なの魂(旧版)

突然の乱入者の登場に、フェイトは驚きを隠せなかった。
小さなツーテールに纏めた、栗色の髪。
眩しいくらいの純白を湛える魔導衣。
力強くもあり、そして優しさも感じられる印象の、音叉状の杖。
何故こんな所に? どうしてこんな所に?
疑問は尽きない。
呆けた顔で目の前の少女――なのはを見つめる。
視線に気付いたのか、なのはがこちらを向いた。
彼女は、吹き荒ぶ雨をものともしない位の笑みを浮かべて、こちらを見ていた。



なの魂 〜第二十一幕 レジが打てない店員とチャーハン作れない母ちゃんは等価〜



「お久しぶり、だね」

笑顔のまま、なのははそう言った。
同時に、彼女の背後に緑色の魔法陣が広がり、その中心からユーノが姿を現す。

「なんとか間に合ったみたいだね……」

彼らの姿を見たアルフもまた、呆気にとられたような顔をしていた。

「アンタ達……管理局に捕まったんじゃ……」

「説明は後。今は、彼女達のサポートを!」

そう言い、目の前に居座る六つの竜巻にバインドを放つ。
しかし、たった一人で荒れ狂う竜巻を止めることは叶わなかった。
光の鎖にその動きを阻害されながらも、竜巻はなおも激しく唸りを上げていたのだ。
アルフは一瞬の躊躇いの後、ユーノに加勢を行った。
ユーノと同じように鎖状のバインドを放ち、竜巻を二重に締め上げる。

「フェイトちゃん、手伝って! ジュエルシードを止めよう!」

なのはが手にしたレイジングハートから、桜色の魔力光がバルディッシュへ向けて飛んだ。
光は、バルディッシュも中心に埋め込まれた宝玉へ吸い込まれていき、

『Power Charge.』

『Supply complete.』

魔力の供給が完了した旨のメッセージが、バルディッシュとレイジングハートから発せられた。

『馬鹿な……何をやっているんだ君達は!』

突如として、なのはの頭の中に響き渡るようにクロノの声が聞こえてくる。
アースラを通した、広域の念話だろう。
すぐさま、なのははアースラへ向けて念話を返した。

(ごめんなさい。命令無視はちゃんと謝ります! けど、ほっとけないの……!)

確かな意思のこもった言葉。
返ってきたのは、クロノの困惑した声。
なのはは、なおも言葉を続ける。

(あの子きっと、一人ぼっちなの……一人きりが寂しいのは……私、少しだけどわかるから……!)

『一人じゃなくても寂しがってたのは、どこの誰アルか?』

割り込むように入ってくる神楽の声。
もしここにモニターがあったなら、間違いなく嫌味ったらしい笑顔が映し出されていたことだろう。

(神楽ちゃん。後で零距離やっちゃっていい?)

ほんの少しだけ口端を引きつらせながら念話を送る。
が、こんなところで漫才をやっている場合ではない。
なのはは頭を振って、すぐにフェイトへと向き直った。

「行こう。ユーノ君とアルフさんが止めてくれてる、今のうちに!」

しかし、フェイトは戸惑った表情を見せるだけだった。
なのはは彼女に対し微笑みかけ、早く早く! と目で訴えかけ、

「二人で一緒に、せーので一気に封印!」

飛び上がり、射撃に最適なポジションへと向かう。

『Sir.』

なのはの姿を目で追っていたフェイトの手元から、声が聞こえてきた。

「……バルディッシュ……?」

愛機が、何かを伝えるかのように宝玉を明滅させていた。
……いや……何を伝えようとしているのか、自分にはもう分かっていた。

「……うん……行こう」

――今は信じよう。あの子を。
戦斧を構えた少女の目には、もう困惑の色は残っていなかった。



「……ディバインバスター・フルパワー。いけるね?」

足元に魔法陣を展開させたなのはは、レイジングハートを構える。
相棒からは、即座に返事が返ってきた。

『神楽さんの分も残しておきますか?』

「……変なところで真面目だね、レイジングハート……」

『それほどでも』

誰に影響されたんだか。
なのはは小さくため息をつきながら、ふと視線を下へ向けた。
自分と同じく、魔法陣を展開したフェイトが、こちらを見て小さく頷いた。
軽くウインクを返し、そして目の前の竜巻に向き直る。

「……せーの!」

なのはの掛け声と共に、二人の魔法陣から膨大な光が発せられる。

「サンダー……!」

片や金色の魔力光。
紫電を迸らせ、戦斧を構えるその姿は雷神の如し。

「ディバイン……!」

片や桜色の魔力光。
魔力の羽を散らせ、優雅に舞い躍らせる姿は天使の如し。

「レイジーーーーーー!」

「バスターーーーーーッ!!」

膨れ上がった二つの光は、傍若無人な嵐を飲み込んだ。
海は白い光に包まれ、海面を割るかのような衝撃を受けて、巨大な津波を上げた。



(おー恐。野郎もこんなん相手に、よく対空戦できたなオイ……)

真っ白に染まったモニターを仰ぎ見ながら、銀時は袂を分かったかつての仲間を思い出す。
同時に、かつて自分が相対した存在へと徐々に近づいていくなのはに対して、一抹の不安も覚えていた。
あの力は、無垢な少女には過ぎた力だ。
どれだけ出来た人間であろうと、人間である以上そこに慢心は生まれる。
加えて、困っている人を見つけたら放っておけないあの性格。
自分の力を過信しすぎて、無茶な事をしでかさなければいいのだが……。

「……ジュエルシード、六個全ての封印を確認しました」

物思いに耽っていた銀時の耳に、エイミィの報告が飛び込んできた。
モニターの端に表示されていたジュエルシードを示す光点が、赤から緑へと次々に変わっていく。
目を皿のようにし、冷や汗を流しながらクロノとリンディは呟いた。

「な、なんて出鱈目な……!」

「……でもすごいわ……!」



眩い光が晴れると共に、水を打つような激しい音が辺りに響く。
打ち上げられた海水が、雨のようになって辺りに降り注いでいた。

「どうして……」

まるで雨曝しにされた子犬のような表情をしていたフェイトは、俯きながら小さく呟く。

「……三回目」

「え……?」

不意に聞こえてきた言葉。
理解し難いその返答に、フェイトは不思議そうに顔を上げた。

「三回目だよ。フェイトちゃんが、同じこと聞くの」

自分と同じように、頭から海水をかぶったなのはが、微笑みながらそう言った。

「前にも言った通りだよ。私、フェイトちゃんのこと、もっと知りたいし、もっとお話したい」

三度目に彼女と相対した、あの町で聞いたのと同じ言葉。
それを口にしながら、自分の元へやってくるなのはの表情は、とても優しいものだった。

「……でも、それだけじゃ我慢できなくなっちゃってね。私、結構寂しがりやだから。
 『なるものじゃない。気付いたらなっているものだ』って、銀さんは言ってたけど……。
 やっぱり私は、きちんと口に出さなきゃいけないって……思うんだ」

はにかみながら頬を掻き、恥ずかしそうに咳払いをしてから、なのはは微笑む。

「……友達に、なりたいんだ」

水の玉で乱反射した光に包まれた彼女の笑顔は、とても綺麗なものだった。



アースラ艦内にアラートが鳴り響いたのは、まさにその時だった。
エイミィがコンソールを叩くと、艦のセンサーが得た情報が次々とスクリーンに表示されていく。
それを見た発令所の人員達は、一斉に顔色を変えた。

「……次元干渉!? 別次元から、本艦及び戦闘区域に向けて魔力攻撃来ます! あ、あと六秒!!」

「な……ッ!」

さしものリンディの顔にも、焦りの表情が浮かんでいた。
別次元からの攻撃……次元跳躍攻撃といえば、相応の大型火砲か、熟練した魔導師でないと放てない代物だ。
それが、この艦となのは達を狙っている?
一体誰が、何のために?
そこまで考えたところで、リンディは即座に思考を切り替えた。
まずは艦の乗員、そして現場の人員達の安全が最優先だ。
手短になのはに通信を送った後、衝撃に備えるよう乗員達に指示を出す。
そして、エイミィが報告したとおり、きっかり六秒後。
アースラに凄まじい轟音と衝撃が襲い掛かった。

「オオオイ、なんだ今の!? ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲!?」

手すりにつかまり、身体を振り回されながら銀時は目一杯叫ぶ。
そばにあった椅子につかまっていた新八は、同じように身体を飛ばされそうになりながら、
銀時に負けないくらいの大声で言った。

「なんでアームストロング二回言った!? つーかねーだろそんな兵器!」

「江戸城の天守閣吹き飛ばして日本を降伏させた、天人の決戦兵器だ」

「実在すんの!?」

至極真面目に答える銀時なのだが、今現在、この状況下で彼の言葉に耳を傾ける余裕があったのは、
奇しくも新八だけであった。



突如として降り注いできた轟雷の嵐に、フェイトは身を竦めた。
しかし様子がおかしい。
彼女は、怯えるような表情で空を見つめている。
本当に雷を恐ろしく感じるのなら、わざわざ空を見上げて、自らの恐怖心を募らせるような真似はしない。
彼女が雷ではない、もっと恐ろしい他の何かに怯えているのだということは、なのはの目から見ても確定的に明らかだった。

「……母さん!?」

フェイトが叫んだのと、彼女が雷に撃たれたのは、ほぼ同時だった。
凄まじい威力の電撃がフェイトの身体中を走り、バネの入った人形のように身体を反らせ、大きく目を見開く。
それは一瞬の間の出来事だった。
声を上げる間もなく、フェイトは力無く海上へと落下していく。

「フェイトちゃん!!」

雷撃の余波で大きく体勢を崩したなのはが叫ぶ。
もう雷は止んでいる。早く助けないと。
しかしなのはがフェイトの元へ飛ぶ前に、アルフがフェイトの身体を受け止めた。
なのははホッと胸を撫で下ろし、安堵の息を吐く。
だが一方のアルフは、どこか逡巡したような表情をしていた。
腕の中のフェイトと、なのはの顔をひとしきり見比べた後、意を決したように明後日の方向を向いた。
いや、彼女の視線の先には、先程二人で封印した六つのジュエルシードが浮かんでいた。
アルフは一度だけなのはに目配せをし、ジュエルシードの元へ飛んだ。



無事で何よりだ。
あの白い魔導師の姿を見たとき、そして彼女がフェイトと協力してジュエルシードを封印した時。
建て前などではなく、本心からそう思った。
だが同時に、拭えそうに無い罪悪感と、沸々と湧き上がる激情を感じていた。
今から自分がしようとしていることは、あの魔導師を裏切る行為に他ならない。
少し前までなら、なんとも思わなかっただろう。
だがあの子は、どれだけ自分が危険な目に会おうと、どれだけ自分が劣勢に立たされようと、
ずっとフェイトのことを想ってくれていた。
友達になりたいとまで、言ってくれた。
その子が必死になって探していた物を、自分は横から掠め取ろうとしている。
これでは、完全にただの泥棒だ。
だが……それでも、これは必要なものだ。
フェイトはこれのために、今まで一生懸命に、自分をかえりみずに戦ってきた。
こんなちっぽけな石ころのために、必死にもがいてきた。
今さら、誰かに渡すなんて……。
……そうだ。
どうしてこんなもののために、フェイトがこんな目に会わなければいけないんだ。
どうしてフェイトに対して、あんなことが出来るんだ。
一体誰のために、フェイトは頑張ってると思ってるんだ!
怒りをあらわにしながら、アルフは目の前に浮かぶジュエルシードに手を伸ばした。
彼女の手がジュエルシードを掴むことは無かった。

「な……っ!?」

目の前に突然現れた障壁。
そしてその後ろに立つ魔導師。
アルフは、彼に見覚えがあった。
以前、自分達を捕まえようとした、そしてあの白い魔導師達を捕まえたはずの、管理局の魔導師。
名前は知らない。知る必要も無い。
何故なら、今ここでぶっ飛ばすからだ。

「邪魔ァ……するなァァァァァァァァッ!!」

今まで溜め込んできた恨み辛みをぶちまける様に、アルフは障壁を殴り抜けた。
薄い蒼をした障壁はまるでガラスのように砕け、クロノはそのまま海面へと殴り飛ばされる。
盛大な水飛沫を上げ海面に落着したクロノを見やり、再びジュエルシードへ目を向ける。

「……!? 三つしかない!?」

そこに浮かんでいたジュエルシードは六つのはずだった。
しかし、今彼女の目の前には、ジュエルシードは三つしかなかった。
予感が脳裏を走り、アルフは先程叩き落した魔導師を見た。
眼下では、あの小憎たらしい魔導師が、三つのジュエルシードを手にしていた。
それらは一様に小さな光となり、彼の持つデバイスの中に吸い込まれていった。
……今の自分には、管理局の手練れと対等に戦える力は残っていない。
抱きかかえられ、一向に目を覚ます気配の無いフェイトも同じだ。
つまり……あの男からジュエルシードを取り返す力は、自分達には一切無い。

「……う……」

あの白い魔導師なら、怒りはしただろうが、許容は出来た。
そもそも彼女達が来てくれなければ、自分はおろかフェイトの命も危なかった。
少しくらいの義理立てなら、してやってもいいとさえ考えていた。
だが目の前の男はどうだ?
何も知らない、どこから、いつの間にやってきたのかも分からない奴に横から掠め取られるなど、
あっていいことなのか?
否、いいわけがない。
だが、今の自分はあまりにも無力だった。

「……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

行き場の無い激情と共に、眼下の海へ向かって、ありったけの力を込めた魔力弾を叩き込む。
海面へぶつかったそれは、大きな音を上げて弾け、巨大な水柱を作り上げた。



「逃走するわ! 捕捉を!!」

「駄目です! サーチャー機能低下! おそらく、今の攻撃で……!」

「機能回復まで、あと二十五秒! 追いきれません!!」

クルー達の報告を聞き、リンディは軽くため息をついた。
追跡のための観測装置が、故障を起こしたのだ。
艦周辺の策敵程度なら行えるが、こうなってしまっては、高度なジャマー結界を使える魔導師を追う事は不可能だ。
モニターの中で、水平線の彼方まで飛び去るアルフの姿を見ながら、リンディは再びため息をついた。

「……機能回復まで、対魔力防御。次弾に備え……」

「ま、待って下さい……大型の艦船が接近中! 数、三!」

突如として響いた切迫した声。
続いて、中央モニターに接近中の艦船の予測データが表示されていく。
……間違いない。97管理外世界所属の戦艦だ。

(……ッ! さすがに、あれだけ派手なことをされたら気付かれるか……)

面倒なことになった。
もし彼らに捕まろうものなら、何をされるか分かったものではない。
最悪、有無を言わさずこの船を沈められる可能性もある。

「なのはさんとユーノ君、クロノを回収次第、全速でこの領域から離脱します」

三十六計逃げるに如かず。というやつだ。
そもそも管理局製の艦船は、本格的な戦闘を目的としては作られていないことが多い。
戦闘の主役はあくまで魔導師であり、艦船やヴィークルは移動の負担を減らすための装備に過ぎない、という考えが主流であるからだ。
ことアースラに関しては、お情け程度の対空砲程度しか武装が搭載されていないというのが現状だ。
戦争屋が保有する戦艦を相手にするには、あまりにも脆弱すぎる。
だが、"移動手段"としては、アースラは最高の艦船だった。
優れた燃費と、常識を大きく上回った機動性。
この二点のみで言えば、おそらくアースラを上回る艦船は、現時点ではこの世界には存在しないだろう。
つまり、アースラが逃げに徹すれば、いかなる艦船もこの船を捕らえることは出来ないということだ。
事実、なのは達を回収したアースラは、実にあっさりと97管理外世界の監視網を潜り抜け、
悠然と次元の海へ逃げおおせることに成功した。



「指示や命令を守るのは個人のみならず、集団を守る為のルールです。
 勝手な判断や行動があなた達だけでなく、周囲の人達も巻き込んだかもしれないという事……それはわかりますね?」

『……はい』

謝り、頭を下げるユーノとなのは。
追跡を振り切り、安全域まで船が進んだところで、なのは達はブリーフィングルームへ呼び出されていた。
先程の独断先行に対する警告を受けているのだが、クロノ曰く、リンディ自らがこういう説教じみたことをするのは、
非常に珍しいことらしい。
今回なのは達がしでかしたことは、それほど危険なことだったということなのだろう。
もちろん彼女らの先行を幇助した銀時達も呼び出されていたのだが、真面目に頭を下げているのは新八だけだった。
とはいっても、新八の表情からは何処か釈然としないものを感じられる。
銀時と神楽にいたっては、右の耳から左の耳へ、といった様子だ。

「本来なら厳罰に処すところですが、結果としていくつか得る所がありました。
 よって今回の事については、不問とします」

問題児の相手を、いくらしても無駄と悟ったのだろうか。
リンディは銀時達を咎めることも無く、彼らに向かってそう告げた。
意外そうな顔をして、なのはとユーノは顔を見合わせる。

「ただし……二度目はありませんよ。いいですね?」

「はい」

「すみませんでした」

なのはとユーノの素直な返事を聞き、リンディはホッと息をついた。
が、またすぐに真剣な面持ちになる。

「さて、問題はこれからね。クロノ、事件の大元について心当たりは?」

「はい。エイミィ、モニターに」

『はいはーい』

エイミィの陽気な声が響くと共に、部屋の中央に大きな空間モニターが展開された。
そこに映し出されたのは、一人の女性の姿だった。
長く艶やかな髪に、御伽噺に出てくる魔女のような服。

「……あら」

意外な人物の登場に、リンディは思わず声を漏らした。
ミッドチルダ出身の者なら、一度は名前を耳にするほどの大魔導師……だった人物。

「そう。僕らと同じ、ミッドチルダ出身の魔導師、プレシア・テスタロッサ……。
 専門は次元航行エネルギーの開発。偉大な魔導師でありながら、違法研究と事故によって放逐された人物です。
 登録データとさっきの攻撃の魔力波動も一致しています。
 そして、あの少女フェイトはおそらく……」

ふと、あることに気付いたなのはが顔を上げた。

「フェイトちゃん、あの時『母さん』って……」

彼女が怯えるように空を見上げ、そして叫んだ言葉。
直後に起こった惨劇を思い出し、なのはは思わず身震いをした。

「親子……ね」

「そ、その……驚いてたっていうより、何だか怖がってるみたいでした」

口元に手を置き、リンディは暫し黙考する。
フェイトとプレシアが親子なのだとしたら、家族ぐるみで危険なロストロギアを収集しているということになる。
一体何故? 何のために?
疑念は尽きないが、相手の正体も分からず、ただ憶測を並べ立てていた以前よりは、随分と状況は好転しているように思えた。
幸い相手はミッドチルダ出身で、しかも名の知れた人物。
探せば、いくらでもデータは出てくるはずだ。
出生から家庭環境、その他諸々……。
そういった情報から、彼女らの目的を推測することもできるかもしれない。

「……エイミィ! プレシア女史について、もう少し詳しいデータを出せる?
 放逐後の足取り、家族関係……その他何でも」

『はいはい、すぐ探します』

ぷつりと通信が切れ、辺りに静けさが戻ってくる。
なのははしばらくの間、宙に浮かぶ女性の像を、食い入る様に見つめていた。

(この人が……フェイトちゃんのお母さん……)



「……プレシア・テスタロッサ。ミッドチルダの歴史で二十六年前は、中央技術開発局の第三局長でしたが……。
 当時彼女が個人で開発していた、次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』使用の際、違法な材料で実験を行い失敗……。
 結果的に中規模次元震を起こした事が原因で、中央を追われ地方へと異動になりました。
 ……随分揉めたみたいです。失敗は結果に過ぎず、実験材料にも違法性は無かったと……。
 辺境に異動後も数年間は技術開発に携わっていました。
 しばらくの後、行方不明になって……それっきりですね」

手にした書類の束をテーブルの上で整えながら、エイミィは説明を終えた。
リンディは難しそうな顔をして顎に手を置き、うーんと唸る。

「家族と、行方不明になるまでの行動は?」

「その辺のデータは綺麗サッパリ抹消されちゃってます。今、本局に問い合わせて調べてもらっていますので……」

「時間はどれくらい?」

「一両日中には、と」

挙げられたデータから推測されるプレシアの人物像は、酷く不鮮明な物だった。
何故? 何が目的で? どういった経緯でロストロギアを集めているのか?
そういったデータが、すっぽり抜け落ちているのだ。
実力は未知数。動機も不明。
そのような人物に迂闊に手を出すのは、極めて危険だ。
やはり本局からの返答を待ち、その上で対策を練るのが妥当だろう。

「……ん。プレシア女史もフェイトちゃんも、あれだけの魔力を放出した直後では早々動きは取れないでしょう。
 その間にアースラのシールド強化もしないといけないし……。……なのはさん達は、一休みしておいたほうがいいわね」

「あ……でも」

何かを言いかけるなのはだったが、リンディはそっと微笑みながらそれを止める。

「あまり長く学校を休みっぱなしでも良くないでしょう。
 一時、帰宅を許可します。ご家族と学校に少し顔を見せておいたほうがいいわ」

「……はい」

「……艦長。俺達は?」

手を挙げて銀時が尋ねる。
リンディは、なのはに向けた笑顔を崩さぬまま銀時の方を向き、

「艦内で待機です」

「マジっすか」

満面の笑みで答えた。
いや、顔こそ笑っているが、目が笑っていない。

「マジです。大局的に物事を見れない歳でもないでしょう。少し反省してください」

そう言いながら席を立ち、ようやく笑顔を崩してため息をついた。
そして咳払いを一つし、銀時を見る。
悪戯に成功して喜ぶ子供を見るような、苦笑混じりの表情だった。

「……まぁ……あなたの生き様には、少し惹かれる物もありますけどね……」

誰にも聞こえないくらいの小声で呟き、銀時に歩み寄る。

「それに……」

銀時の肩にポンと手を置き、リンディは再び笑顔を見せた。

「そろそろ、決着をつけないといけませんからね」

それは先程までのような作った笑顔などではなく、まるで無垢な少女のような、純真な物であった。
銀時もまた、彼女の言葉の意図を察したのか、小さく笑みを返した。

(……あれ? 何この空気)

(あ、ヤバい。これヤバい)

(……母さんに火ィついちゃったよ……)

などと超絶甘党二人の邂逅に身を震わせる外野達なのだが、銀時もリンディも彼らに気付くことは無かった。




時の庭園、最深部。
裂けた地面に朽ち果てた木々、そして陰鬱とした空気に包まれたその空間は、"魔界"と形容するに相応しい場所だった。
その中心に、プレシアはいた。

「……たった十個。これでも次元震は起こせるけど、アルハザードには届かない……!」

歪んだ虚空にジュエルシードを浮かべながら、プレシアは呟く。
普段は眩い光を放つその宝石は、辺りの妖気にあてられたのか、鈍い紫の禍々しい光を湛えていた。

「…………ッ」

唐突にプレシアが咳き込み、その場に膝を突いた。
荒廃した空間に、耳障りな、粘性のある水音が響く。
口元を押さえた手の、指の隙間から赤い液体が滴り落ちる。

「もう、あまり時間が無いわ……私にも、アリシアにも……!」

屍と見紛う程青白くなった顔からは想像もつかないほど、鬼気迫る形相で彼女は呟く。
全ては、愛しいあの子のために。
不治の病に侵されながらも、あの子のために一心不乱に研究を続けてきた。
だが、それももう限界かもしれない。



取りこぼしがあったとはいえ、ジュエルシードを三つも手に入れた。
自身が生命の危険に晒されようと、あの子は我が身も顧みずに母のために戦ってきた。
だというのに……!
――だというのに、なんなんだ! あの仕打ちは!
決死の思いで帰還を果たしたフェイトを待っていたのは、賞賛の言葉でも労いの言葉でもなかった。
フェイトがプレシアに、部屋の奥まで連れられていった時。
何故あの時、身を挺してでもフェイトを連れ戻さなかったのか、今さらながらに悔やまれる。
一人部屋の外で佇んでいたアルフの耳に入ってきたのは、紛れも無くフェイトの悲鳴だった。
アルフは顔色を蒼白にさせながら、部屋の扉へ駆け寄った。
中で何が行われているのか、容易に分かった。
分かりたくもないのに、分かってしまった。
――なんであの子が、こんな目に……!
すぐさま扉をぶち破って中に入ろうと、拳を叩きつける。
だがその扉は、まるで彼女を嘲笑うかのように、目の前に君臨し続けた。
半狂乱になりながらも、アルフは扉に拳を打ち続けた。



絶え間無い少女の悲痛な叫びが消えた頃に、ようやく扉が音を開けて開いた。
何度か転びそうになりながら、アルフは部屋の中央に横たわる側へ駆け寄る。
フェイトの有様は、酷い物だった。
まるで死んでいるかのように気を失った彼女の身体には、無数の真新しい傷が刻まれていた。
今までにも何度か、このような虐待行為はあったのだが、今回は今までのものとは比にならない。
――なんでフェイトが……こんな目に会わなきゃならないんだ!
遂に、アルフの中で何かが音を立てて切れた。
自分が羽織っていたマントをフェイトに掛け、そして庭園の最深部へと繋がる扉の前へ向かう。
そして深呼吸を一度。
アルフは目の前の扉を吹き飛ばした。



背後から聞こえてきた轟音にプレシアは眉をひそめ、音源へ目を向けた。
だが、次の瞬間には彼女は普段と同じ陰鬱な表情をし、そこへ背を向けていた。
誰の仕業なのかは、容易に想像がついた。
瓦礫を踏みしめる音とともに、砂煙の中から現れたのはアルフだった。
彼女は無言のまま階段を降り、荒野を進み、そしてプレシアの背後に立つ。

「アンタは母親で! あの子はアンタの娘だろ!!」

叫び、プレシアの肩を強引に引き寄せこちらを向かせる。
そして彼女の着る法衣の襟を掴み挙げながら、怒鳴りつけた。

「あんなに頑張ってる子に……あんなに一生懸命な子に……! 何であんな酷い事が出来るんだよ!!」

プレシアからの返事は無かった。
彼女はただ、哀れむような目でこちらを見ているだけだった。
いや、視線こそこちらに向いているが、もしかしたら自分のことなど見ていないのかもしれない。
激情に駆られたアルフは、右の拳を目一杯高く振り上げた。
衝撃がアルフを襲ったのは、それとほぼ同時だった。
突然の不意打ちにアルフはなすすべも無く、そのまま背後に立つ石柱に背中を打ちつけられる。

「……づぅッ……!」

「……あの子は使い魔の作り方が下手ね。余分な感情が多すぎるわ」

まるで無感情な声と共に、プレシアがアルフの前に立つ。
その目は、虫けらでも見るかのような冷ややかな目であった。

「フェイトは、アンタの娘は……アンタに笑って欲しくて……優しいアンタに戻って欲しくて……あんなに!!」

苦痛に顔を歪め、口の端から血を流すアルフの目の前に手が突き出された。
手のひらに小さな光球が浮かび、そしてそれは周辺の魔力を吸い上げ、急激な速度で膨張していく。

「邪魔よ……消えなさいッ!!」

轟音。
激しい衝撃波が大気を揺らし、瓦礫が宙を舞う。
一瞬だけプレシアの視界を遮った白煙は、即座に立ち消えた。
彼女の目の前には、巨大な大穴が穿たれていた。
アルフの姿は、どこにも無かった。



部屋に響いてきた振動と轟音で、フェイトは目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こし、辺りを見回そうとしたところで、自分に掛けられている布の存在に気が付いた。

「……アルフ?」

いつもアルフが身に着けていたマント。
それが何故か自分の上に掛けられていた。
呼びかけてみるも、返事は無い。
母の姿も見受けられなかった。

「アルフ……どこ……?」

立ち上がろうとするが、急に足の力が抜け、フェイトはその場に倒れこんだ。
表情を歪めながら、自分の足に目を向ける。
鞭で打たれた傷が、か細い足にくっきりと跡を残していた。
怒りに打ち震える母の姿が、脳裏に鮮明に蘇ってくる。

――どうしたらいいの?
――どうしたら、母さんは喜んでくれるの?

――どうしたら、優しい母さんに戻ってくれるの?



――分からない……。



――もう、何も……。






――分からないよ……。