なの魂(旧版)

日も暮れ始め、カラスの集団が帰路を急ぎ始めた頃、なのはは十日ぶりに自宅の玄関をくぐった。
こんなに長い間家を離れていて、怒られやしないだろうかと不安を感じていたが、そんなことは無かった。
むしろ家族達は皆、なのはのことを暖かく出迎えてくれた。
そのことを嬉しく思うなのはなのであったが、その後に続いた質問攻めには、ほとほと辟易してしまった。
何しろ十日振りの再会だ。積もる話は山ほどある。
しかし、家族に本当のことを言うわけにはいかないのは、言わずもがな。
質問が飛んでくるたびに、一つ二つと嘘を重ねていく。
根が真面目ななのはにとって、この行為は中々精神的に堪えるものがあった。

「……そういうわけで、銀さん達も一緒だったんだけど、三人ともしばらく戻ってこれそうにないって……」

「そうか……」

良心の呵責に苛まれながらなのはが言うと、何故か士郎は顎に手を置いて黙考を始めてしまった。
難しい顔をし、妙な汗を垂らしながら何やらブツブツと呟いた後、

「実は、銀時くんの家の件なんだけど……」

「てっきり、諦めてどこかに引越しちゃったのかと思って……」

夫婦揃って同じような表情をして頬に手を置く。

「……まさか……」

嫌な予感が過ぎる。
いやいや、そんなまさか。ギャグ漫画じゃあるまいし。
そう思って最悪の考えを頭から締め出そうとするなのは。
しかし、それは叶わなかった。

「……取り壊しちゃった」

あっけらかんと、桃子がとんでもない事を言ってのけた。
思わずなのははズッコケそうになる。

「た、確かに十日間も姿見せなかったら勘違いするのも分かりますけれどもっ!」

「どうしよう。帰ってきたら怒られる」

「なのは。悪いんだけど、それとなく銀時さんに伝えておいてくれないかしら?」

しかし両親はお互いの顔を見合わせて、まるでうっかり皿でも割ってしまったかのような物言いをするだけだった。

「う……うーん……」

罪悪感って言葉、知ってます?
喉まで出かかったその言葉を飲み込み、なのはは汗を垂らしながら口を横一文字に噤んだ。
両脇に並ぶ恭也と美由希も、両親の傍若無人っぷりを見て乾いた笑いを漏らす。
――うちの親、こんな性格だっけ?

「ところでなのは、今日明日くらいは、お家に居られるんでしょ?」

脳裏に浮かんだ親への疑念をシャットアウトすべく、美由希は話題を変えようとなのはに問いかける。

「え? あ、うん」

「アリサもすずかちゃんも、心配してたぞー。もう連絡はしたか?」

「うん、さっきメールを出しといた」

携帯電話を取り出し、なのはは微笑みながら電話の液晶を兄の方へ向けた。



なの魂 〜第二十二幕 食べ物で遊んではいけませんって言うけど遊んでるとしか思えない商品って結構あるよね〜



「送信、と」

学校からの帰り道。
執事の操るリムジンに乗り、アリサは久しぶりに送られてきた親友からのメールに返信を行っていた。
メールを送信した後、もう一度送られてきたメールに目を通す。
明日は学校に来れる、という旨の本文と、それに添付された一つの画像。
どこだか分からない平原で、満面の笑みでVサインを作るなのはと、面倒くさそうにポーズを決める銀時、
そして新八に神楽、定春がそこに映し出されていた。
前に見せられた作った笑顔ではなく、なのはの本来の笑顔。
どんな悩みだったのかは知らないけど、どうやらもう心配はしなくても良さそうだ。
――まったく……勝手に悩んで、勝手に自己解決して。心配してたアタシが馬鹿みたいじゃない。
苦笑を漏らしながら、アリサは携帯を鞄の中へしまった。

「アリサお嬢様、何か良いお報せでも?」

「べつにー。普通のメールよ」

バックミラー越しに、浮かべた笑みを見られたのだろう。執事がそんな事を聞いてきた。
多少の気恥ずかしさを感じながら、アリサは白々しく窓の外を眺める。
目に入ってくるのは無機質なコンクリートの壁と、その上から顔を出す木々。
そして……。

「……! 鮫島、ちょっと止めて!」

執事に車を止めるように言い、大急ぎでアリサは車を飛び出して、来た道を引き返す。
途切れた壁と壁の間から伸びる、両脇を林の囲まれた未舗装の道。
そこに点々と、赤黒い何かが残されていた。
しゃがみこんで確かめてみるまでもない。
それは間違いなく血痕であった。
まるで林の奥へといざなうかのように連なっていく血痕に、アリサはなんの疑いも持たずその跡を辿っていく。
そしてその先に"それ"は居た。

「やっぱり、大型犬……」

綺麗な緋色の体毛。
獰猛さと同時に、優美さも感じさせるシルエット。
この犬が本来の姿だったなら、きっと美しいと思うことが出来ただろう。
だが、今のこの犬の有様は酷い物だった。
腹部から血を流し、呼吸を荒くしながら虚ろな目で虚空を眺めるその姿を見るに、
放っておけば近いうちに命を落とすであろうことは容易に想像できた。

「怪我をしていますなぁ。かなり酷いようです」

「でも、まだ生きてる。鮫島」

背後から犬の容態を見ようと覗き込んできた執事に目配せをする。
「心得ております」という返事と共に、彼は大型犬を抱えて、車へと戻っていった。



(……ん)

ガサゴソと何かが蠢く音を聞き、アルフは意識を取り戻した。
ここはどこだ? 自分はどんな状態だ? 気を失ってからどれくらいの時間が経った?
分かるのは、自分はうつぶせになって倒れているということだけ。
うっすらと目を開けた先には鉄格子と、三日月を背景に心配そうにこちらを見つめる少女が一人。

「……あ。目、覚めた?」

こちらの様子に気付いたのだろう。
少女が声をかけてきた。

(……あれ、このチビッ子どっかで……)

見覚えのある顔と、聞き覚えのある声。
一体どこでこの子を見たのだろう。
アルフが記憶の引き出しを探っていると、少女は安心した様子で笑みを投げかけてきた。

「あんた、頑丈にできてんのね。あんなにケガしてたのに、命に別状はないってさ。
 ケガが治るまではウチで面倒みてあげるからさ。安心していいよ」

その言葉でようやく、自分はこの子に助けられたんだということを理解した。
同時に、目当ての記憶も探り当てることが出来た。
以前に温泉地までジュエルシードの捕獲に赴いた時。
あのなのはという子と一緒にいた、気の強い女の子だ。

(……そうだ。……あの子の、友達なんだ)

――友達。
あの子は今、どうしているだろう。
初めてフェイトと友達になりたいと言ってくれた、あの女の子。
そして、フェイト。
今この瞬間も、あの悪女に虐げられているのかと思うと、虫唾が走ると同時に居た堪れない気持ちになってくる。
これからどうすれば、どうやってフェイトを助ける?
思考を巡らせていると、突然眼前に大き目のプラスチック製の皿が差し出された。

「ほら、柔らかいドッグフードなんだけど、食べられる?」

顔を上げると、そこには微笑みながらこちらを見る少女の姿。
そういえば臨海公園での一件からここまで、何も口にしていなかった。
途端に腹の虫が泣き出す。
意識しだすと無性に腹が減るというものである。
……ひとまず、考えるは後回しだ。
空腹は思考を鈍らせるし、何より早く体力を回復させないと、いざという時に動けない。
自分自身にそう言い訳し、アルフは黙々とドッグフードを食べ始めた。

「んふふ、そんなに食欲があるなら心配ないね。食べたらゆっくり休んで、早く良くなりなね?」

半日ぶりに口にした食事は、空腹も手伝ってか、非常に美味だった。



翌日。

「なのはちゃん! 良かったぁ、元気で!」

十一日ぶりにくぐった校門。
そして十一日ぶりに訪れた教室で、なのはは友人と再会の喜びを分かち合っていた。
実際には二週間も経っていないのだが、まるで一年以上顔を合わせていなかった気分だ。

「うん、ありがとうすずかちゃん! ……アリサちゃんもごめんね。心配かけて」

少し離れたところで腕を組んでなのは達を見る、もう一人の親友に目を向ける。
彼女は僅かに口元を綻ばせたが、思い出したかのように慌てて仏頂面になり、

「まあ良かったわ、元気で」

と、努めて無愛想にそう言ってみせた。
その様子があまりにも滑稽だったのか、なのはとすずかは互いの顔を見合わせて、くすくすと笑いを押し殺す。

「な、何笑ってんのよ! 授業のノート見せてあげないわよ!」

「ゴ、ゴメン。……そっか、アリサちゃんがノート取っててくれたんだ。ありがとう」

アリサは再び「しまった」という表情をするが、観念したのか、今度はそれを隠そうとせず
頬を赤く染めながら、

「と、当然でしょ。アタシ以外の誰に務まるっていうのよ」

と言ってのけた。

「まったく……アタシがいないと、ホントにダメなんだから」

「あ、あはは……」

「なのはちゃん、しばらくはこっちに居れるの?」

すずかが期待を込めた目で問いかけてくる。
だが、なのはは首を横に振って、申し訳なさそうな顔をするだけだった。

「……そっか、また行かなきゃいけないんだ」

「うん……」

「大変だねぇ……」

「でも、大丈夫!」

実のところあまり大丈夫ではないのだが、心配をかけないように明るく努める。
結局のところ、悪い癖は治っていない様だ。
彼女自身もそのことに気付いたのだが、かといって今さらしょげた顔をするわけにもいかず、
あはは、と困ったように頬を掻く。

「放課後は? 少しぐらいなら一緒に遊べる?」

「うん、大丈夫だよ!」

今度こそ本当に笑顔でそう答える。
途端に、ずずかの表情がぱあっと明るくなる。
それと同時に、アリサが嬉々とした表情で身を乗り出してきた。

「じゃあ、ウチに来る? 新しいゲームもあるし」

「あ、本当?」

彼女はなのはの問いに対して自慢げに首を縦に振り、そしてふと思い出したかのように、
胸の前で手を打った。

「ああそういえばね、夕べケガをしてる犬を拾ったの」

「犬……?」

「うん。凄い大型で……なんか毛並みがオレンジ色で……」

不思議そうに首を捻るなのはとすずか。
オレンジ色の毛並みを持つ犬というのも、なかなか珍しいものである。
そう、それだけなら、ただの「珍しい毛色の犬」というだけで済んだだろう。
しかし、次のアリサの発言で、そうではないことが決定的になった。

「おでこにね、こう……赤い宝石が付いてるの」

なのはは僅かに目を見開く。
オレンジの毛。額の宝石。そして大型の犬。
偶然にしても、条件が揃いすぎている。
おそらく、自分の勘違いではないだろう。
きっとアルフのことだ。
どういう理由があって怪我をして、そしてアリサの家にいるのかはわからないが、
ともかく彼女は今、目の前の友人の家にいるのだ。
なのはは少しの間難しい顔をしながら顎に手を置いて黙考した後、意を決したように席を立ち上がった。



『おかわり』

ずずいと差し出された小皿の向こうで、口をもごもごさせながら頬袋を作る銀時とリンディの姿を見て、
エイミィは辟易しながらあとずさった。

「いや、あの……おかわりっていうか、そろそろ本気で止めないと、本当に糖尿病に……」

そう言う彼女の眼前に積み上げられるのは、皿、皿、皿。
団子が刺さっていた串が乗った小皿の山が、テーブルの上をふてぶてしく占領している。
そして銀時達の頭上では、白い横断幕が、その存在感を健気にアピールしていた。
ちなみに、幕に書かれている文字は『第一回糖分王決定戦』である。

「いいから次持って来いつってんだよ。早くしろボケ」

二回目もあるのか、と頭を押さえるエイミィにはお構いなしに要求を突き通そうとする銀時。
彼女は助けを求めるようにクロノに目を向けるのだが、

「…………」

何故か彼は、口元に手を当てながら、小皿の山をじーっと見つめていた。
クロノはすぐにエイミィの視線に気付き、慌てた様子で目を逸らす。
直後、どこからか「ぐぅ〜」といった感じの、間の抜けた音が聞こえてきた。

「あ、テメ! 坂田家の食卓に入ってくんじゃねェぞ!」

察しのついた銀時が、小皿の山を抱き込むようにしてクロノを睨む。
いつもの冷静さはどこへやら。途端にクロノは取り乱して、握り拳を作って怒鳴り返す。

「だ、誰が入るか!」

「食卓宣言!? ウチの食卓宣言か!? もう勝負とか一切関係ねーじゃん!」

審判役の新八が怒鳴るが、銀時の耳には彼の言葉は一切入ってきていないようだ。
すぐ隣で黙々と団子を頬張るライバルをちらりと見やり、銀時は焦りをあらわにする。
この大食い勝負が始まってから、既に数十分が経過している。
しかし、積んでる皿の数は同等で、相手のペースが落ちる気配も無い。

(クソッ! このままじゃラチがあかねェ……こうなったら!)

覚悟を決める。
こうなったらもうやぶれかぶれだ。
銀時は団子の刺さった串を三本ほど取り、そしてその団子を全て串から抜き小皿に乗せる。

「かァァァぐらァァァァァ!!」

小皿片手に後ろを振り向く。
視線の先では、神楽が待ってましたと言わんばかりの顔つきで、とんとんと跳ねながら手招きをしていた。

「カモーン。こっからが仕事の時間ネ」

「たらふく喰らいやがれェェェ!!」

叫び、団子を神楽に向かって投げつける。
絶妙のコントロールで飛翔するそれは、果断なく神楽の口の中へと放り込まれていった。
見る見るうちに減っていく団子の山を見てリンディは焦る。
しまった。まさかこんな手があったとは……!

「オィィィ! なんかもう趣旨変わってきてなくね!?」

ごもっともなツッコミを放ち、新八は銀時を止めようとする。
が、それよりも先に、エイミィが新八を止めた。

「ま、待って! あれは……!」

まるで珍獣でも見たかのような表情で指を指す。
その先では、神楽が飛んでくる団子を頬張りながら、なんと手にした茶碗のご飯を口にかきこんでいるではないか。

「おかず……! 団子をおかずにご飯を食べてるわ!」

「神楽ちゃんんんんん! 炭水化物と炭水化物を一緒にとっちゃダメだって言ったでしょーが!」

そうこうしているうちにも、銀時の眼前の小皿の山はどんどん高くなっていく。
リンディはさらに焦った。
非常にマズい。
もし勝負に負けようものなら、「管理局の糖王」と言われた自分の沽券に関わる。
仕方ない。こうなったら、アレをやるしかない。
リンディは手にした串から団子を小皿にとり、

「出番よ! クロノ!」

銀時と同じように、投げた。
それはもうプロでも見惚れるようなフォームで。

「え、ちょ……」

いかに敏腕の執務官でも、日常の中で突然名前を呼ばれて反応しきれるはずもなく。
タレがのった熱々の団子は、情け容赦無くクロノの両目に突き刺さった。

「目が、目がァァァ!!」

バシィーッ! と痛そうな音がしたかと思うと、クロノが顔面を押さえて、その場でのた打ち回り始めた。
下手をすれば失明である。
にもかかわらず、リンディはクロノの心配よりも、銀時との勝負を優先した。
一体何が彼女をここまで駆り立てるのか。
少なくとも、面子とかプライドとか、そういった次元は軽く超越していそうな印象を受ける。
火花を散らす店主と提督の姿を見て、新八とエイミィはほとほと呆れた様子でため息をついた。

「……お互い、妙な上司を持って大変ですね」

「そうだね……」

「……あの……提督」

そんな二人の後ろから、一人の局員がリンディに向かって声をかける。

「何? 今は真剣勝負の最中よ。水を差さないで」

クリップボード片手にオロオロする局員を一睨み。
リンディの態度にたじろぐ局員だが、かといって職務放棄をするわけにもいかない。
理不尽な物を感じつつも、バツが悪そうな顔をしてリンディに報告を行った。

「いえ、その……なのはちゃんから、通信が……」




(やっぱり、アルフさん……)

放課後にアリサの家に立ち寄ったなのはが目にしたのは、彼女が予想した通り、腹部に包帯を巻いて
檻の中で身を潜めている大型犬、アルフであった。

(……アンタか)

(そのケガ、どうしたんですか……? それに、フェイトちゃんは……)

すぐ近くに友人がいる以上、肉声で話すわけにもいかず、念話を使って会話を交わす。
だがアルフはその問いには答えず、無言のままなのは達に背を向けてしまった。

「あららら、元気なくなっちゃった。どしたー? 大丈夫ー?」

「傷が痛むのかも……そっとしておいてあげようか」

むしろ傷は殆ど治っているのだが、事情を知らないアリサとすずかは、勘違いしたのかそんなことを口々に言う。
中途半端にだが事情を知っているなのはとしては、何か問題が起こったのなら、できる限り力になってあげたいところだ。
だが当人がこの様子では、事情を聞きだすこともはばかられる。
どうしたものかと悩んでいると、彼女の肩に乗っていたユーノが、不意に地面に降り立った。
そしてそのまま、アルフのいる檻の方へと近づいていく。

「ユーノ! こら、危ないぞー」

アルフが人と同等の知能を有する使い魔といっても、外見はただの大型犬に過ぎない。
一般人のアリサが、怪我をして気が立っているであろうところに小動物を近づけるのは危険であろうと予測するのは、
無理も無いことであった。
だが、二匹――この場合は二人と言った方がいいかもしれない――が、ただの動物ではないということを知っているなのはは、
笑みを浮かべながらアリサを止める。

「大丈夫だよ、ユーノ君は」

同意を求めるようにユーノに目配せをすると、彼から念話が送られてきた。

(なのは、彼女からは僕が話を聞いておくから……なのははアリサちゃん達と)

久しぶりに友人と会えたなのはに対する、彼なりの気遣いだろう。
なのはは少しの間だけ考え込み、ユーノの厚意をありがたく受け取ることを決める。
それにアルフも、こうも大人数に見られている状態では、色々と話しにくいこともあるだろう。
なのはがすっと立ち上がると、それに気付いたアリサが声をかけてくる。

「それじゃ、お茶にしない? おいしいお茶菓子があるのー」

「うんっ」

「楽しみー」

お喋りに花を咲かせ、その場を去ってゆく三人。
後に残されたユーノは、周りに誰も居ないことを改めて確認してから、ぽつりと呟いた。

「一体どうしたの? 君達の間で、一体何が……?」

「……色々あってね。そっちこそ、管理局相手によく逃げて来れたね」

投げ返された言葉に、ユーノは口篭る。
『逃げる』とはどういうことか?
管理局に協力をしている自分達が、どうして逃げなければいけないのか?
もしかして彼女は、何か勘違いをしているんじゃないか?
難しい顔をしながら思考を巡らせていると、その事に気付いたのか、アルフがユーノに声をかけようとする。
その時だ。

『……あ゛〜〜〜……』

何故かユーノとアルフの頭の中に、少年のジジ臭い呻き声が聞こえてきた。



「……あ゛〜〜〜……これは効くなぁ……」

と、目薬を差しながらクロノはそんなことを呟く。
先程目玉に団子をぶつけられた後、医務室へ行って検査をしてもらったのだが、
どうやら失明の恐れは無いらしいということが分かった。
だが念には念を入れて、こうして眼球の保護保全のための目薬を差しているのだ。
そんな彼の姿を見て、オペレータ席に座っていたエイミィはため息をついた。

「クロノくん……通信、開いてるよ」

「え、ウソッ!?」

通信相手に見られているわけでもないのに、クロノは慌てふためいて目薬を隠す。
目の前のモニターに映し出されるのは、顔を引きつらせながら乾いた笑いをあげるユーノの姿。
クロノはバツが悪そうに咳払いをし、平静を努めて言葉を発した。

『……じ、時空管理局、クロノ・ハラオウンだ。どうも事情が深そうだ。正直に話してくれれば、悪いようにはしない。
 君の事も、君の主、フェイト・テスタロッサの事も』



突如として聞こえてきた予想外の人物の声に、アルフは目を丸くした。
管理局が、どうしてこの場所を……!?
はっとしたように、アルフはユーノを見る。

「そういうこと……か……」

「……臨海公園の一件の後、色々あってね。今は管理局に協力している」

アルフは観念した様子で、顔に影を落とした。
まさか自分達が助けようとしていた人物が、敵になっていたなんて。
考えてみればそうだ。個人の力で、管理局の追跡から逃れることなんてできっこない。
前回、あの局員がまるで見計らったかのようなタイミングで現場に乱入してきた時点で気付くべきだった。
喉の奥から声を絞り出すようにアルフは呟く。

「あの子が、フェイトに言った事……あれは、嘘だったっていうの……?」

間髪入れず、ユーノから怒気のこもった声が返ってきた。

「それは違う! なのはは、ずっと君達の事を気に掛けていて、ずっと悩んでいて……あの言葉は、彼女の本心だ!
 管理局に協力したのだって、その方が君達と出会える可能性が高いから……!」

「……そっか……」

その言葉を聞けて、少しだけ救われた気持ちになった。
……よかった。あの子は、一人ぼっちじゃない。
気に掛けてくれる人がいる。
心配してくれる人がいる。
自分のことでもないのに、胸の奥から何かがこみ上げてくる。

「……話すよ、全部……」

情けない話だが、自分一人ではもうどうにも出来ないだろう。
だが、あの心優しい少女なら、フェイトを救ってくれるかもしれない。
もしかしたら、自分の意見など聞いてもらえないかもしれない。
だが、賭けてみる価値はある。
一縷の望みを賭け、藁をも掴む思いでアルフは懇願する。

「だけど約束して! フェイトを助けるって! あの子は何も悪くないんだよ……!」

沈黙が訪れる。
時間にして、僅か数秒。
しかし、アルフにとっては永遠とも思えるほどの時間だった。

『……約束する』

ため息混じりに聞こえてきた言葉。
それを聞いて、やっとアルフは強張らせた表情を緩め、安堵の息をついた。
自嘲気味の笑いと共に、彼女の頭の中に声が響いてくる。

『なのはにも頼まれているからね。『ちゃんと話を聞いてあげてくれ』って』



アースラ経由でアルフの話を聞きつつ、友人達との談笑に興じていたなのはは、不意に席を立った。
どしたの? と問いかけてくるアリサに対し、ちょっとお手洗いに、とだけ答えて、なのははそそくさと部屋を去る。
廊下に出て扉を後ろ手に閉め、ため息をついたところでクロノから念話が送られてきた。

(……なのは、全部聞いたかい?)

言うまでもなく、アルフのことだろう。
なのはは小さく首を縦に振る。

(うん、全部聞いた……)

(君の話と現場の状況。そして彼女の使い魔アルフの証言と現状を見るに、この話に嘘や矛盾は無いみたいだ)

(そっか……これから、どうするの……?)

(プレシア・テスタロッサを捕縛する。アースラを攻撃した事実だけでも、逮捕の理由にはお釣りが来るからね。
 だから僕達は艦長の命があり次第、任務をプレシアの逮捕に変更する事になる。
 ……君はどうする、高町なのは?)

考えるまでも無い。
なのはは即座に、力強く答えた。

(決まってるよ。私は、フェイトちゃんを助ける。ここまで聞いて引き下がったら、侍が廃るからね。
 それに、『友達になりたい』って伝えたその返事をまだ聞いてないし……これが終わらないと、
 銀さん達も、お給金貰えないんでしょ?)

――まったく。こっちの世界の人はお人好しばっかりか。
自身を『侍』と自称するなのはに対し、そんな感想を抱きながらクロノは苦笑を漏らした。
世の中こんな連中ばかりなら、自分の仕事も少しは減るんだろうな。
皮肉などではなく、本心から彼はそう思う。

(……わかった。 こちらとしても君の魔力を使わせてもらえるのはありがたい。
 フェイト・テスタロッサについてはなのはに任せる……それでいいか?)

答えを乞うように、クロノはアルフへ念話を向ける。
僅かな沈黙を挟んで、アルフから躊躇いがちな返事が返ってきた。

(……うん。なのは……だったね。頼めた義理じゃないけど……だけど、お願い。フェイトを助けて……)

(大丈夫。任せて!)

(予定通り、アースラへの帰還は明日の朝。
 それまでの間に、君がフェイトと遭遇した場合は……)

突如として聞こえてくる警告音。そして局員達の慌しいざわめき。
何事かと思いなのはが顔を上げるのと、クロノの怒号が飛んだのは同時だった。

『……ッ! 状況は!?』

『高魔力反応を感知! 場所は海鳴臨海公園!』

『この反応は……間違いありません! フェイト・テスタロッサです!』

「!?」

噂をすれば何とやら、というやつだろうか。
すぐさま現場へ向かおうと、なのははその場から駆け出す。
フェイトのことを想うあまり冷静さを欠いていたなのはには、今自分がどういう経緯でこの場に居るのか
思い出す余裕も無かった。



「ね、ねえ……よかったの? 行かせちゃって……」

目の前で呑気に紅茶を嗜むアリサを見て、すずかは疑問をぶつける。
しかしアリサは少しだけ不機嫌そうに眉をひそめて、

「いいわけないでしょ。せっかく久しぶりに会ったっていうのに……ったく……」

手にしたティーカップをソーサーへ置き、苦笑を漏らす。

「でもま、しょーがないわよ。なのはだもん」

部屋の扉を眺め、アリサは再び苦笑を漏らしながら小さく呟いた。

「……これだけ待たせてるんだから、安っぽい土産話なんかじゃ許さないわよ」