信を持つ。
 すぐ傍の茂みが、微かに動いた。
 ごくり、と唾を飲み込み、おそるおそるなのはは茂みの中へ分け入る。

「――――」

 ――イタチ? フェレット? オコジョ?
 脳裏に浮かんだその三匹に、似ているようで何処か違う、不思議な生物がそこにいた。
 見ると身体中傷だらけで息も荒く、今にも息絶えるのではないかと思わせるくらい衰弱しているように見受けられる。

「! 見て、動物……? 怪我してるみたい……」

 小さな不思議生物の痛々しい有様に、なのはの肩から様子を覗き込んできたアリサとすずかが
 表情を歪めて困惑をあらわにする。

「う、うん……どうしよう」

「どうしようって……とりあえず病院!?」

「獣医さんだよっ!」

「えーと……この近くに獣医さんってあったっけ!?」

「あー、えーと……この辺りだと確か……」

 予想だにしなかった非常事態に慌てふためく子供達。
 てんてこ舞いな彼女らの様相を見て、銀時は一人額に手を置いてため息をつく。
 ボリボリと面倒くさそうに頭を掻き、なおもオタオタする少女達の間に割って入り、不思議生物の首根っこを摘んで拾い上げる。

「ギャーギャーギャーギャーやかましいんだよ、ったく……病院まで連れてきゃいいんだな?」

 不思議生物を連れ、近くに停めてあった愛用の原付バイクの傍へ行く銀時の姿を、少女らはぽかんと口を開けて目で追う。
 その素っ頓狂な姿に、いい加減銀時の痺れも切れたのだろう。
 未だに状況の整理がつかない三人の娘達を無理矢理原付に乗せ、有無を言わさずエンジンを吹かし、その場を走り出してしまった。
 よりにもよって警察の前でそんな無茶をしても良かったのか甚だ疑問ではあるが、その様子を見守っていた沖田は、
 銀時の所業を咎める様子など別段見せず、ただ同情するような目で息を漏らすだけであった。

「やれやれ。旦那も大変でさァ」

 呟き、何の気も無しに手にした計測器に再び目を向ける。

「……あり? 下がってる……」

 備え付けられた針が右に振れる。
 計測器に指し示された結果は、辺りの魔力濃度が正常であると言う事実だけであった。