なの魂(旧版)

その日は、春の陽気が心地いい穏やかな日だった。
しかし、それとは対称的に彼女の心は曇っていた。
マンションに戻ったフェイトは、気を失うようにしてベッドに倒れこんだ。
あの日から一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
一週間? 一ヶ月?
重たげに首を上げ、壁にかかったカレンダーに目を向けた。
……まだ一週間も経っていなかった。
ほぼ不眠不休でジュエルシードを探し続けていたため、時間の感覚がおかしくなってきているらしい。
だが彼女の奮闘もむなしく、ここ最近の収穫は全く無かった。
アルフが彼女のそばに寄り添い、悲痛な声を上げる。

「フェイト……! お願いだから、これ以上の無茶はやめてよ!
 このまま今みたいな事続けてたら、本当に死んじまうよ!」

すがるように言うアルフだったが、フェイトは微笑を作り、アルフの頬にそっと手を添えた。

「平気……だよ。……母さんのために、頑張らないと……ね」

力無く呟くフェイトの顔からは、隠し切れない疲労の色が見えていた。

「そんな無理を続けて、フェイトが倒れちまったらどうするんだよ!
 アタシは、フェイトのことが一番心配なんだよ!」

心から主の身を案じ、アルフは言いすがる。
だがしかし、フェイトは首を横に振る。
心配をかけまいと、精一杯の笑顔を作って彼女は言った。

「心配いらないよ……ちょっと、疲れただけだから……。
 ……少し休んだら、また探しに行くね……」



なの魂 〜第十五幕 就職先は慎重に選ぼう〜



その日の真選組屯所は、実に平和だった。

「へェ〜。寺門通、レコード大賞で新人賞受賞か〜。スゲーな」

そう言って新聞を読みふける近藤。
その隣から、土方が近藤の新聞を覗き込むように見ていた。
顔前に大きく広げられた新聞により、二人の表情は読み取れない。

「違う違う、その上の記事」

土方が無愛想に呟く。

「へェ〜。連続婦女誘拐、またも犠牲者。恐えーな。でもお妙さんは絶対大丈夫だよな〜」

「違う違う、その右の記事」

そう言って土方は、紙面のとある部分を指差す。
そこには、バズーカを担いだ見知った人物の写真と共に、大きな文字でこう印刷されていた。

――真選組、またやった!? 喫茶店半壊。
        真選組一番隊隊長(ドS王子)沖田総悟氏(18)

「へェ〜。また総悟がやったか〜。責任はお前がとってくれよな〜」

「違う違う、アンタのせい」

そう言い合い、新聞を下ろす二人。
彼らの顔からは、まるで滝のように冷や汗が流れ落ちていた。



「で、どーすんだよ。近藤さん。最近の不祥事でウチの信用、どんどん急落してきてんぞ」

走り去る車、車、車。
喧騒な車道を横に、土方は心底面倒くさそうに煙草に火をつけた。
現在彼は近藤、沖田と共に市中見回り兼今後の方針の会議を行っていたのであった。
そんな彼の横で、沖田が右手を上げて事も無げにこう言った。

「大丈夫でさァ、土方さん。ウチの信用なんざ、元からあってないようなもんですぜ。これ以上落ちることはありやせんて」

「誰のせいでこんなに悩んでると思ってんのォォォォォ!?」

沖田の胸倉を締め上げる土方。
さすが真選組随一のトラブルメーカー、沖田総悟。
自分が起こした数々の騒動は、とっくの昔に戸棚の奥にしまってしまったようだ。

「落ち着けトシ。総悟に当たったところで、状況は変わらん。
 まずは俺達に付いた物騒なイメージを払拭する必要がある」

そんな彼らを宥めるように近藤は言い、名案がある。と腕を組んで二人に告げた。

「マスコットだ。何かこうピーポくん的な、純粋な子供達が親しみやすいマスコット的なキャラが必要だと俺は思うんだが」

子供に良い印象を持ってもらえれば、自然とその評判は大人達にも伝わっていく。
そのためには、分かりやすい視覚的な物、愛らしいマスコットが必要なのだと近藤は考えたのだ。
しかし沖田は、彼の意見には同意しかねる様子だった。

「近藤さん。クソ生意気なガキ共より、大人の心に直接訴えかけることが出来るキャラの方がいいと思いやすぜ」

妙案がありやすぜ。と人差し指を立てて彼は言った。

「薄幸の美少女的な、萌え系路線のキャラなんてどうですかィ。上手くいきゃ、関連グッズでウチの台所事情にも潤いが」

「それただの守銭奴ォォォ! 余計イメージ悪くなるわ!」

再び沖田の胸倉を締め上げ、揺さぶりまくる土方。
というか、そんなことをしても十中八九オタクの心ぐらいしか動かせない。
どう考えてもまともな大人は引くだろう。
ひとしきり沖田の揺さぶった後、土方は額を押さえため息をついた。
彼の吐息と共に煙草の煙が吐き出される。

「……ったく。着ぐるみだかイメージガールだか知らねーが、そんなもんで簡単に人心が動かせるわけねーだろ。
 だいたい薄幸の美少女ってお前、今時そんなヤツいるわけ……」

呟き、ふと視線を前へ向けた。
少し前方の、歩道の脇に建てられたコンビニから、小柄な少女が座った車椅子を押しながら銀髪の男が出てくるのが見えた。
銀髪の男はこちらの姿を認めた途端、顔をしかめ踵を返そうとする。
しかし少女は、むしろ嬉しそうな表情をこちらへ向けてきた。

「あ、お久しぶりです〜」

笑顔で手を振る少女を見、三人が思ったことは一つだった。
すなわち

(いたよオイ!)

である。

「え、何? お前ら普通に挨拶とかしちゃう仲なの?」

銀髪の男、銀時が車椅子に座った少女、はやてに問いかける。
はやては銀時の疎ましげな表情を気にも留めず、嬉しそうに答える。

「うん! ほら、前に温泉に行ったときにな〜……」

「八神の嬢ちゃんんんんん!! 俺達に力を貸してくれェェェェェ!」

土方と沖田の冷たい視線を浴びながら、近藤は凄まじい勢いではやての前で土下座した。



「マスコット?」

頭上に疑問符を大量に浮かべながらはやては問い返す。
土下座の姿勢のまま動かなかった近藤は、顔を上げて懇願する。

「頼む! 俺達に染み付いた、男だらけのムサいイメージを拭うために嬢ちゃんの力が必要なんだ!」

そのあまりの気迫に、思わずたじろぐはやて。
すると銀時が、仁王立ちで二人の間に割って入ってきた。
近藤を不愉快そうに見下ろし、悪声を浴びせる。

「オイふざけんなよゴリラ。テメーらなんぞにはやてを預けるなんざ、飢えたピラニアの群れに松坂牛放り込むようなもんじゃねーか。
 近寄っただけで妊娠するわボケ」

「大丈夫でさァ、旦那。顔さえ撮らせてもらえりゃ、あとは合成でなんとかしますんで」

しかし沖田は銀時の発言に気分を害した様子も無く、数枚の写真を手にとって銀時に言った。
その写真には、なぜか水着姿のグラマーでキレイなねーちゃん達が。

「合成ってお前コレ首から下グラビアアイドルじゃねーか! もう原型留めてねーよ!」

「つーか、何でお前が仕切ってんだよ。俺達ゃ八神の嬢ちゃんと話してんだよ。すっこんでろ天パ」

怒鳴る銀時の胸倉を、土方が忌々しそうに言いながら掴みあげた。
この二人、お互いを気に食わない相手と認識しているらしく、顔を合わせるたびにいがみ合いをしているのだ。
銀時は疎ましそうな顔で土方に言い返す。

「オイオイ、何言っちゃってんですかお前は。コイツはもう万事屋のマスコットとして確立されてんだよ。
 どーしてもコイツに仕事を頼みてーってんなら、まず俺を通してからにしてもらおうか」

「へ? そうなん?」

はやてが不思議そうな……だが、なぜか少し嬉しそうな顔をして銀時に尋ねる。
それを聞いて土方は、さらに凄みを増して銀時に顔を近づけた。
くわえた煙草の火が銀時の肌に触れそうになる。

「テメっ、大嘘ぶっこいてんじゃねーぞコラ。今初めて聞きましたって顔してるじゃねーか」

「ウソじゃないですぅ。もう名刺も作ってますぅ」

不快感をあらわにし、銀時は土方の手を払いのける。
そして懐から一枚の小さな紙を取り出した。
手のひらサイズのその紙には、確かに「万事屋 八神はやて」と印刷されていた。
いつの間に作ったんだ。

「ンないかがわしい場所に就職させられちゃ嬢ちゃんが可哀相だろーが。
 嬢ちゃんには真選組のマスコット兼屯所の食堂の看板娘的な仕事をしてもらう」

「んだとテメっ」

「んだとコラ」

お互いの胸倉をつかみ合い、再びにらみ合いを続ける土方と銀時。
挙句には小学生のような口喧嘩までおっ初めてしまった。
そんな彼らを見て、はやては冷や汗をたらしながらポツリと呟く。

「あ、あのー……なんか、話が変な方向に進んでってるような……」

『お前は少し黙ってろ』

「は、はいぃ!」

凄まじい気迫ではやてを一括する二人。
そのあまりの圧迫感に、はやては思わず萎縮してしまった。
なんということだ。
はやてはこの歳で、もう将来の就職先が決まってしまうというのだろうか。

「……ん?」

そんな時、沖田がいぶかしげな声を上げた。
彼は銀時達の向こう、一台の車が信号待ちをしている横断歩道の方を見ていた。
右手を上げ、その横断歩道を渡る一人の人物を指差す。

「土方さん。取り込み中に悪ぃんですが……アレ」

「あ?」

不機嫌そうに土方は沖田の指差したほうを見る。
銀時や近藤達、その場にいた全員も同じようにそちらを見た。
そこでは、長い金髪をツーテールにした、はやてと同い歳くらいの少女が横断歩道を渡っている真っ最中だった。
消沈した面持ちで、おぼつかない足取りで横断歩道を渡るその少女の姿は、ひどく疲弊しているように見えた。

「……オイ、ありゃァこないだの……」

見覚えのある少女に、不信感を募らせる土方。
その時だった。
少女のさらに奥から、大型のトラックが勢いをつけて横断歩道へ突っ込んでくるのが見えた。
そのトラックは止まろうとする素振りを見せるどころか、むしろさらに勢いを増してこちらへ突っ込んでくる。
しかし、少女はそのことに気づいていない様子だ。
脇見運転か、それとも飲酒運転か。
どちらにせよ、このままではあの少女の命が危ない。

「……っ!? 総悟!」

その場から駆け出そうとする土方。
その隣では、沖田がバズーカを構えながら少女のほうを見据えていた。

「合点でさァ」

「何に対しての合点んんんんん!?」

「トラックに轢かれて内臓ブチ撒けるくらいなら、コイツで綺麗さっぱり消し飛ばしてやろうっていう俺の良心でさァ」

「血も涙もねーのかお前は!?」

非常時にもかかわらず漫才を繰り広げる迷物コンビ。
そんな彼らの隣を、二つの何かが凄まじい勢いで駆け抜けていった。
驚き、二人はその"何か"を見る。

『ん待て待て待て待て待てェェェェェ!!』

叫ぶ二人の男。
必死な形相で少女の元へ向かう、銀時と近藤の姿がそこにあった。

「近藤さん!?」

「銀ちゃん!!」

驚き叫ぶ土方とはやて。
だが無常にも、トラックは少女のすぐそばまで迫っていた。
そしてその時になってようやく少女はトラックの存在に気付く。
顔を上げ、眼前に迫る巨大な質量の塊に大きく目を見開く。
もはやこの距離では逃げることも叶わない。

「歯ァ食いしばれボケェェェェェ!!」

突如聞こえてきた怒鳴り声。
少女は驚き、声のした方へ顔を向けようとした。
直後、少女の身体を衝撃が襲う。
灰から空気が押し出され、脳が揺さぶられるような感覚。
意識が暗転する直前に彼女の耳に入ってきたのは、巨大なブレーキ音。
そして、何かが吹き飛ばされ、折れるような生々しい嫌な衝突音だった。

一体自分の身に何が起こったのだろうか?
身体を起こし、少女――フェイトは状況の整理を行う。
道を渡っていたら、突然目の前に大きな何かが現れて……そうだ、その直後に誰かに蹴り飛ばされ、自分は気を失ったのだ。
一体どれくらいの時間、気を失っていたのだろうか?
そう思い、辺りを見回す。
彼女の周りにはまばらな人だかりが出来始めていた。
その事を不審に思い、フェイトは車道の方へ目を向け……言葉を失った。
彼女の眼に映し出されたのは、道路に深々と残されたブレーキ跡。
そしてバンパーの凹んだトラックと、頭から血を流し倒れ伏す二人の男性の姿だった。
フェイトは、自分の顔から血の気が引いていく感覚を覚えた。
頭の中が真っ白になり、まともな思考ができなくなる。
ただ恐かった。
とにかくその場から逃げ出したかった。
見覚えのある、目つきの悪い男がトラックの運転手に何かを怒鳴り散らしているのが見えたが、
彼女にはそんなことを気に留める余裕など、もはや無かった。
フェイトはその場から立ち上がり、人ごみを掻き分け、その場から逃げるように走り去っていった。



「……え……?」

眼前で起こった状況に対し、はやては呆けながらそう呟くしかなかった。
目の前で、人が飛んだ。
まるで蹴り飛ばされたボールのように、いとも簡単に宙に浮かんだ。
嘘みたいに高く飛んだ後、二人の男のうち一人がはやての目の前で地面に衝突した。
鈍い、嫌な音がした。
少し遅れて、男の頭部から毒々しい赤の液体が流れ出す。
粘り気のあるその液体は、見る見るうちにその場に大きな血溜りを作り出していった。
男の白銀の髪が、赤黒く染まっていった。
男はピクリとも動かなかった。

「オイコラァ! 免許と首だせやボケェェェ!!」

トラックのドアを蹴り飛ばしながら、土方が恐ろしい剣幕で怒鳴りたてる。
沖田は珍しく焦った様子で、携帯電話で救急車を呼び出す。

はやては、その場から身動き一つ取ることができなかった。



病院へ駆けつけた新八と神楽を出迎えたのは、見舞いを終え帰路に付く途中の高町一家であった。

「ああ、新八くん……」

心配をかけまいと平静を努め、士郎は新八を見る.。

「士郎さん! 銀さんは!? 銀さんは大丈夫なんですか!?」

大声でまくし立てる新八。
彼を宥めるように士郎は言う。

「心配いらないよ。車に撥ねられたくらいで死ぬようなタマじゃないからね、彼は。ただ……」

最後の方になるにつれて、士郎の表情が暗くなっていくのが目に見えて分かった。
不安をあらわにし、新八は問う。

「ただ……何ですか?」

「その……実際に会ってみれば分かると思います……」

浮かない様子で、なのはがそう答えた。
何か釈然としないものを感じ、首をかしげる新八と神楽。
そんな彼らに軽く会釈をし、士郎達はその場から立ち去っていった。
新八達は顔を見合わせる。
……不安ではあるが、まずは会ってみないことには何も分からない。
意を決し、病室の扉を開けようとしたその時、士郎達が去っていった方とは逆の方向から、新八達に声がかけられた。

「すまない、新八殿。遅くなった」

「銀時さん、大丈夫なんでしょうか……?」

心配そうに声をかけてきたのはシグナム達であった。
浮かない顔をする彼女らであったが、特にシャマルに車椅子を押されて現れたはやては、
見ていて痛々しいほど沈痛な面持ちをしていた。

「…………」

押し黙り、膝の上で組んだ手をじっと見続けるはやて。
新八達は何とか重苦しい空気を取り除こうと、どもりながらはやてを励ます。

「あー、でも、その、怪我自体は大した事無いらしいから、ね!」

「はやてが気にすることじゃないネ。銀ちゃんが勝手に車に突っ込んで、勝手に撥ね飛ばされただけアル」

「けどさー。そのガキも恩知らずだよな。自分を助けてくれた奴が大怪我してんのに、何もせずに逃げちまうなんてよ」

ヴィータは口を尖らせながらそう言う。
車に撥ね飛ばされるはずだった少女は、気がついたときにははやて達の前から姿を消していたという話だった。

「……とにかく、一度銀さんに会おう」

そう言い、新八は病室の扉に手をかけた。



病室に入り最初に目に入ったのは、ボーっとベッドの上で俯く銀時の姿だった。
頭に巻かれた包帯が痛々しいが、それ以外には目立った外傷はなさそうだった。

「なんだ。案外元気そうじゃんか」

ホッとした様子でヴィータは言う。
はやても銀時の無事な様子を認め、ぱぁっと表情を明るくする。

「もォー! アンタはホンマに心配ばっかりかけてー!」

「……なんで関西弁?」

ベッドに駆け寄り怒り出す神楽。
新八は彼女に、冷ややかなツッコミを入れる。
そんな彼女らを見、シャマルは微笑む。

「本当に心配したんですよ、銀時さん。はやてちゃんなんてわんわん泣いちゃって、宥めるのが大変だったんですから」

「な、泣いてなんかないぃ〜!」

顔を真っ赤にして、はやては腕をぶんぶん振り回す。
まるで小動物のような彼女の行動を見て、シャマルは口元を押さえて小さく笑った。

「心配しましたよ、銀さん……エラい目に遭いましたね」

安心した様子で銀時に話しかける新八。
だが、返ってきた返事は彼らの予想の斜め上をぶっ飛んだものだった。

「……誰?」

「え?」

凍りつく空気。
素っ頓狂な顔で銀時を見る一同。
銀時はそんな居た堪れない空気をものともせず言葉を続けた。

「一体誰だい、君達は? 僕の知り合いなのかい?」



「いいいいいいいいいい!!? 記憶喪失ゥ!?」

とんでもない事実を押し付けられ、新八は絶叫した。
彼の前に立つ、ブラックジャック似の医者は顎に手を当てながら唸った。

「ケガはどーってことないんだがね。頭を強く打ったらしくて……。
 その拍子に、記憶もポローンって落としてきちゃったみたいだねェ」

「落としたって……そんな自転車のカギみたいな言い方やめてください」

「事故前後の記憶がちょこと消えるってのはよくあるんだがねェ。
 彼の場合、自分の存在も忘れちゃってるみたいだね……ちょっと厄介だな」

そんなやり取りを続ける彼らの後ろ。
僅かに開けられた病室の扉の隙間から、二人の女性が室内を覗き込んでいた。



「……な、なんだか大変なことになってるっぽい?」

大きなサングラスをかけたアルフが冷や汗をたらし、部屋を覗き込みながらそう呟いた。

「う、うん……」

同じように冷や汗をたらし、フェイトはサングラスを取りながら頷いた。
まさか大怪我をさせた上に記憶喪失までさせてしまうとは。
フェイトの表情が見る見るうちに曇っていく。
彼女の様子を見て、アルフは遠慮がちに口を開いた。

「……こんなこと、今さら言うのもなんだけどさぁ。こんなことする意味あるの?
 アイツら、アタシ達の敵なんだよ?」

そう言って、フェイトが後ろ手に持った小さな紙箱に目をやる。
敵の怪我を見舞いに来るなど、それこそ銀時が言っていたように、ピラニアの群れに投げ込まれる松坂牛のようなものだ。
しかしフェイトは目を伏せ、首を横に振った。

「……でも、あのお兄さんは、身体を張って私を助けてくれたから……」

辛そうな目で彼女は呟く。
以前自分と相対した男が何故自分を助けてくれたのか。
理由は分からなかった。
だが、己の命も顧みずに自分の命を助けてくれたのは事実だ。
何とかして、その恩は返さないといけない。
覚悟を決めて中に入るべきだろうか。
フェイトがそう思ったその矢先だった。

「……そこで何をしている」

彼女の首筋に、突然刃が突きつけられた。
驚き顔を上げると、髪をポニーテールに結わえた女性が西洋風の刀剣を手に自分を睨み付けていた。

「ひっ……!」

その威圧感に、思わず上ずった声を上げるフェイト。
そして運の悪いことに、病室にいた一同がその声に気付きフェイトの方へ視線を向けてしまった。
無論、フェイトの天敵である神楽もである。

「……あ」

思わず固まるフェイト。
佇む彼女を見つけた神楽は、鬼のような形相で番傘を振りかざしフェイトに飛び掛ろうとする。

「てンめェェェ! よくも抜け抜けと面出しやがったなァァァ! もしかしてお前か!
 お前のせいで銀ちゃんこんななったアルか!?」

そんな神楽を、新八とヴィータが必死になって羽交い絞めにする。

「お、落ち着けェェェ神楽ちゃん! 近くに怪我人いるから!」

「事情はよくわかんねーけど、こんなトコでそんなもん振り回すなって!」

物騒な刀剣を片手に、年端もいかない少女を威嚇する女性。
凄まじい気迫でその女の子に襲い掛からんとする少女。
どう見ても危ない集団である。
そんな彼女らの姿を見て医者は言う。

「おやおや、血気盛んなお嬢さん達だ。頼むから流血沙汰だけは勘弁してくれよ」

「なんでそんなに冷静なんですか!? もしかしてアレか!? ヤーさん御用達だったりするのかこの病院!?」

ツッコむ新八。
入り口では、フェイトがオドオドしながらこちらをずっと見ていた。
アルフはその後ろからシグナムをキッと睨みつける。

「あ……その……えっと……」

フェイトは怯える様な目でベッドの上の銀時と、自分に剣を向ける女性を交互に見る。
そんな彼女に興を削がれたのか、シグナムはため息をつきながら剣を下ろした。
無論、警戒は解かないままだが。
そのことに若干安堵しつつ、フェイトは銀時に向かって頭を下げた。

「……ごめんなさい」

返事は聞こえてこなかった。
しかし、部屋を覆いつくしていた険悪な空気は、確実に薄れていっていた。
先ほどまで暴れていた神楽は急に鳴りを潜め、シグナムと共に奇異なものを見るかのような目でフェイトを見る。
いまいち状況を把握しきれず沈黙するシグナム達。
そんな中、はやてが車椅子を動かしてフェイトの目の前まで行き、そっと手を伸ばした。
反射的にフェイトは目を瞑る。

「……恐かってんな」

はやてはそう呟き、微笑みながらフェイトの頭をそっと撫でた。
フェイトは驚いたような表情ではやてを見る。

「いきなり目の前にトラックきたと思ったら、急に突き飛ばされて……気がついたら、目の前に血だらけになった人が倒れてて……」

優しく頭を撫でつつ、はやては言う。
フェイトは申し訳なさそうに、今にも泣きそうな表情で力なく頷いた。
そんな彼女に微笑を向け、頭に乗せていた手を頬に添えた。

「……あかんよ」

不意にそんな声が聞こえた。
フェイトは顔を上げる。

「せっかく助けてもらってんから、もっと嬉しそうな顔せなあかん。それが、銀ちゃんにできる一番のお礼や」

そう言って優しく微笑む少女の顔が、目の前に広がっていた。
ドキリと、フェイトは自分の心臓が高鳴った感覚を覚えた。
今まで感じたことの無かった不思議な感覚。
胸の中が暖かくなってくるような感覚だった。

「……あの……」

未知の感情に戸惑いつつ、フェイトは後ろ手に持った紙箱を前に突き出す。

「これ……っ!」

そして半ば強引に紙箱をはやてに渡し、一歩下がって病室から出る。

「それと……伝えてください……"ありがとう"って……」

そう言って一礼し、パタパタと足音を立てながらフェイトはその場から逃げるように去っていってしまった。
アルフも不機嫌そうな顔で軽く会釈だけしてその場から立ち去る。

「あっ……」

はやてが止める間もなく、彼女らは廊下の曲がり角に消えてしまった。

「何なんだ、あれ?」

「さ、さあ……?」

ヴィータと新八があっけに取られた様子で呟く。
が、答えるものは誰もいない。
しばらくの沈黙の後、新八は深刻そうな面持ちで医者に向き直った。

「先生、一体どうしたらいいんですかね?」

医者は少しの間黙考し、答える。

「人間の記憶は、木の枝のように複雑に絡み合ってできている。その枝の一本でもざわめかせれば、他の枝も徐々に動き始めていきますよ。
 まァ、あせらず気長に見ていきましょう」



「万事屋銀ちゃん……ここが僕の住まいなんですか?」

自分の住処を目の前に、銀時はそう呟いた。
はやて達を家に帰した後、もしかしたら自宅に戻れば記憶が戻るかもしれないと思い
新八と神楽が彼をここへ連れてきたのだ。

「はい。銀さんは、ここでなんでも屋を営んでいたんですよ」

「なんでも屋……ダメだ、何も思い出せない」

頭を抱え、苦しげな表情を見せる銀時。
そんな彼に、神楽が追い討ちをかける。

「まぁ、なんでも屋っつーかほとんどなにもやってないや。プー太郎だったアル」

「プぅぅぅ!? この歳でプぅぅぅ!?」

思わず叫ぶ銀時。
記憶を失ったことで常識人となってしまった銀時にとっては、受け入れがたい事実だろう。
だが事実は事実。
受け入れるしかない。

「おまけに年中死んだ魚のような目をして、ぐーたら生きる屍のような男だったアル」

「家賃も払わないしねぇ」

「あと、ネットの掲示板に変な書き込みもしてたわねぇ」

「……いや、それお母さんでしょ……」

銀時達の後ろで、高町夫妻となのはが口々に言う。
意外と容赦が無い夫婦である。
銀時は冷や汗をかきながら頭を項垂れた。

「どーです? 何か思い出しました?」

「思い出せない……っつーか、思い出したくないんですけど……」

「しっかりしろォォォ! もっとダメになれ! 良心なんか捨てちまえ、それが銀時だ!」

神楽が叱責するが、どうやら本当に思い出せない様子だ。
新八は困り果てた様子で士郎を見る。

「どうしましょう、士郎さん」

士郎は腕を組んで考え込む。

「そうだね……江戸の町、ぶらりと回ってきたらどうだい?
 彼は江戸中に枝を張ってるからね。記憶を呼び覚ますきっかけなら、きっとたくさん転がっていると思うよ」



「何? 記憶喪失? それは本当か? 何があった。詳しく教えろ、銀時」

歓楽街で偶然出会った桂は、銀時の肩に手を乗せ真剣な眼差しで銀時の目を見た。
新八は呆れたような表情で言う。

「だから記憶ないって言ってるでしょーが。てか、桂さん何やってるんですか」

訝しげな顔で桂を見る新八。
それもそのはず。
今の桂は白い鉢巻に派手な法被。手には大きなのぼりという出で立ちだったのだ。

「国を救うにも何をするにも、まず金がいるということさ。そこのお兄さーん、ちょっとよってって! カワイイ娘いっぱいいるよー!」

そう叫んでキャバクラの呼び込みをかける桂の姿は、国を憂う革命家とは程遠かった。
同業者が見たら泣くぞ。
そんな彼はふと、何かを思いついたように銀時を見る。

「そうだ銀時。お前もよっていけ。キレイなネーちゃん一杯だぞ。嫌なことなんか忘れられるぞ」

「これ以上何を忘れさせるつもりですかァ! アンタらホントに友達!?」

怒鳴る新八。
すると突然、彼の隣にいた銀時がフラフラと桂の方へ歩み寄っていった。

「何か思い出せそうな気がする……行ってみよう」

「ウソつけェェェ!!」

新八が銀時の頭を蹴り飛ばす。
思わぬ強襲を受け、銀時は地面と壮絶な接吻をした。
後頭部を押さえ、その場で打ち震える。
と、急にハッとした表情で銀時は顔を上げた。

「あっ、今ので何かきそう! 何かここまできてる!」

「本当か! 思い出せ銀時! お前は俺の舎弟として日々こきつかわれていたんだ!」

「オイぃぃぃ!! 記憶を勝手に改竄するなァ!」

危うくテロリストの一員にされそうになる銀時を、新八がなんとか食い止める。
そんな彼の脇を通り、神楽が銀時の眼前に座り込んだ。

「どのへんアルか。どのへん叩かれたら記憶が刺激された? ここアルか? ここか?」

そう言って神楽は銀時の頭を殴り始めた。
容赦なく。
徹底的に。

「いや、このへんだろ。アレ? このへんか?」

同じように桂も銀時を殴り始める。
彼らの下からは、銀時の悲痛な叫びが聞こえてきた。


「しっかし、大丈夫なんですかねィ」

パトカーの運転をし、市中見回りを継続していた沖田は不意にそんなことを言った。
助手席に座っていた土方は、煙草をくゆらせる。

「意識はまだ戻ってねェが、怪我の方は大したことねーらしい。まァ、近藤さんがあの程度でくたばるたァ思ってねーが」

事故に遭った近藤のことを言っているのだろうと思い、そう答える土方。
しかし沖田は、それは違うと片手を振った。

「ンなこたァ言われなくても分かってまさァ。そっちじゃねーですよ。
 万事屋の旦那ですよ。明らかに近藤さんより血ィ流してたじゃねーですかィ」

いけ好かない銀髪の侍。
あの男が、そう簡単にくたばるとは思えないが……。
そこまで考え、土方は頭を振る。
何が悲しくてアイツの心配なんかしなきゃならないんだ。

「……アイツがどーなろうと、俺の知ったこっちゃねーよ」

そう言って土方は煙を吐き出す。
その時、彼らの耳に突然騒ぎ声が聞こえてきた。
時折悲鳴のようなものも聞こえてくる。
不審に思い、声の元へ視線を向けた。
視界の隅、道端に小さな人垣ができていた。

「……何の騒ぎだ、喧嘩か? 久しぶりにやるか……ん?」

そう呟き、パトカーから降りようとする土方。
だがしかし、彼は人垣から見え隠れする、とある人物を見てハッとした顔をする。
見慣れたバカ面と鬱陶しい長髪。
間違いない、あの男は……。

『かーーーつらァァァ!!!』

「ぶぅおわっ!!」

凄まじい勢いで、沖田と土方はパトカーごと人垣に突っ込んだ。
途中で一般人を轢きそうになったが、なんら問題ない。
殺気満々で突っ込んでくるパトカーを見た途端、人垣は蜘蛛の子を散らすように逃げていったからだ。
パトカーはそのまま傍の店に突っ込み、轟音を上げる。

「な、ななな何ィィィ!?」

すぐ隣で腰を抜かした新八が喚くが、土方達はそれを華麗に受け流した。

「殺ったか?」

殺気立った目で問う土方。
しかし沖田は彼の質問に答えず、足元に落ちていた異物を不思議そうな目で見ていた。

「アリ? 土方さん。こんな荷物ありましたっけ?」

沖田が拾い上げたそれは、デジタル時計のようなものが付いた、真ん丸な鉄製のボールだった。
ピッピッと音を立てる不審なボールを見、土方は冷や汗をたらした。

「……総悟、逃げるぞ」

「え?」

直後、パトカーが大爆発を起こした。
凄まじい轟音と衝撃波を巻き起こし、辺りは黒煙に包まれる。

「フン、芋侍が。家でチャンバラごっこでもしているがいい」

いつの間にかパトカーの背後に回りこんでいた桂が、爆炎を背景に長髪をたなびかせながらクールにそう呟いた。
同時に聞こえてくる、荒々しい足音と鍔鳴りの音。
桂は驚き、パトカーの方へ振り向く。

「いや! 今日はつきあってもらうぜェ桂ァァァ!」

全身煤まみれ、焦げ跡だらけの土方と沖田が、敵意剥き出しで爆炎の中から躍り出てきた。
桂は鼻を鳴らしながらその場を走り去る。

「フン、やるな」

「待ちやがれェェェ!!」

それを追い、土方達もその場から走り去る。
後に残されたのは、炎上するパトカーと店舗。
そして爆風で吹き飛ばされた、哀れな姿の銀時であった。

「銀ちゃん!」

「銀さん、しっかりしてください!」

銀時の傍へ駆け寄る新八と神楽。
天地逆さで壁に身体を打ち付けられた銀時は、虚ろな目でこう応えた。

「君達は……誰だ?」



「まぁ……それじゃあ、結局何も……」

一縷の望みを賭け、はやての家にやってきた銀時達。
リビングのテーブルに着いた銀時を見て、シャマルは口元を押さえながらそう呟いた。

「スミマセン」

申し訳なさそうに頭を下げる銀時。
そんな彼の眼前に、ひょっこり顔を出すヴィータ。

「なぁ、アタシらのことは覚えてるよな?」

「いや、今スミマセンって言ったばっかじゃないか」

ツッコむ新八だが、ヴィータはそんなことを意に介さず言葉を続ける。

「いや絶対覚えてるって。ふざけんなよ」

そう言って銀時の胸倉をつかみ、顔を近づける。
それこそ鼻と鼻が触れ合いそうなほどの至近距離で、ヴィータは一気にまくし立てた。

「交通事故の次は記憶喪失だぁ? お前どれだけはやてに心配かければ気が済むんだよ。
 もうこの際アタシらのことはいいからさぁ、はやての事だけでも思い出してやれよ!」

息を荒げながら言うヴィータ。
銀時は胸倉をつかむヴィータの腕をそっとつかみ、至極真面目に言い返した。

「すみません。今はまだ思い出せませんが、必ずあなた達のことも思い出します。それまでしばしご辛抱を」

死んだ魚のような濁った目。それさえ除けば、銀時はそこそこ二枚目である。
しかし記憶を失い真人間へと変貌した今の彼は、キリッとした顔立ち、程よく近づいた眉と目、そして澄んだ瞳を持ち合わせた
かなり高レベルなイケメンへとランクアップしていた。

「……フ、フン」

ヴィータは何故か頬を薄い赤に染め、銀時の手を払いのけた。
そして俯き、何かぶつぶつと言い始める。

「……ま、まあ過ぎたことをグダグダ言っても仕方ねーしな。大事なのは、これからをどう生きていくかってことだ」

「なにィィィ! 急に変わったよ! 何があった!?」

「そうね。昔の銀時さんは永劫に封印して、これからはニュー銀時さんとして生きていけばいいんですよ」

銀時の向かいに座っていたシャマルも、何故か顔を赤らめながらそんなことを言い出す始末。
これには新八も理不尽なものを感じ、大声で言い返す。

「ちょっとシャマルさんんんん!? それ臭い物にフタの原理じゃないですか! ……あっ、臭い物って言っちゃった」

大慌てで口を塞ぐ新八。
そんな彼の後ろから、シグナムが何食わぬ顔で言い放つ。

「何を言うか新八殿。あのようなちゃらんぽらんな銀時殿より、今の銀時殿のほうが余程男らしいではないか」

「ちょいちょいちょい! アンタまで何言ってんですか!?」

なんやかんやで、彼女もあの性格と言動には不満を持っていたらしい。

「……あ、そや」

そんな彼女の隣で、はやてが何かを思い出したようにポンと手を打った。
いそいそと冷蔵庫へ向かい、その中からひとつの小さな紙箱を取り出す。

「これ、さっきの子から預かっててんけど……」

そう言ってはやては紙箱をテーブルの上へ置き、開いた。
中には何の変哲も無いショートケーキが二個入っているだけだった。

「こ……これは……」

しかし銀時はそれを食い入るように見つめる。
そして何かに誘われるように、箱に顔を近づけていった。

「なんだろう、不思議だ……身体が勝手に引き寄せられる……」

彼の不可解な言動を見、新八は最初は首をかしげていたが、すぐにあることに気付いた。
そうだ、たしか彼の好物は……!

「あっ……甘い物!」

「そうネ! 甘い物食べさせたら記憶が蘇るかもしれないヨ!」

叫び、ショートケーキを無理やり銀時の口にねじ込む神楽。
もう本当に情け容赦ない。

「うらァァァァァ! 食えコノヤロー!」

「ぐぼォ!」

と苦しげに腕を振る銀時なのだが、そんなことはお構い無しである。
ようやく一つ目のケーキを無事に胃袋に収める事ができたかと思えば、すぐに二個目のケーキが飛んでくる。
ほとんど地獄だ。

「みんな、甘い物だ! とにかく家中の甘い物をかき集めてくるんだ!」

「承知した。行くぞシャマル!」

「ええ!」

新八の指示に従い、シグナムとシャマルは台所へ向かう。
リビングでは、神楽が必死に銀時の身体を揺さぶっていた。

「銀ちゃん! 戻ってきてヨ銀ちゃん!」

「う、う……ぼ……僕は……僕は……」

口の中に甘ったるい味が広がる。
なんだろう、この懐かしい感覚は?
俯き、うわ言の様に銀時は呟きだした。
そして……。

「……俺は」

銀時の目が大きく見開かれた。
一人称も"僕"から、いつも通りの"俺"に。
まさか本当に記憶が戻ったのか?

「銀ちゃん!」

「銀さっ……」

「フンっ!」

喜び、歓喜の表情を見せる二人。
彼らの前で、突然何者かが銀時の口に何かを突っ込んだ。
凄まじい勢いで銀時はその場に倒れ込む。
新八は冷めた目で、その人物に視線を送った。

「……あの、シグナムさん……。なんですか? それ」

「いや、シャマルが持っていけというので、とりあえず持ってきたのだが……」

そう言って表情一つ変えないシグナムの後ろから、シャマルがやってきた。
柔和な笑顔で彼女は語る。

「卵焼きですよ。初めて作ったので、お口に合うか分かりませんが……」

何故か固まる新八と神楽。
あれ? 何だろう、すっごいデジャブ。
二人は卵で大量殺戮兵器を生み出す、とある人物の顔を思い浮かべた。

「あ、あのでも! お砂糖一杯入れたから、多分大丈夫だと……!」

そんな二人の不安げな表情を見て、シャマルはその場を取り繕おうと懸命に努める。
が、彼女の努力も徒労に終わってしまうことになる。

「君達は……誰だ?」

顔を上げた銀時が、そんなことを呟いたのだ。
辺りを包む気まずい空気と沈黙。
ついに耐え切れなくなったシグナムが、シャマルの肩をつかんで怒鳴る。

「……おい! 治るどころか悪化しているではないか!」

「え、えぇぇ!?」

困惑するシャマル。
頭を抱え込む新八と神楽。
銀時はそんな彼女らを不思議そうに見つめていた。



「……すみません。色々手を尽くしてくれたのに。結局、僕は何にも……」

夕日に染まった商店街を歩き、銀時は申し訳なさそうにそう言った。
彼の両脇を歩いていた新八と神楽は、彼を気遣うように話しかける。

「やめてくださいよ、銀さんらしくない。銀さんは90%自分が悪くても、残り10%に全身全霊をかけて謝らない人ですよ」

「そうネ。ゆっくり思い出せばいいネ。私達、待ってるアルから」

「とにかく、今日は家に帰ってゆっくり休みましょ」

「そーネ。もしかしたら、何か思い出すかも……」

そう言ってすぐ目の前までやってきた万事屋を見上げ……彼らは言葉を失った。
万事屋があった場所には黒焦げになった瓦礫の山が出来上がっており、そこからもくもくと白い煙が立ち昇っていたのだ。
ついでに言えば、どういう因果か一階部分はまったくの無傷である。

「……何コレ?」

口の端を引きつらせながら新八が呟く。
翠屋店舗前でボーッと万事屋を見上げていたなのはがこちらに気付き、困惑した様子で答えた。

「あー……その、えっと……。
 ……い、隕石が降ってきたみたいで……」

「ちょっと、信じがたい話だけどね……」

傍にいた士郎も、ため息をつきながらそんなことを言う。

『ウソォォォォォ!?』

きっかり三秒、その場で固まった後に新八と神楽は絶叫した。
隕石が直撃?
しかも万事屋だけピンポイントで粉砕?
どんな天文学的数字だ。
こんなモンに当たるんなら、宝くじの一つでも当たってくれ!
そもそもこれって本当に現実なのか?
悪い夢じゃないのか?
そう思い、新八は自分の頬をつねってみた。
かなり痛かった。
立ち昇る煙は、彼らをあざ笑うかのようにユラユラと蠢いていた。

「……どうしましょ。家までなくなっちゃった」

呟く新八。
彼の隣では、銀時が何かを決意したような目で万事屋を見つめていた。

「……もういいですよ。僕のことはほうっておいて」

不意に聞こえてきた言葉。
その場にいた人物は、みんな一様に銀時の方を見た。

「みんな帰る所があるんでしょう? 僕のことは気にせずに、どうぞもう自由になってください」

「……銀さん?」

呆けた顔で銀時を見るなのは。
だが銀時は彼女にかまわず言葉を続ける。

「きけば、君達は給料もロクに貰わずに働かされていたんでしょう? こんなことになった今、ここに残る理由もないでしょうに。
 記憶も住まいも失って、僕がこの世に生きてきた証はなくなってしまった。でも、これもいい機会かもしれない」

銀時は自嘲した。
新八達の脳裏に不安が過ぎる。
まさか……いや、そんなはずはない。
いくらなんでも、彼がそんなことを言うはずがない。

「みんなの話じゃ、僕もムチャクチャな男だったらしいし。生まれ変わったつもりで、生き直してみようかなって」

だが新八達の微かな望みを、銀時は非情にも掻き消してしまった。
万事屋に背を向け、銀時はその言葉を言う。

「だから、万事屋はここで解散しましょう」

嘘だ。
きっと何かの冗談に決まってる。
そう思いたかった。

「ウ……ウソでしょ、銀さん」

「やーヨ! 私、給料なんていらない、酢昆布で我慢するから! ねェ、銀ちゃん!」

必死になって銀時を止めようとする。
だが、銀時は振り向こうとしなかった。
そのまま歩を進める銀時と新八達との距離は、徐々に遠ざかってゆく。
不意に銀時が歩みを止めた。
何かを考え込むような素振り。
だが、彼はすぐにまた商店街の出口へ向かい歩き出す。

「すまない。君達の知っている銀さんは、もう僕の中にはいないよ」

そう言い残した彼の背中は、とても悲しく……まるで、この世で最も遠い存在のように感じた。

「銀さん、ちょっと待って!」

「無理ヨ! オメー社会適応力ゼロだから! バカだから!」

新八と神楽は叫ぶ。
だが、彼らの距離はあまりにも遠すぎて……。

「銀ちゃん!」

「銀さァァァん!」

夕日に染まった商店街に、二人の悲痛な叫びが響き渡った。