なの魂(旧版)

「……銀ちゃんも新八さんも、なんか元気ないなぁ…」

温泉旅行から帰ってきて数日。
神楽とババ抜きに興じていたはやては、そんなことを呟いた。
視線の先では、銀時と新八が茶をすすりながらニュース番組を見ている。
神楽もはやての様子に気付き、銀時達の方を見るが、すぐにはやての方に向き直ってしまった。
スペードとダイヤのキングをテーブルの上に放りながら、彼女は言った。

「きっと女湯覗くの失敗してガッカリしてるだけアル。放っとくヨロシ」

「う、う〜ん……あの二人が、そんなことするとは思えへんけどなぁ…」

「はやては、銀ちゃんの普段の生活知らないからそんなこと言えるネ。
 私のマミー言ってたよ。男はみんな獣の皮被った狼アル。はやても気をつけるアルよ」

「神楽ちゃん。それ被ってる意味あらへんから」

釈然としない物を感じながら、はやては苦笑した。
もう一度銀時達の方を見る。
先程と同じように、銀時達はソファーに座ってニュース番組を眺めていた。
画面ではリポーターが、炎上する建造物を背景に何かを喋っていた。
どうやらどこぞの研究所が事故で爆発し、従業員全員が亡くなるという大惨事が起こったようだ。

「……やれやれ。物騒な事件が多いこって」

手元の煎餅をかじりながら銀時は呟いた。

「あの……銀さん」

彼の隣で、同じようにボーっとテレビを見ていた新八が突然小声で話しかけてきた。

「なのはちゃん……大丈夫なんですかね…」

ちらちらと後ろ――テーブルにいる神楽たちを気にしながら、彼女達に聞こえないように話を続ける。
先日の温泉での事件。
あれ以来、なのはと顔を合わせることが殆どなくなってしまった。
たまに顔を合わせても、無理に笑顔を作りながら軽く会釈をしてくるだけだった。

「本人はいつも通り振舞ってるつもりみたいですけど……なんか、家でも元気無いらしいですし…」

「悪いクセが出ちまったか。昔っからそうなんだよ、アイツは。
 何か悩みを抱えるたびに、自分の周りに壁を作ってそこから出てこなくなっちまう」

テレビを見たまま、銀時は物憂げな表情でそういった。
新八は黙り込む。
なのはが落ち込んでいる理由は、なんとなく察せた。
彼女は普段から人一倍他人に気を遣っていた。
誰にも心配をかけないように。誰にも迷惑をかけないように。
にもかかわらず、他人に心配され、かつ助けられたことに胸を痛めているのだろう。

「俺達が心配することじゃねーよ。アイツは、ちゃんと一本の芯を持ってる。
 ほっとけば、自分で壁破ってくるさ」

「でも、銀さん」

楽観的とも思える銀時の発言に、新八は言い返す。

「……その、なのはちゃんを支えてる一本の芯。……もし、それが折れてしまっていたら…」

「…………」

今度は銀時が黙る番だった。
人は誰しも、心の中に芯をようなものを持っている。
それがあるから、どんな困難な、絶望的な状況でも真っ直ぐに立っていることが出来る。
だが、もしその支えが失われてしまったら……。
銀時は無言のまますっと立ち上がった。

「バカなこと言ってんじゃねーよ、新八よぉ。あの士郎の旦那のガキだぞ?
 そう簡単に折れるわけあるめーよ」

そう言い、頭を掻きながら居間から出て行こうとする銀時に、新八は声をかける。

「どこ行くんですか? 銀さん」

「……散歩だ」

「あ、私も一緒にお散歩行きたいなぁ」

ぶっきらぼうに言い残し、居間の扉に手をかけようとしたその時。
後ろからはやてが声をかけてきた。
懸命に車椅子を漕いで銀時の隣へやってきた彼女は、目一杯の笑顔を浮かべていた。
銀時は思わず、心の中で自嘲する。
――やれやれ、こっちが心配されてちゃ世話ねぇな。

「それなら私も一緒に行くネ」

そう言って神楽も銀時の隣へやってくる。

「世間知らずのはやてに、悪い虫がつかないように見張らないといけないネ」

「虫もつかねーよ。こんなちんちくりんなガキ」

ぽん、とはやての頭に手を乗せ言う銀時。
お子様扱いされたはやてはもちろん怒り、銀時の手を払い落とそうとムキになって手を振り回す。
が、子供の力で抵抗しきれるわけもなく。
イヤーな笑みを浮かべた銀時に、いつぞやのようにわっしゃわっしゃと髪の毛をかき乱されてしまう。
あぅー、と情けない声を上げながら神楽に助けを求めるはやて。
相変わらず子供のようなことをする銀時を見、新八は思う。

(……なんだ。一番心配してるの、銀さんじゃないか)

呆れたようにため息をつきながら、彼は銀時達の後を追った。



なの魂 〜第九幕 こだわりがあるのと頑固なのは紙一重〜



「……いい加減にしなさいよ!!」

昼休みの教室。
辺りの喧騒を吹き飛ばすような、アリサの怒声が教室に響いた。
何事か、と周りの生徒達が彼女に視線を向ける。
しまった、と思いなのはは顔を上げた。
目の前には、怒りで顔を赤くした親友の姿があった。

「さっきから何話してても上の空でボーッとして!」

「あ……ごめんね、アリサちゃん」

謝るなのはだが、今のアリサにとっては逆効果だった。
彼女は怒りに任せて一気に捲くし立てる。

「ごめんじゃない!!
 私達と話しててそんなに退屈なら、一人でいくらでもボーッとしてなさいよ!」

そう言い放ち、そっぽを向いて教室から出て行く。

「ア、アリサちゃん……」

アリサを引き止めようとするすずか。
しかしなのはは、そんな彼女を止める。

「いいよ、すずかちゃん……今のは、私が悪かったから……」

「そんな事ないと思うけど……とりあえず、アリサちゃんも言いすぎだよ」

少し話ししてくるね。と言い残し、すずかもアリサを追って教室を出て行く。
静まり返る教室。
しかし次第に辺りは喧騒を取り戻し、いつも通りの騒がしさが戻ってくる。
なのはは俯き、小さく呟いた。

「……怒らせちゃったな。ごめんね、アリサちゃん……」



「アリサちゃん! アリサちゃん!!」

「……何よ」

階段の踊り場でようやくアリサを捕まえたすずかは、息を切らしながら言う。

「何で怒ってるのか、何となくわかるけど……。駄目だよ、あんまり怒っちゃ」

「だってムカツクわ! 悩んでるの見え見えじゃない。迷ってるの……困ってるの、見え見えじゃない!
 なのに、何度聞いても私達には何も教えてくれない……! 悩んでも迷ってもいないって、嘘じゃん!!」

背を向けたまま、アリサは怒鳴る。
その表情はこちらからは見えないが、その声には怒りだけではなく、悲哀のようなものも込められていた。
すずかは、なおもアリサを諭す。

「いくら仲良しの友達でも、言えない事はあるよ……。
 なのはちゃんが秘密にしたいことだったら、私達待っててあげるしか出来ないんじゃないかな……」

「……だからそれがムカツクの! 少しは役に立ってあげたいのよ!」

振り向き、叫ぶアリサ。
同時に、彼女の頬を何かが伝った。
驚いた様子でアリサは自分の頬を拭った。
どうやら、自分でも気がつかないうちに泣いていたらしい。
その手は僅かに湿り気を帯びていた。

「……分かってるわよ」

濡れた自分の手を見つめながら、アリサは呟く。

「なのは、あんな性格だから。アタシ達に心配させたくないって事ぐらい、分かってるわよ。
 多分、アタシ達じゃあの子の助けにならないって事も……」

そこまで言い、アリサは顔を上げた。
目尻に涙を溜め、頬を赤くしながら彼女は叫ぶ。

「待っててあげるしか出来ないなら……じゃあ、アタシはずっと怒りながら待ってる!
 気持ちを分け合えない寂しさと、親友の力になれない自分に!」

そう言って、またすぐにすずかに背を向けてしまう。
口調こそ強いが、その言葉にはもう怒りは込められていなかった。
親友の後姿を見つめ、すずかは小さく微笑んだ。

「……いじっぱり」

「……ふんだ」



同時刻。
八神家の前に一人の男が立っていた。
右手に錫杖、左手に紙袋、行脚僧のような服装、そして鬱陶しいくらいの長髪。
見るからに怪しいその男は、インターホンを鳴らしこう言った。

「ごめんくださ〜い。桂ですけど〜」

本当にこの男は、自分が手配犯だということを認識しているのだろうか。
桂は頭に乗せていた笠を被り直し、八神宅を見上げた。
――まさか、このような形で再びここへ来ることになるとはな。
しばし、物思いに耽る。
しかしいくら経っても住人が出てくる様子がない。

「……チッ、こっちも留守か。事は一刻を争うかもしれんというのに…」

舌打ちをし、その場から立ち去ろうとする桂。
その時、彼の後ろから玄関の開く音が聞こえた。
振り向き、視線をそちらへやる。
……玄関には、留守番を任された定春が居た。

「……すっ、すみません…銀時くんいますか?」

などと言いながら定春に歩み寄る桂。
しかし、いくら定春が常識外れな犬だといっても人語は話せない。
きょとんと首をかしげ、桂をじっと見つめる定春。

「……あの、じゃあ茶菓子だけでも置いていくんで、どうぞ食べ……」

そう言って左手に持っていた紙袋を差し出そうとする。
その瞬間、突然辺りが暗闇に包まれた。
……否。
定春に、頭を丸齧りにされてしまった。
見様によっては前衛芸術に見えないこともない体勢のまま、桂はしばらくその場で固まっていた。



時間は経ち、放課後。
なのはは一人で、とぼとぼと近所の臨海公園を歩いていた。
すずかとアリサが、バイオリンの稽古のために先に帰ってしまったからだ。
だが、わざわざ寄り道をしたのは別の理由からだ。
みんなに、今の自分の顔を見られたくなかったから。
きっと今の自分は、心情を隠しきれずに消沈した面持ちをしているだろう。
そんな姿を見せたら、きっと家族に心配をかけてしまう。
だから、ひとまず気持ちを落ち着かせるために、一人ここへやってきたのだ。
ふぅ、とため息をつきベンチに座る。
目の前に広がる海は夕日に照らされ、燃えるような緋色を散りばめていた。
しかし今の彼女には、それを素直に綺麗だと思える余裕はなかった。
周りに迷惑をかけ、挙句親友を怒らせて。
つくづく駄目な子だな、自分は。
自虐的な考えを巡らせ、もう一度ため息をつく。

「ガム食うか?」

突然隣から声が聞こえた。
鬱屈そうに声の主のほうへ顔を向ける。
――本当にこの人は、いつでもどこでも現れるな。
そんなことを思いながら、なのはは困ったように笑みを浮かべた。
目の前には、フーセンガムを膨らませた銀時の姿があった。
辺りを見回してみても、他の人影はない。
どうやら、彼一人だけのようだ。

「……遠慮しときます」

「そーかい」

申し出を断られた銀時は、さして残念がる様子もなく手を引っ込めた。
そういう気分ではなかった、というのもある。
だがそれ以上に、彼の申し出を拒絶したい理由があった。
差し出されたガムの包み紙に書かれていた文字だ。
――チョコレートパフェ味。
何かの冗談かと思ったが、ガムを包み込んだ紙には確かにそう印刷されていた。
あの甘ったるい味が、咀嚼するたびに、何度も口の中に広がってくるというのだ。
考えるだけで胸焼けしそうである。
そんなキワモノ食べたくない、というのが申し出を断ったもう一つの理由である。

「…………」

しかし、ガムを拒絶したことに少しだけ後悔する。
会話が続かなくなってしまったのだ。
辺りに響く木々の揺れる音と、打っては寄せる波の音。
それ以外には、何も聞こえない。
まるで、この世界に自分達二人しかいないような感覚。
あまりの静かさに、居た堪れなくなってくる。
適当に茶を濁してその場から去ろうと、なのはは立ち上がった。

「誰にも迷惑かけたくねぇ。誰にも心配かけたくねぇ。でも目の前で困ってる奴がいたら助けてやりてぇ。
 ……信念持って行動するのはいいけどよ…」

だがなのはが口を開く前に、銀時がポツリと、そう呟いた。
喋る機を逃したなのははそのまま黙り込み、銀時の言葉に耳を傾ける。

「……お前、それに拘り過ぎて、大事なコト忘れてんじゃねーのか?」

こちらを見ようともせず、銀時はそう言った。

「……大事な…こと?」

銀時の方を見、なのはは聞き返す。
立ち上がったにも関わらず、彼の顔の高さは自分とそう変わらなかった。

「人ってのはよォ、護り護られ生きていくモンだ。オメーは自分の主張通すのに必死で、
 自分自身が、いろんな誰かに護られて生きてるってコト忘れてんじゃねーのか?」

なのはは静かに、その言葉を聞く。
銀時は言葉を続けた。

「生きてりゃ、誰かしらに迷惑かけたり心配かけたりするモンだ。
 誰にも心配されねー人間なんざいるかよ。誰にも心配されねー、気に掛けてもらえねー人間になりたいのか?」

そう言った銀時は、やはり海のほうをじっと見つめ、こちらを見ようとはしなかった。
なのはは言葉に詰まる。

――違う。
気に掛けてもらいたくないわけじゃない。
気にして欲しかった。
誰でもいい。自分をちゃんと見て欲しかった。
寂しかった。
……だから、誰にも嫌われたくなかった。
心配をかけたり、迷惑をかけたり。
そんなことをしたら、きっと嫌われてしまうと思った。
だから誰にも心配をかけないように、迷惑をかけないように。
そう生きてきた。
誰かに必要とされたかった。
そうすれば、きっとみんな自分のことを見てくれるから。
だから、自分のことをかなぐり捨ててでも、他人を助けようとしてきた。
――結局、全部自分のためだったのかな……。

銀時が不意に立ち上がった。
なのはに背を向け、ゆっくりと歩を進める。

「……ケツの青いガキが他人に気ィ使うなんざ、10年早ェんだよ。
 お前はお前のやりたいようにやればいい。お前が落ちそうになった時は、そんときゃ俺達が何度でも拾い上げてやる。
 だから……」

足を止め、こちらに振り向く。
緋色に包まれた彼の姿は力強く、また優しくもあった。

「俺達が落ちそうになった時は……そん時は、お前が俺達のこと拾い上げてくれよな」

――不思議な感覚だった。
暖かな陽の光が、ゆっくりと氷塊を溶かしていくような……そんな感覚だった。

何も求める必要はなかった。
自分を見てくれている人は、ここにいた。
自分を必要としてくれる人は、ここにいた。
いや……。
きっと自分の周りにいる人達は、みんなずっと前から。
家族も、親友も、きっとみんな……。

銀時の後姿を見送っていたなのはは、ふと今まで座っていたベンチに目を落とす。
先程差し出されたガムが一枚だけ、ぽつんと置かれていた。
何気無しにそれを手に取る。

(お前は、お前のやりたいようにやればいい)

彼のその言葉が、心の中にまで響いてきた気がした。

(私のやりたいこと……か)

包み紙を空け口に含んだそのガムは、予想の斜め上をぶっ飛んだ甘さだった。



「……そっか、喧嘩しちゃったんだ」

家に着き、自室でいつもの服に着替え、今日の出来事をユーノに話した。
案の定、彼は心配した様子でそう言ってきた。

「違うよ。……私がボーッとしてたから、アリサちゃんに怒られたってだけ」

なのはは苦笑しながら言う。
微妙な沈黙の後、ユーノが何か言おうと口を開きかけた。
だがそれよりも先に、なのはがぽつりと話し出す。

「……私のお父さんね、私が生まれてすぐの頃に、大怪我して入院しちゃったの。
 それで、お母さんはお仕事で忙しくて、お兄ちゃんとお姉ちゃんはお父さんの看病と家の手伝いで……。
 私、一人で家にいることが多かったんだ。……その頃からかな。
 『誰にも心配や迷惑かけちゃいけない』『なんでも自分でしなくちゃいけない』って思うようになったの」

ふっとため息をつき、なのはは言葉を続ける。

「……そのことで、銀さんにも怒られちゃった。
 『人は、護り護られて生きていくものだ』って」

そう言った彼女の目は酷く寂しそうで――。
放っておけば、そのまま消え入ってしまいそうだった。

「……みんな、私のことを見てくれてた。
 ……みんな、私のことを護ろうとしてくれてた。
 でも……私は自分のことで精一杯で……ずっと、そのことに気付けなかった」

自嘲気味に笑いながら、なのはは言った。

「みんなの好意から逃げて、自分の好意だけ押し付けて……。
 ……弱い子だよね、私って…」

「……なのは!」

今までずっと黙ってなのはの話を聞いていたユーノが、突然声を上げた。
何かを決意したような目で、何かを必死に訴えかけるような目でこちらを見据え、言った。

「護るから……君は、僕が必ず護るから、だから……!」

「……うん。私も、絶対に護るから。ユーノくんとの約束」

ユーノの頭にそっと手を置き、撫ぜるなのは。
突然のことに、ユーノは顔を赤くして言葉を失ってしまう。
そんな彼を見てなのはは微笑み……小さく呟いた。

「……ありがとう」

小さな、本当に小さなその言葉。
目の前の彼にも聞こえるかどうか分からない。
だが、その言葉は確かに向けられていた。
自分の大事な……本当に、護りたい人達へ。