なの魂(旧版)

観測室のモニターに、現在の現場の状況とそこへ向かうなのは達の映像、
そして艦のセンサーが拾った情報が次々と羅列されていく。
それらに目を通しながら、クロノは小さく呻き声をあげた。

「まさか、この短期間で行動を起こしてくるとはね……」

完全に予想外だった。
大規模な儀式魔法を行使しただけでも、かなり体への負担は大きかったはずだ。
その上であの戦闘。
普通なら丸一日、いや、それ以上の休息を取らなければ、ロクに動くことも出来ないはずだ。
まさかたったの半日近くで再び行動を起こしてくるなど、誰が予想できようか。
一体何が、彼女をここまで奮い立たせるのか。

「銀時達にも、出動準備の要請を」

すぐ横でコンソールと格闘しているエイミィに告げる。
彼女は正面のモニターから目を放すことも無くクロノに問う。

「フェイトちゃんのことは、なのはちゃんに一任するんじゃなかったの?」

「念のためだ。……現場では、何が起こるか分からない。前回の一件で、身をもって知ったことだろう?」

さすがに前回のような次元跳躍攻撃を個人レベルで防ぐことは出来ないが、それでも人員が多ければ、
不慮の事故には対処しやすくなる。
何より、前回からさほど時間が経っていないので、なのはの疲労が抜けきっていない可能性が高い。
さすがに民間協力者に過度の無理をさせるわけにはいかない。
いざとなれば、約束を違えてでも彼女の安全を優先する必要がある。

「うん……そだね」

その事を汲み取ったのか、エイミィは小さく返事を返すだけだった。
クロノは無言のまま、じっとモニターを見つめる。
せわしなく情報ウインドウが切り替わり、キータッチ音がリズミカルに鳴る。
不意にエイミィが沈黙を破った。

「……あの事、なのはちゃんに伝えなくていいの? プレシア・テスタロッサの家族と、あの事故の事……」

リンディと銀時が馬鹿な勝負を始める少し前に本局から届いた、とある情報のことだ。
モニターの隅に映し出された、今まさに現場に向かおうと駆けるなのは達の姿に目をやり、
クロノは表情を固くした。

「ああ……今教えても……迷いを生むだけだ」



なの魂 〜第二十三話 親の心子知らずって言うけど親も子の心は知らない〜



思い出されるのは、そう遠くない過去の情景。
澄み切った空とどこまでも続く草原。
そして傍らには、そっと微笑む優しい母の姿。
いつだって、母さんは優しかった。
いつも優しく微笑みかけ、そしていつも優しく自分の名を呼んでくれた。
たまにイタズラをしたり、わがままを言って母さんを困らせることもあった。
それでも、母さんはいつも笑みを絶やさずにいてくれた。
私の自慢の母さん。
私の大好きな母さん。
今も私の傍らで、私のために小さなお花のかんむりを作ってくれてる。

(はい、花かんむり。ねえ、とても綺麗ね、アリシア)

――……? アリシア? 違うよ母さん、私はフェイトだよ。

(さあいらっしゃい、アリシア)

母さんが手招きをする。
言われるままにすぐ傍に寄り添うと、作ったばかりのかんむりを、私の頭に乗せてくれた。

(ほら。かわいいわ、アリシア)

そう言う母さんの表情は、すごく嬉しそうで……。
なんだか、私も嬉しくなって……。

――まあ、いいのかな……。

ずっと、こんな毎日が続いたらいいな……。



夕日を真正面から受け止めながら、フェイトは臨海公園の中央に佇んでいた。
目を伏せ、これから起こるであろう闘争に思いを馳せる。
愛機を握る右手に、じんわりと汗が滲んでくる。
ややあって、背後から足音が聞こえてきた。
――来た。
振り向きもせずに、閉じた目をゆっくりと開く。

「……フェイト、もうやめよう! あんな女の言う事、もう聞いちゃ駄目だよ!」

背後から投げかけられた言葉は、ひどく聞き慣れた相棒の声。
だがその声には、今までに無いくらいの悲壮な響きが含まれていた。

「フェイト……このままじゃ不幸になるばっかりじゃないか! だからフェイト……!」

「……それでも、構わない」

しかしフェイトは、アルフの言葉を遮る。
――もう、決めたんだ。
自分はどうなっても構わない。
母さんのためなら、どうなったっていい。
母さんが幸せになってくれるなら、どうなったって構わない。

「私は、母さんに幸せになって欲しいから……母さんに、笑って欲しいだけだから……だから!」

振り向き、デバイスを向ける。
その先に立つのは、長年連れ添った相棒。
そしてあの白い魔導師と、気弱そうな少年。

「邪魔……しないでっ……!」

声が震える。
デバイスを持つ手も震えていた。
止まれ、止まれと心の中で何度も念じる。
手の震えが止むことはなかった。

「フェイトちゃん……」

バリアジャケットも装着せずに、なのはが一歩前へ出る。
あくまでも、話し合いだけで決着をつけるつもりか。
だが……。

「……いらない……」

喉の奥から搾り出したような声で、フェイトは呟く。
それはあの時の答え。
自分の心に、決心をつけるための答え。

「友達なんて……いらない……!
 私には、母さんがいれば……それでいいから……!」

「それなら……! どうして、そんなに悲しい目をするの!?」

自身がどんな表情をしているかなど、まったく気にも留めていなかった。
彼女に言われて初めて、自分はそんな表情をしているのだと気付き、そしてそれを否定する。
悲しくなんかない。苦しくなんかない。
だって……母さんのためだから。

「答えて! フェイトちゃん!」

叫ぶなのはの足元で、小さな爆発が起こる。
返事の代わりに返ってきたのは、一発の魔力弾。

「……言葉だけじゃ、何も変わらない……伝わらない」

蚊の泣くような声で、フェイトは呟く。
……そうだ。
言葉だけじゃ、何も変わらない。
変えよう、全てを。
取り戻そう、全てを。

「あなたを倒して、ジュエルシードを貰う。……母さんのために!」



発令所の中央モニターに映し出される映像を見て、クロノは己の見通しの甘さを呪った。
目の前で繰り広げられる、一方的な戦い。
四方八方から飛んでくる魔力弾を懸命に回避するなのはと、無慈悲な弾幕を形成し続けるフェイト。
アルフに聞き及んだ話から、相手側にも話し合いの余地はあるだろうと予想していたのだが、とんでもない。
まともな会話すら交わすことなく、二人は交戦状態へと陥ってしまった。
小さく舌打ちをするクロノの後ろで、新八と神楽も心配そうにモニターを見つめる。
その折、何の前触れもなく突如として発令所の入り口が開いた。
クロノは入り口を一瞥し、そしてため息をついてすぐにモニターへ向き直る。

「……やっと来たか」

「遅いですよ銀さん! 何してたんですか!?」

遅れてやって来た銀時は、何故か気分が悪そうに口元を押さえ、

「ちょ……あんま怒鳴んなって、今腹の中が混沌と……おぼろろろろろ!!」

その場にくずおれ、嘔吐した。
それはもう盛大に。
どうやら団子の食べ過ぎで胸焼けを起こしたらしい。

「ぎゃァァァァァ! アンタどこでリバースしてんですかァァァ!!」

叫びながらも、駆け寄り銀時の背中をさする新八。
なんやかんやで面倒見のいい男である。
そして銀時が出す物を出し切った頃に、再び人の気配。
新八は顔を上げる。

「うっぷ……ク、クロノ、状況は……おぷ……」

銀時と同じく、気分が悪そうに口元を押さえたリンディがそこにいた。

『提督も何やってんですかァァァ!!』

新八とクロノのシンクロツッコミが飛ぶ。
こんなんで本当に大丈夫か?
新八はため息をつき、神楽は愚かなフードファイター達を冷ややかな目で一瞥して酢昆布をしゃぶりだす。
定春にいたっては、最初から興味など無かったかのように、すやすやと眠りこけていた。
ようやく気分が落ち着いたのか、銀時が顔を上げる。

「どーいうこった。あの嬢ちゃん……話し合うどころか、殺る気マンマンじゃねーか」

口の端から吐瀉物を垂らしながら、真面目な事を言う。
この非常時になんという緊張感の無さ。
それとは対照的に、なのは達の切迫した戦いは繰り広げられていた。
フェイトが振りかざしたバルディッシュがなのはに襲い掛かる。
重たい機動でなんとかそれを回避。
再び眼前に迫る魔力刃。
バリアを使っても抜かれると判断したのだろうか。
両手に握ったレイジングハートを横に薙ぎ、切っ先の軌道をずらす。
得物を完全に振り下ろしたことで、フェイトに大きな隙が生まれた。
しかし、なのはは攻撃を入れることなく即座に距離を離す。

「ああ……少なくとも、なのはには多少なり心を許していると思っていたんだが……。
 まさかいきなり襲い掛かってくるとはね……」

ある程度予想の範疇にあったとはいえ、まさかここまで敵意剥き出しで襲い掛かってくるとは。
安全域まで退避したなのはが、フェイトに向かって何かを訴えかける。
フェイトはしかし聞く耳を持たず、愛機を腰溜めに構え、なのはに向かって突っ込む。

「オイ、クロ助! 私達もさっさと出すネ! なのはがケガしたらオメーのせいだかんな!」

親友の危機を、これ以上見ていられなくなったのだろう。
神楽がクロノの胸倉を掴み挙げて怒鳴りだした。
負けじとクロノも怒鳴り返す。

「その名前はよせ! だいたい、君達は海上では戦えないだろう!?」

「だったらオメーが足場になればいいアル!」

「言ってることが無茶苦茶だ!」

ほとんど子供の喧嘩である。
そんな二人に反して、新八は静かにモニターに映るフェイトの姿を注視していた。

「……迷ってる……」

「……どした、新八。中二の神様でも降臨したか?」

突拍子も無く聞こえてきたセリフに、思わず銀時がツッコむ。
まあそういう年頃なんだろうと勝手に納得していると、何故か新八は必死になって反論を返してきた。

「誰が中二病だァァァ! アンタ忘れてるかもしれないけどねェ、僕一応道場の当主なの! 剣術家なの!
 ホントに少しだけど、剣筋とか読めんの!」

一頻り怒鳴った後、ずれた眼鏡を元の位置に直し、新八は再び正面のモニターへと目を向ける。

「心の乱れは剣に表れるって言いますけど、今のあの子は、まさにそんな状態なんです。
 何に対してかは分かりませんが……フェイトちゃん、きっと迷ってるんですよ……」



逃げる桜花色の光。
追う雷光色の光。
前にもこんなことがあったかな。
ふとそんなことを思うが、すぐに思考を切り替える。
――あの子さえ……あの子さえ倒せば、母さんは……!



もう何も分からなかった。
どうすれば、何をすれば、母さんが喜んでくれるのか。
相談できる相棒も、傍にはいない。
不意に聞こえてくる足音。
顔を上げるとそこには、どこか焦燥したような母の姿。

「母……さん……。アルフが……」

力なくフェイトが言うと、プレシアはまるで、今初めてフェイトの存在に気付いたかのような表情をした。

「……ああ、あの子は逃げ出したわ。怖いからもう嫌だって」

たった今制裁を加えてきた者の事を、さも平然とプレシアは言い放つ。
だが、フェイトは表情を変えなかった。
アルフはそんな子じゃないと、心のどこかで信じていたからだろう。
だがプレシアは、構わず言葉を続ける。

「……必要なら、もっと良い使い魔を用意するわ……」

そう言い、フェイトを気遣う振りをして寄り添う。
フェイトは顔を伏せたまま、思考を巡らせようとする。
だが彼女はそこまで冷静ではなかった。
思考は澱み、目も虚ろになる。
今のフェイトの頭の中を絵に起こすとすれば、きっと洗濯機の中に無数の絵の具をぶち込んだかのような
マーブル模様であろう。

「母さん……私は……どうしたら、いいんですか……」

小さく震えながら、喉の奥から絞り出すような声でフェイトは呟く。
そして、まるで何かの箍が外れたかのように、両の手で顔を覆い、小さく嗚咽を漏らす。

「いろんなことが沢山起こって、頭の中がくしゃくしゃになって……もう、分からないんです……」

この世界に来てから、色々なことが起こった。
今まで経験したことが無いような出来事にも会った。
今まで抱いたことの無い感情も芽生えた。
未知の体験。未知の感情。
まるでそれらが、自分という存在を侵食していくのではないかという不安に駆られる。
初めて感じ取った時は、嫌悪感すらなかった。
なのに何故今は、こうも苦しいのだろう。

「私は……何を信じればいいんですか……?」

不安に押しつぶされそうになりながら、フェイトは言う。
不意に、頭の上を何かが触れた感触。
母の手のひらだった。

「大丈夫よフェイト。あなたは母さんのことだけを信じていればいいの。そうすれば、間違いはないわ」

表情こそ普段と変わらないが、母のその声は、普段よりもずっと穏やかなものだった。
そしてプレシアは、そのままフェイトの頭をそっと撫ぜる。

「忘れないで。貴女の本当の味方は母さんだけ……。いいわね……フェイト」

彼女の心中を知らないフェイトが、その行動によってどれほど救われたか。
今まで冷たく当たってきた母が垣間見せた優しさに、フェイトは小さく肩を震わせる。
――やっぱり、母さんは私のことを想ってくれてる……。

「……はい……」

小さく返事を返す。
その返事に満足したのか、プレシアは妖艶な笑みを浮かべる。
何かを企んでいるようなその笑みを、フェイトは不審に思うことは無かった。

「あなたが手に入れてきたジュエルシード九つ……これじゃ足りないの。
 最低でもあと五つ、出来ればそれ以上……急いで手に入れて来て……母さんの為に」

「……はい……母さん……」

――もう、迷わない。
絶対に、母さんを幸せにしたい。
だから、私は――



(決めたんだ……母さんのことだけを信じるって……母さんのためだけに戦うって……なのに!)

なおもなのはに追いすがり、フェイトはバルディッシュを振るう。
しかし、それらがなのはを捕らえることは無い。
気がつけば、再び手が震えていた。
視界が歪んでいた。
頬を生暖かい何かが伝った。
自分の涙だった。

(なのに……どうして、こんなに胸が痛いの……!)

涙を拭うことも無く、フェイトは再びなのはに刃を向ける。
己の内から来る苦しみから逃れるように。



フェイトの仮借ない攻撃をかわし続け、なのはの疲労もピークまで達しようとしていた。
心臓はバクバクと脈を打ち、呼吸も荒々しく乱れる。
父や兄や姉と違って、運動はからっきしな自分がここまで持ったのは、ほとんど奇蹟と言ってもいいだろう。
だが、いつまでも逃げの一手でいるわけにはいかない。
恐らくフェイトは、自分を倒すまで攻撃の手を休めることはないだろう。
全ては、母親のため。

(でも……)

それにしたって、これは異常だ。
先日までは、会話も交わせた。
一緒に共闘もした。
それが何故、こうして自分の命を狙う?
何故、自分のことを真っ向から拒む発言をする?
――何故、彼女は涙を流している?

(言ってくれなきゃ……何も、分からないよ……!)

知りたかった。
彼女がこうまでして母親に尽くす理由が。
だが、もう今の彼女とは言葉も交わせそうにない。
きっと、今のフェイトには、自分のことも見えていない。
――だったら、今自分にできることは……。

(ユーノくんもアルフさんも手出さないで。私が、フェイトちゃんを助けるから!)

(でも……!)

(助けるって……どうするつもりさ、なのは!)

念話を送ると同時に、アルフとユーノから返答が来る。
当然といえば当然の反応だ。
既になのはは、外野から見ても疲弊しきっていることが目に見えて分かるような状態になっている。
加えて、相手はなのはより格上の実力者。
これで心配をするなという方が無理だろう。
だがしかし、何か策でもあるのだろうか。
なのはは返事もせずに、その場で動きを止めた。
いつものような作り笑いもせず、真剣な表情でフェイトを見つめた。
その横顔は、彼女が慕う侍が時折見せるそれを髣髴とさせるものだった。
僅かな沈黙。
先に動いたのはフェイトだった。
バルディッシュを構え、なのはに向かって一直線に突っ込んでくる。
しかし、なのはは動かない。
意を決したかのように、フェイトから視線を逸らさずにその場に立ち塞がる。
目前に迫る刃が横一文字を描こうとしたまさにその時、ようやくなのはが動いた。
左手のレイジングハートを力任せに振るい、バルディッシュと打ち合ったのだ。
甲高い金属音とスパーク音が鳴り響き、二つのデバイスがぶつかる。
鍔迫り合いの形のまま、二人は極至近距離で見詰め合う。

「誰かのために頑張るのって、すごく立派なことだと思う……けど、そのために
 自分を省みないなんて、間違ってる!」

なのはは叫ぶ。
だが、フェイトはなのはの言葉に同調しようとはしなかった。

「間違ってても構わない! 私は、母さんが幸せになってくれれば、それでいい!」

フェイト自身は気丈に言い返したつもりだったのだが、その声は、僅かに震えていた。
流れ出る涙は既に止まっていたが、その跡は彼女を頬にくっきりと残っていた。

「そんなに苦しそうな顔して……言う台詞じゃ、ないでしょ!」

「苦しくなんか……ない!」

その言葉が偽りであることは、誰の目から見ても明らかだった。
それでも、フェイトは戦いをやめようとはしない。
レイジングハートを打ち払い、頭上に高々とバルディッシュを掲げる。
だが金色の刃が振り下ろされることは無かった。
フェイトの身体に軽い衝撃が走る。
まるで体当たりでも喰らわすかのように、なのはが内懐へ飛び込んできたのだ。
なのははそのまま、ひしとフェイトの身体に組み付き、動きを封じる。

「……ッ!? 離して……!」

身動ぎをするフェイトだが、なのはは決して離れようとしない。

「どうして……!」

フェイトの胸元から、声が聞こえてきた。
だが、それは先程までのような力強いものではなかった。
何処かか細い、哀愁の漂うような小さな声。

「どうして、全部一人で抱え込もうとするの……!」

そう精一杯に叫ぶなのはの声は、先程のフェイトと同じように震えていた。

「苦しい事、悲しい事、全部抱え込んで……無理してるって見て分かるのに、それも隠そうとして……!」

フェイトに向けて言ったその言葉。
それが自分自身の胸へも響き渡る。
ああ、そうだ。
自分も、少し前まではそうだった。
なんでもかんでも自分一人で終わらせようとして。
勝手に自滅して。
周りに迷惑ばっかりかけて。

「どうして……」

でも、自分には……。

「どうして……『友達なんていらない』なんて……そんな寂しいことを言うの……っ!」

自分には、友達がいた。
手を差し伸べてくれる人達がいた。
だが、今のフェイトはどうだろうか。
誰も手を差し伸べてはくれない。
いや、彼女自身が、手を差し伸べられることを拒絶している。
自分のことで精一杯で、周りを見ることも出来ていない。
まるで、少し前までの自分を見ているようだった。

「まだ、何も知らないのに……始まってもいないのに、終わっちゃうなんて……そんなの、ヤだよ……!」

顔を上げ、覗き込むようにフェイトの顔を見る。
戸惑いと驚きの入り混じったような表情だった。
不意に、自分の頬を涙が伝った。
フェイトが困惑している理由は、どうやらこれらしい。

「どうして……」

向かいから小さな声が聞こえたが、またすぐに静かになってしまう。
なのははそのまま、フェイトの次の言葉をじっと待つ。

「……どうして……ここまでするの……どうして、泣くの……?」

ようやく聞こえた言葉。
これで何回目だろうか。
いつだかも聞いた問いかけを、つい可笑しく思ってしまう。
涙を拭いながら、笑みを返しながらなのはは答えた。

「……友達に、なりたいから……」

途端、フェイトの身体から力が抜けていくのが分かった。
自分でも、少々くどいとは思う。
もしかしたら、呆れられてしまったのかもしれない。
でも、それでも構わない。
それでも、自分の気持ちは伝わったと。
そう信じているから。



極度の緊張感に支配されていたアースラ艦内に、突如としてけたたましいサイレンが鳴り響く。
発令所内の照明が赤く明滅し、否が応でも緊急の事態が起こったことをクルー達に知らせる。

「……警報? まさか!?」

モニターに次々と観測されたデータが表示されていく。
前回のあの時と全く同じ魔力パターン。
それが戦闘領域の上空から差し迫っている。
――次元跳躍攻撃。
予測される攻撃目標は……。

『なのはちゃん、逃げて!』

エイミィが血相を変えて叫ぶ。
着弾までの時間は、もう殆ど残されていなかった。



「っ!?」

突如として、フェイトが怯えるような目で空を見上げた。
同時に、得体の知れない圧迫感がなのはに襲い掛かる。
前にも感じたことがあるような、身の竦むような感覚。
前回の海上での出来事がフラッシュバックする。
――逃げなきゃ……!
直感的にそう感じ、フェイトの手を引こうとする。
だが、それは叶わなかった。
トン、と何かがぶつかったような衝撃。
同時に、フェイトの姿が視界から遠ざかっていく。
いや、遠ざかっているのはフェイトではない。自分の方だった。
両の手を前に突き出すフェイトの姿を見て、彼女に突き飛ばされたのだということを理解した次の瞬間、
フェイトの身体に巨大な雷の影が重なった。

「フェイトちゃん!?」

壮絶な雷鳴と共に、電撃が容赦なくフェイトの身体中を走る。
耳をつんざく様なスパーク音に混じって、何かが砕けるような音が微かに聞こえた。
それとほぼ同じくして、暴力的な雷が為りを潜めた。
後に残されたのは、ボロ雑巾のようにされたフェイトと、ヒビだらけになったバルディッシュ。
そのバルディッシュから、弱々しい光が放たれ、光の中心からいくつかの小さな宝石のようなものが、浮かぶように出てきた。
ジュエルシードだ。
それらは群をなして、宙を踊るように飛び回ったかと思うと、吸い寄せられるようにして雲の合間に消えていった。
だが、なのははそんな物には目もくれていなかった。
目の前ではフェイトがグラリと身体を傾け、同じく吸い寄せられるように動いていた。
ただし、上ではなく下へ。
重力に抗う術を失ったフェイトは、海面へ向かって自由落下を続ける。
すぐさまなのはも彼女の後を追う。
数瞬遅れて、海面に小さな水柱が立った。



「……オイオイ、大丈夫かアレ?」

なのはがボロボロになったフェイトを海中から救い出したのを確認して、銀時は呟く。
もちろんなのはの事ではなく、フェイトのことだ。
その言葉に対し、クロノは小さく頷き、顔を険しくさせる。

「殺傷設定なら今頃消し炭だ。おそらく命に別状は無いよ。それよりも問題は……」

『……ビンゴ! 尻尾つかんだよ!』

観測室にいたエイミィから通信が入る。
先程空へと消えていったジュエルシードの転送先の割り出しに成功したのだ。

「よし……不用意な物質転送が命取りだ。エイミィ、座標を!」

『もう送ってるよ!』

「……武装局員、転送ポートから出動! 任務はプレシア・テスタロッサの身柄確保です!」

言葉通りすぐさまモニターに送られてきたデータを確認し、リンディは即座に
待機中の武装局員に指示を送った。



ジュエルシードの回収が終了すると同時に、プレシアはその場にくずおれた。
苦しげに胸を押さえ、激しく咳き込む。
咳きに混じって滴り落ちる血を虚ろな目で追いながら、プレシアはゆっくりと立ち上がった。

(……やっぱり、次元魔法は体が保たないわ……それに……今ので、この場所も捉まれた)

管理局とて無能ではあるまい。
あれだけ大規模な転送を行使すれば、まず間違いなく発生源を探知されてしまう。
じきにこの場所に局員が踏み込んでくるであろう事は、確定的に明らかであった。

「フェイト……あの子じゃ駄目だわ……そろそろ、潮時かもね」



「第二小隊、転送完了!」

「第一小隊、侵入開始!」

正面モニターに複数のウインドウが表示され、個々の窓には各小隊の状況が映し出されている。
プレシア・テスタロッサの根城――時の庭園への侵入は、当初のプラン通りに成功した。
だが、油断は許されない。
敵のホームグラウンドである以上、どこにトラップが仕掛けられているか分からないし、何より相手は
未知数の実力を持つ大魔導師だ。
いつ何が起こっても不思議ではない。
普段以上に脳の稼働率を上げ、リンディは思考を巡らせる。
出来うる限り死傷者は出したくないが、今回は世界一つ……いや、いくつもの世界の命運すらかかっている。
最悪、現場の局員を死兵と割り切ってでもプレシアの捕縛しなければならない。
良心の呵責に苛まれながら、慎重に状況の推移を見守る。
世界のため、正義のためといえど、非情になりきれないところが、彼女の彼女たる所以なのであろう。
不意に発令所の扉が開く音が聞こえた。
リンディは後ろを振り向き、そして来訪者達の顔を見て、険しくなっていた表情を僅かに緩めた。
扉の側に立っていたのは、なのはとユーノにアルフ。
そして……フェイト・テスタロッサだった。
今のフェイトは、救助後に局員から渡された真っ白い服を身に纏い、腕には身体に不相応なくらい無骨な手錠がかけられていた。
デバイスが大破し、本人も飛行すらままならないほど魔力を消費してしまった状態で何かしらの抵抗が出来るとは思えないのだが、
それでも一応、ということでの処置だ。
フェイトも自身の立場を理解しているのか、不平や不満を言う様子も無い。
たまたま扉の近くで状況を見守っていた銀時がなのはに気付き、彼女と二言三言会話を交わす。
そしてフェイトに目配せをしたかと思うと、なのは達を連れてリンディの元へとやってきた。

「お疲れ様。それと……フェイトさん? 初めまして」

なのは達に労いの言葉をかけ、努めて友好的にフェイトに話しかける。
しかしフェイトは顔に影を落とし、俯いたまま顔を上げようとはしなかった。
リンディは少しだけ困ったような表情を見せ、なのはに念話で話しかける。

(……母親が逮捕されるシーンを見せるのは忍びないわ。なのはさん、彼女をどこか別の部屋に)

(あ、はい)

なのははフェイトに向き直り、早々に発令所から退散しようとする。

「フェイトちゃん、良かったら私の部屋……」

現場で動きがあったのは、まさにその時だ。
オペレーターの一人が、矢継ぎ早に報告を始める。

「総員、玉座の間に侵入! ……奥に通路を発見、目標を確認!」

モニターに映し出されたのは、フェイトとアルフにはひどく見覚えのある場所だった。
その部屋の奥で、ぽっかりと口を開けた狭い通路。
フェイト達ですら立ち入ったことの無いその場所に、武装した局員達が次々と入り込んでいった。



その場所は、古代の西洋の遺跡を髣髴とさせる物だった。
部屋のいたるところに石柱が立ち並び、そのどれもに植物のツタらしきものが絡み付いている。
灯りといえるものは殆ど灯ってなく、部屋の中央から淡い緑色の光が僅かに放たれているだけだった。
不気味な雰囲気を醸し出すその部屋の中央。
淡い光を背に、プレシアは佇んでいた。

「プレシア・テスタロッサ! 時空管理法違反、及び管理局艦船への攻撃容疑で、貴女を逮捕します!」

「武装を解除して、こちらへ……」

局員達は各々のデバイスを構え、警戒を解くことなくプレシアへとにじり寄る。
相手が動こうとする気配は無い。
一歩、二歩と、僅かずつプレシアとの距離が縮まる。
だが、突如として局員達の動きが止まった。
そして一様に、プレシアの背後に目線を向けて表情を変える。
各人表出させた表情は違うものの、そのどれもに共通したものは、驚きの感情であった。
淡い光を放っていた物の正体。
それは――。



"それ"を見て言葉を失ったのは、現地の局員達だけではなかった。
――まったく。タチの悪い冗談だ。
銀時は目を細めて"それ"を見据えた後、ぐるりと辺りを見回す。
発令所にいる人間は、皆一様にモニターに釘付けになっている。
ただ、二人。
フェイトとアルフだけは、"それ"を見て驚き以外の感情も抱いているように見えた。
それは"疑念"。
それは"恐怖"。
顔を蒼白にし、小さく震えるフェイトの目に入ったものは――。



――得体の知れない液体が詰まった巨大なガラス管の中に浮かぶ、自分と瓜二つの少女の姿だった。



「私のアリシアに……近寄らないで……ッ!!」

鬼気迫る表情で、突如としてプレシアが叫んだ。
それと同時に魔力光が迸り、轟音が部屋中に響き渡る。
光が収まった後には、ただ一人を除いて、立っている者は居なかった。



想像以上の魔力。
予想以上の技量。
なるほど、大魔導師と自称するだけの事はある。
負傷した局員達の強制転移を指示しながら、リンディは歯噛みする。

『……もう駄目ね、時間が無いわ。
 たった九個のロストロギアでは、アルハザードに辿り着けるかどうかは、わからないけど……
 でも、もういいわ。終わりにする』

次々と転送されていく局員達には目もくれず、プレシアはモニターの向こう側で、
傍らのガラス管に慈しむように手を添えた。

『この子を亡くしてからの暗鬱な時間も……この子の身代わりの人形を、娘扱いするのも……』

「………ッ!?」

フェイトの表情が強張る。
まさか。いや、そんなはずは。
様々な思いが、彼女の中で交錯する。
だが、フェイトの思考を遮るようにプレシアは言葉を続けた。

『……聞いていて……? あなたの事よ、フェイト。せっかくアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ……
 役立たずでちっとも使えない、私のお人形……』



――嘘だ。
そう叫びたかった。
身代わり。人形。
全てを否定したかった。
だが、その意思に反して、言葉が全く出てこなかった。
震えが止まらない。
喉の奥が枯れたように痛い。

『…………最初の事故の時にね……プレシアは実の娘、アリシア・テスタロッサを亡くしているの……』

不意に、観念したような声が発令所に響いた。
――アリシア。
そうだ……あの時確かに、母はアリシアと言った。
楽しかった遠き日の思い出。
優しかった母の言葉。
だが、それが向けられていたのは自分ではなく、自分に似た別の少女。

『彼女が最後に行っていた研究は……使い魔とは異なる、使い魔を超える人造生命の生成……』

「!?」

「な……っ!?」

エイミィの言葉に、なのはが、新八が、神楽が、そしてユーノが、アルフが驚愕の声とともにフェイトを見る。
銀時だけはただ一人、正面のモニターをじっと見据えていた。

『そして、死者蘇生の秘術……。"フェイト"って名前は、当時の彼女の研究につけられた開発コードなの』

『よく調べたわね。そうよ、その通り……。だけど駄目ね……ちっとも上手くいかなかった……
 作り物の命は所詮作り物……失ったモノの代わりにはならないわ……』

そう言い、プレシアは悲哀に満ちた表情をする。
遠い過去を懐かしむように、ガラス管を撫ぜながらぽつりぽつりと彼女は呟き始めた。

『……アリシアは、もっと優しく笑ってくれたわ。
 アリシアは時々わがままも言ったけど、私の言う事をとても良く聞いてくれた……』

「……やめて」

喉の奥から搾り出すように、なのはは呟く。
出来ることなら、今すぐモニターを叩き壊してでも話を止めさせたかったが、それは叶わない。
なのはの事など歯牙にもかけず、プレシアは暗鬱と言葉を続けた。

『アリシアは……いつでも私に優しかった……フェイト、やっぱりあなたはアリシアの偽者よ。
 せっかくあげたアリシアの記憶も、あなたじゃ駄目だった……!』

「やめて……やめてよ……!」

まるで自分の事かのように、なのはは必死にプレシアの言葉を拒絶する。
だが、その言葉が届くはずも無い。

『アリシアを蘇らせるまでの間に、私が慰みに使うだけのお人形……だからあなたはもう要らないわ……
 どこへなりと……消えなさい!!』

「お願い! もうやめてッ!!」

張り裂けんばかりの声が発令所内に木霊する。
すぐ隣で、フェイトが震えていた。
顔色を窺うなどという真似は、怖くて出来なかった。
ただ、これ以上は……ここから先の言葉は、絶対に彼女には聞いて欲しくない。
そう願った。

『……いい事教えてあげるわ、フェイト』

だが無常にも、その言葉は放たれる。

『あなたを創り出してから、ずっとね……私はあなたが……大嫌いだったのよ!!』

フェイトの身体が大きく傾いた。
それを支えようと、なのはは身を屈める。
そして、見てしまった。
全く生気の感じられない、光を失ったフェイトの瞳を。
手足が、まるで凍りついたかのように動かなくなる。
――どうして……どうして、あんなに頑張ってたのに……!
あまりにもあんまりな理不尽に身を震わせるなのはの目の前で、糸の切れた操り人形のようにフェイトはくずおれた。



「フェイトちゃん!」

なのはがフェイトの身体を抱き起こすが、一切の返答は無い。
あまりのショックに、気を失ってしまったのか。
今まで静観を決め込んでいた銀時が、不意に口を開いた。

「神楽、医務室だ」

「あいあいさー」

そうとだけ答えると、神楽はフェイトの身体を背負い、アルフと定春を伴って発令所を出て行った。
重苦しい空気が辺りを支配する。

「銀さん……こんなムゴいこと……あっていいんですか……ッ!」

肩を震わせ、固く拳を握りながら新八が声を絞り出す。
俯き加減の彼の表情は読み取れないが、それでもその声色から、彼の心境は容易に読み取れた。

「今すぐモニター突き抜けて、殴りに行きたい気分ですよ……僕はッ!」

明確な、怒気のこもった声。
普段はどこまでも温厚な彼が、珍しく激情に駆られていた。
いや、温厚だからこそ、今の理不尽な場景が許せないのだろう。
だが、銀時は何も言わなかった。
先程と同じように目の前だけを見据え、そして何を思ったのか、一言も発することなく彼は発令所を後にする。

「……銀さん!」

新八も銀時の後を追い、発令所から飛び出す。
後に残されたなのはとユーノは、呆然とその場に立ち尽くしていた。
リンディ他、発令所要員達も沈痛な面持ちで押し黙る。
だが、沈黙が続いたのも少しの間だけだった。
突如として、切迫したエイミィの声が発令所に響き渡る。

『た、大変大変! ちょっと見て下さい!! 屋敷内に魔力反応……多数!!』

画面隅に表示されたレーダーに映る光点。
それがおぞましいまでの速さで、大量に増殖していっている。
まるで単細胞生物の分裂を、早回しで見ているかのようだ。

「庭園敷地内に魔力反応! いずれもAクラス!」

「総数、六十……八十……まだ増えています!」

矢継ぎ早に報告を行う通信士の言葉通り、光点の増える速度は留まるところを知らない。

「プレシア・テスタロッサ……一体何をするつもり!?」

予想外の事態に軽い焦燥感を覚えながらリンディは呟く。
それに答えるように、プレシアは両手を掲げ、そして狂気染みた声を上げる。

『……私達の旅を……邪魔されたくないのよ。私達は旅立つの……忘れられた都……アルハザードへ!
 この力で旅立って、取り戻すのよ……! 全てをッ!!』

直後、プレシアの頭上に九個の宝石が浮かび上がった。
そして、そのそれぞれが一斉に光り輝きだす。
それと同時に、空間が揺れた。
比喩などではなく、本当に空間そのものが振動を始めたのだ。
被弾したり、他の艦船と接触でもしない限り揺れるはずの無いアースラの艦内が派手に揺れる。
まるで地震でも起きたかのようだった。

「次元震です! 中規模以上!」

「ディストーションシールドを!」

「ジュエルシード、九個発動! 次元震、更に強くなります!!」

「転送可能距離を維持したまま、影響の薄い区域に移動を!」

「りょ、了解です!」

「乱次係数拡大! このままだと次元断層が!!」

このまま次元震が拡大すれば、確実にこの世界は崩壊する。
クルー達を焦らせるには、その事実は十分な理由であった。
指揮と報告が飛び交い、室内は騒然とする。
そんな中、クロノは唯一人、踵を返し発令所を後にしようとする。

「……馬鹿な事をッ!!」

「クロノ君、どこへ……!?」

「現地へ向かう! ……なんとしてでも、止めないと!」

背後から投げかけられた言葉にそう返し、クロノは後ろを振り向く。
待機状態のデバイスを握り締め、意を決した様子のなのはとユーノの姿がそこにあった。

「私も行く……!」

「僕も!」

クロノはほんの少しだけ逡巡をするが、

「……わかった」

やはり今は、少しでも戦闘要員は多い方が良い。
二人を引き連れ、クロノは転送ポートへと急ぐ。

(忘れられた都、アルハザード……もはや失われた禁断の秘術が眠る街……
 そこで何をしようっていうんだ……? 自分が亡くした過去を、取り戻せるとでも思っているのか……!?)

亡くした過去。
亡くしたモノ。
どれだけ願おうとも、それが返ってくることは決して無い。
『こんなはずではなかった』と後悔し、足掻き、そして終わっていく。
それが世の理だ。
どれだけ人知を超えた力を得ようとも……その理は、変わることは無い。

「どんな魔法を使ったって、過去を取り戻す事なんて……出来るもんか!!」

――そうだ……。取り戻すことなんて、出来やしないんだ……。
苦い過去の思いを噛み締め、クロノは艦内を駆け抜けた。