なの魂(旧版)

上昇を続けていた鉄箱が振動と共に動きを止め、そして扉を開く。
最上階に到着したなのは達を出迎えたのは、やはり傀儡兵の大群であった。
正面最奥に見える球状の機械――庭園の駆動炉までの道を完全に埋め尽くさんばかりの数。
半ばうんざりした様子で砲撃の構えを取るなのはだが、彼女の前にユーノが歩み出た。

「……防御は僕がやる。なのはは封印に集中して」

魔法陣を展開し、彼は眼前に広がる甲冑の群れを見据える。
――なのはには、指一本触れさせない。
彼の小さな背中が、雄弁とそう語っているようだった。

「うん、いつも通りだよね」

ほんの少しだけ頬を赤く染め、なのはは呟く。

「ユーノ君、いつも私と一緒にいてくれて……守っててくれたよね」

呆けた顔でこちらを見るユーノに歩み寄り、鎧の軍勢へデバイスを向ける。
そう、いつも通りだ。
いつも通り二人並んで、いつも通り無茶をする自分を助けてくれて。
そして、いつも傍に居てくれて。

「……だから戦えるんだよ。背中がいつも、あったかいから!」

微笑み、ユーノを見やる。
その視界の片隅で、何かが光った。

「……おーい、危ないアルよ、ご両人」

レイジングハートから警告が発せられる前に、なのはは凄まじい形相でその場を飛び退いた。
その様子に不審を抱いたユーノが後ろを振り向く。
瞬間、事態を理解したユーノもまた、バネの入った人形のようにその場を飛び退いた。
直後に巻き起こる轟音、発光。

『うおわァァァ!?』

思わず悲鳴を上げるなのはとユーノ。
エレベーターの方から飛んできた馬鹿でかい光柱は、先程までなのは達が居た場所を抉り取り、
射線上に居た傀儡兵の大群を消し飛ばす。

「か、神楽ちゃんんんんんん!!?」

しりもちをつき、上擦った声を上げるなのはの視線の先には、何故か蔑んだような目でこちらを見る神楽の姿。

「なんかイラッときたアル」

どうやら目の前でラブコメもどきを見せられたのが癪に障ったらしい。
彼女が手にした番傘の先端からは、薄い白煙が立ち昇り、ゆらゆらと風に揺れていた。

「まァ道も出来たんだし、良しとしようや」

顎に手をやり、目の前に広がる焦土を見やりながら銀時は呟く。
そう、目の前に広がっていたのは、紛れも無く焦土であった。
未だに魔力の残照と白煙が立ち昇る地面は歪な形に削られており、その破壊の痕は一直線に動力部へと
突き進んでいた。

「良くないですって! 駆動炉に当たってたら、もろとも吹き飛んでましたよ!?」

「何ですかこの仕打ち!? 私何か悪いことしました!?」

唾を飛ばさん勢いで抗議するユーノとなのはであったが、そんなことは馬耳東風といわんばかりに
銀時達は出来上がった『道』の真ん中を、悠々と歩いていくのであった。



なの魂 〜第二十四幕 友達はなるものじゃない気付いたらなってるものだ 後編〜



轟音と共に瓦礫が落ち、床が砕け、空間が裂ける。
そこに広がる光景は地獄か。はたまた魔界か。
庭園の最奥部の中心でプレシアは佇む。
傍らで力無く浮遊するのは、己が娘を収めたガラスの円筒。
物言わぬ娘の姿を慈しむように見つめ、円筒に縋る。
もう少しだ。
あと少しで、失った全てを取り戻すことが出来る。
崩落する周辺の空間を気にも留めず、プレシアは念じる。
それに応じるかのように、彼女の頭上を舞うジュエルシードが、淡く明滅を繰り返した。
獣の呻き声のような音と共に、暴力的な地響きが巻き起こる。
が、それも僅かな間だけだった。

『……プレシア・テスタロッサ。終わりですよ。次元震は私が抑えています』

どこからか聞こえてきたその言葉通り、巻き起こる地響きは不自然なまでに激しさを弱めた。
空気が震え、肌を刺すような圧力を覚える。
それが外部からの魔力干渉によるものだということに思い当たるのに、時間はかからなかった。

『駆動炉もじき封印……執務官も、あなたの所へ向かっています。
 忘れられし都アルハザード……そしてそこに眠る秘術は、存在するかどうかすら曖昧なただの伝説です!』

そう語るは、あの目障りな時空管理局の犬。
つい先程、自分を捕らえるべく乗り込んできた、有象無象の魔導師の親玉――リンディ・ハラオウンの声だ。
おそらく彼女が庭園内に侵入し、なんらかの魔法を用いて次元震の拡大を抑制しているのだろう。
忌々しげにプレシアは虚空を睨み、叫ぶ。

「……違うわ。アルハザードへの道は次元の狭間にある。時間と空間が砕かれた時、
 その狭間に滑落していく輝き……道は、確かにそこにある……!」

『……随分と分の悪い賭けだわ。
 あなたはそこに行って、一体何をするの……? 失った時間と、犯した過ちを取り戻すの……?』

哀切を感じさせるその言葉に、プレシアは酷く憔悴した顔で不気味な笑みを浮かべる。

「……そうよ、私は取り戻す。私とアリシアの、過去と未来を……!
 取り戻すの……こんな筈じゃなかった、世界の全てを!」

その瞳に秘めたるは狂気。
全てを投げ打ち、この世界に絶望した者の醸し出す、禍々しい空気。
負の感情が渦巻くその空間を、一条の光線が切り裂く。
爆発、振動。
音源と思わしき箇所――プレシアの左斜め後方、およそ五十メートルほどの距離の壁面から粉塵が立ち昇り、
そして瓦礫を踏みしめる音が断続的に発せられる。

「……世界は、いつだって! こんな筈じゃない事ばっかりだよ!!」

もうもうと立ち込める煙の間から見え隠れする人の影。
それが一歩、また一歩とこちらへ近づく。

「ずっと昔から……いつだって、誰だって……そうなんだ!!」

煙の中から現れのは、全身のいたるところに傷を作り、痛々しく頭部から血を流す少年――クロノであった。

「こんな筈じゃない現実から逃げるか、それとも立ち向かうかは個人の自由だ!
 だけど、自分の勝手な悲しみに、無関係な人間まで巻き込んでいい権利は、何処の誰にもありはしない!!」

耳障りな崩落の音に負けぬ大きさで、彼は叫ぶ。
その瞳に宿る感情は、軽蔑とも怒りとも取れなかった。
ただ、悲哀。
悲哀に満ちたその言葉だけが、空しく辺りに木霊する。
僅かな沈黙。
それを切り裂くように、突如として天井が砕けた。
落下する建材に紛れて、二つの人影がプレシアの目の前へと舞い降りる。
二つ括りにした長い金色の髪が風に揺れ、漆黒のマントが翻る。
少女――フェイトと、彼女の傍らに立つアルフを、プレシアは睨む。
そのプレシアが不意にその場にくずおれた。
苦しげに口元を押さえ、弱々しく何度も咳き込む。
それと同時に指の間から鮮血が滴り、不規則な形の血溜まりを床に描く。

「母さん……!」

すぐさま、フェイトはプレシアの元へと駆け寄ろうとする。

「何をしに来たの……!」

しかし、喉の奥から搾り出された、明確な憎悪を孕んだその言葉にフェイトは身を強張らせる。
目の前にうずくまる母は、まるで射殺さんばかりの視線をフェイトへと向けていた。

「消えなさい。もうあなたに用はないの……!」

今までのフェイトなら、そのまま何も言わずにどこへとなり行っていただろう。
そしてフェイトが姿を消した後、アルフが親の仇を前にしたかのようにプレシアに食って掛かっていただろう。
だが、今のフェイトは違った。
一瞬だけ逡巡はしたものの、彼女は首を横に振り、一歩、また一歩と地を踏みしめ、プレシアへと歩みだしていった。

「……あなたに、言いたい事があって来ました」

立ち止まり、前を見据える。
変わらず突き刺さる冷酷な視線も意に介さず、フェイトはゆっくりと口を開いた。

「私は……私は、アリシア・テスタロッサじゃありません。あなたが創った、ただの人形なのかもしれません」

誰のためでもない。
自分自身のために、本当の自分のために、フェイトは言葉を紡ぐ。

「だけど、私は……フェイト・テスタロッサは、あなたに生み出してもらって、育ててもらった……
 ――あなたの娘です!」

そうだ。
人形だろうとなんだろうと、自分は母の手で生み出され、そして育てられた。
それで充分じゃないか。
母との繋がりなんて、その事実で充分じゃないか。

「……だから何? 今更あなたを娘と思えというの……?」

――繋がりなんて、それで充分だ。
――だから、私は……。

「……あなたが、それを望むなら。
 それを望むなら、私は世界中の誰からも……どんな出来事からも、あなたを護る」

――"絆"のために。
――ただの"繋がり"じゃない、本当の"絆"を取り戻すために。
――そのためになら……私は、いくらでも戦える。
――いくらでも、母さんを護ることが出来る。

「子が親を慕うのに、理屈も理由もありません。
 ……あなたにとっては、私は娘ではないとしても……私にとっては、あなたは紛れも無く、私の母さんです」

失った絆は、取り戻せばいい。
取り戻せないならば、新しく作っていけばいい。
どれだけ二人の距離が離れても、『親』と『子』という繋がりだけは、消えないから。
そう信じて疑わぬフェイトに、しかしくぐもった笑いが浴びせられる。

「……くだらないわ」

まるで、彼女の話には初めから興味など無かったかのように。
彼女の全てを嘲笑うかのように、プレシアは声を上げ続けた。

「もう、娘も母親も無いのよ……フェイト、あなたはもう用済みなの。要らないのよ!」



一際大きな破砕音が聞こえると同時に、今まで感じたことも無かった巨大な振動がフェイト達の身体に襲い掛かった。
かろうじて床の体面を保っていた建材が次々と落下していき、そこかしこで虚数空間がぽっかりと口を開け始める。

『艦長! ダメです、庭園が崩れます! 艦へ戻ってください! この規模の崩壊なら、次元断層は発生しませんから!
 クロノくん達も、早く脱出して! 崩壊まで、もう時間が無いの!』

大音量でアースラから切迫したエイミィの声が送られてくる。
どうやらこの振動は次元断層の発生に伴う物ではなく、この庭園が崩壊を起こしたことにより発生した物らしい。
クロノは苦虫を噛み潰したような表情で、

「了解した! ……フェイト・テスタロッサ!」

今の今までフェイトの意思を尊重し、状況の推移を見守っていたが、もはやそのような猶予は残されていない。
プレシアを逮捕し、フェイトを、アルフを、そして仲間達を連れて一刻も早くアースラへ戻らなければならない。
己の責務を全うするため、視線の先でプレシアと対峙するその少女の名を叫ぶ。
しかし、フェイトはクロノの呼びかけにも応じず、ただプレシアと向かい合うだけだった。

「……私は向かう。アルハザードへ……! そして全てを取り戻す……!
 過去も、未来も……たった一つの幸福も!」

薄ら寒い狂気すらも孕んだその言葉は、果たして誰に向けられたものだったのか。
プレシアのその言葉と共に、再び巨大な振動が室内を襲った。
天井からは石片が絶え間なく降り注ぎ、床には無数の亀裂が走り脱落していく。
それは、プレシアの周囲も例外ではなかった。
不意にプレシアの身体が、糸の切れた操り人形のようにグラリと傾いた。
彼女の傍にあったガラスの円筒もまた同じく、その身を傾ける。
耳障りな破砕音と共にプレシアの足元の床が完全に崩落し、彼女が、そして彼女の娘を収めた無機質な容器が、
無慈悲にも虚数空間の真上へと投げ出された。

「母さん!!」

反射的に駆け出そうとするフェイトを、アルフが後ろから押し倒すようにして止める。
直後にフェイトの顔のすぐ傍に、人の頭ほどもありそうな岩が、鈍い音を立てて落下した。
アルフが止めていなければ今頃岩の下敷きになっていたであろうが、今の彼女はそんなことを気に留めていられるような状態ではなかった。
うつ伏せになったフェイトの視界から、まるでスローモーションのようにプレシアの姿が消えてゆき――

――轟音。

天井でも、床でも無い。
彼女らの左側――ほど離れた壁面から、強烈な魔力光と砂煙と共に、恐ろしいまでの破壊音が発せられた。

『ん待て待て待て待て待てェェェェェ!!!』

煙の中から放たれる五つの声。
そして同時に飛び出す、五つの人影。
疾風の如き速さで、フェイトの眼前に白い、大きな塊が躍り出た。
それが白の着物を纏った人間だということに気付くのに、そう時間はかからなかった。



行く手を遮る目障りな壁を粉砕し、銀時は疾走した。
霰のように降り注ぐ石片など意に介さず、目の前でぽっかりと口を開ける床へと走る。
跳躍。
一切の迷いも逡巡も無く、銀時は虚数空間へとダイブした。
手を伸ばす。確かな感触。
彼がプレシアの手を確実に掴んだのを確認すると同時に、宙に浮いていた彼の身体が、重力に逆らい制止する。
腕の中を電気が通ったような痛みが走り、脳が揺さぶられる感覚を覚える。
手のひらから、生暖かい感触。
次いで、焼けるような痛覚。
どうやら手を掴んだ際に、一緒に鋭利な石片までも掴んでしまったようだ。
握り締められた手の中から赤い液体が滴り、闇に飲まれていく。

「気張れみんなァァァ! みんなの双肩にゃ主役の命かかってんだぞォォォ!!」

上半身を虚数空間の上へ投げ出し、うつ伏せで銀時の両足を掴んだ新八が叫ぶ。

「イダダダダダ! 伸びる! 身長伸びるってコレ!!」

その新八の両足を掴み、歯を食いしばりながらユーノは言う。

「無理無理無理ぃ! もげる裂ける千切れるぅ!!」

さらにそのユーノの両足を掴んだなのはが、涙目になりながら情け無い声を上げる。

「ふんごォォォォォ!!」

そして最後列。
なのはの両足を掴んだ神楽が、決死の表情でその場に踏みとどまっていた。



「アリシア……!」

自分の腕を掴んだ人物すら見ようとせず、プレシアはまるでこの世の終わりを目の当たりにしたかのような表情を浮かべる。
眼下に広がる暗黒の空間は、全てを飲みつくそうとしていた。
庭園の一部であった瓦礫を。
道を開くための希望であった、ジュエルシードを。
そして――愛しい娘を。
呆然としつつ虚数空間に飲まれてゆくガラスの円筒を目で追い、不意にプレシアは激昂する。

「離しなさい!! 私の……私のアリシアが!」

その時になって、ようやくプレシアは男――銀時の顔を見た。
その表情には怒りも哀れみも無い。
ただ、何かに必死になっている。そういう顔だった。

「いつまでも未練引きずってんじゃねーよババァ!
 本当にテメェのガキのこと想ってんならなァ、墓前に花の一つでも添えてやりやがれ!」

手と手の間から滴る血が、その叫びと共に闇へ堕ちる。
何も知らない第三者の、心無いその言葉がプレシアの胸を刺す。

「黙りなさい! あなたに何が分かるっていうの!? アリシアの……私の気持ちが!」

「知らねーよ、ンなもん!」

しかし銀時は言葉を繋ぐ。
彼女の言う通りだ。
自分は彼女の歩んできた道など、欠片も知らない。
知るつもりもない。

「分からねーよ……身も心もボロボロになっても、それでもテメェの事を想ってくれるガキがいて……一体何が不満だってんだ!」

ただ、自分の芯を通すだけだ。
目の前で堕ちるものを拾い上げるだけだ。
今、必死こいて引っ張り上げてるバカ親を、じゃない。
すぐ隣で、バカみたいにうろたえている気の弱いガキを、拾い上げてやるだけだ。

「愛してやれとは言わねェ。好いてやれとも言わねェ。けどなァ!!
 せめて傍に置いて……テメェのクソマズいメシでも食わせてやりやがれ!」

親子というのが、どういうものなのかは分からない。
世話になってる一家の姿を見ても、どうにも実感も沸かなかった。
ただ、「ああ、いつも幸せそうだな」と。
そう思うだけだった。
だからこそ。
だからこそ一つだけ、確信を持って言えることがある。

「……どんな馬鹿野郎でもなァ! 子供にゃ親が必要なんだよ!!」

――そうだろう?
――親子ってのは……家族ってのは、一緒にいるだけで、幸せになれるモンなんだろう?

「……母さん……!」

プレシアの前に、しかし決して手の届かぬ所に、小さな手が差し伸べられる。
銀時のそれよりもずっと儚く、優しく、穢れを知らない幼き手。
肩を入れ込むように、目一杯フェイトが手を伸ばす。
一瞬の沈黙。
まるで時を止められたかのように、誰一人として動こうとすらしない。
実際には片手で数え切れるほどの秒数しか経っていなかったが、その時間はフェイト達には永遠のように永く感じられた。
その永き時を破ったのは――誰が予想できたであろうか、プレシアであった。
彼女の意思を推し量ることは出来ない。
だが確かに、彼女は空いた手を虚空へと伸ばし始めていた。



異変を起こったのは、まさにその時であった。
ただでさえ暗かった空間が、一際強く闇に包まれた。
背筋が凍るような悪寒が走り、なのはは肩越しに天井を見やる。

「え……!?」

思わず目を見開き、そのままの状態でなのははその場に凍りつく。
素っ頓狂な声を上げた彼女の視界に入っていたものは、こちら目掛けて一直線に落下を始める、巨大な瓦礫だった。

「ウソぉぉぉ!? 漫画みたいなタイミングだ!!」

顔を青ざめさせ、新八が叫ぶ。
だが両手が塞がり、両足を掴まれている新八には、抗うことは出来ない。
いや、例え動けたとしても、例え強力な魔法が使えたとしても、自体は決して好転しない。
そう思わせるほどにまで状況は差し迫っていた。
だがしかし、だからといって誰が諦めることが出来ようか。
破片ごと掴み、血塗れになった手で、銀時はなおもプレシアを引き上げようと渾身の力を込める。
だが如何せん片手だ。
僅かばかりプレシアの身体が持ち上がったものの、それでも完全に引っ張り上げるには至らない。
その間にも、数珠繋ぎになったな銀時達全員を押しつぶせるほどの質量を持った瓦礫は、見る見るうちに彼女らのすぐ背後まで迫り――
不意に、目の前が淡く輝いた。
プレシアが虚空に伸ばした手のひらに、光が、魔力が収束し、円状の発射台を構築する。
熟練の魔導師が為せる、鮮やかな手際だった。
そして構築が完了すると同時に、一切の詠唱も無く円の中心から光の矢が放たれた。
矢はフェイトの頭を掠め、彼女の背後から迫る瓦礫に突き刺さる。
爆発、そして空間そのものを揺るがすほどの振動。
バラバラに砕け散った破片が雨霰のように降り注ぎ、銀時の身体を、肩を、腕を容赦なく叩く。
破片がぶつかる。手に込められていた力が緩む。
振動が襲う。掴んだ手が滑る。
血が滴る。滑り出す手に、拍車をかける。
駄目押しとも思える、一際大きな衝撃。

ついに。
銀時の手から。
痩せこけたその手が。
するりと、抜け落ちた。

「しまっ……!」

急ぎ再び手を伸ばすが、その手が掴むものは虚空のみ。
覆水盆に返らずの言葉通り、一度取り零したものが返って来る事は、決して無い。
力なく宙に横たわるプレシアの顔には、どこか安らぎすら感じさせる表情が浮かんでいた。
銀時のそれとは、全く対照的な表情だった。

「私も、すぐに行くわ……待っていてね、アリシア……」

永久の闇に飲まれるその直前。
銀時が、フェイトが最後に見たプレシアは――

「今度はもう、離れないから……」

――ほんの僅かに、笑っていた気がした。



『……お願い、みんな! もう時間がないの! 脱出急いで!!』

呆然と目の前の闇を見つめるフェイトの耳に入ってきたのは、エイミィの悲痛な叫びだった。
その言葉も音として耳に入ってきただけに過ぎず、それを言葉として理解できるほど、彼女は冷静ではなかった。
今目の前で起きたことが、未だに信じられなかった。
信じたくなかった。
やっと……やっと、正面から向かい合うことが出来たというのに。
まだ何も始まっていなかったというのに。
始まりは、これからだというのに。
だというのに、これが運命なのだとしたら、あんまりな話じゃないか。
胸に穴が空いたかのような空しい虚無感と脱力感に苛まれ、思考も、挙動も、何もかもが動かなくなる。

「…………かよ……」

不意に聞こえてきた、虫が鳴くような小さな囁きにより、浮ついた意識が引き戻される。
声の主は、震えていた。
その震えは怒りか、はたまた哀しみか。
白銀の髪に隠されたその表情は、フェイトのいる位置からでは窺うことは出来なかった。

「……俺ァまた……取り零しちまったってのかよ……」

崩落の鼓動が響く中、銀時のその呟きを聞いていたのは、フェイトただ一人であった。



『……庭園崩壊終了、全て虚数空間に吸収されました』

『次元震停止します。断層発生はありません』

『第三戦速で離脱、巡航航路に戻ります』

本来の居場所である艦長席への帰還を果たし、クルー達の報告に耳を傾けながらリンディは正面のモニターを見やる。
先程まで圧倒的な存在感を示していた禍々しい建造物は、影も形も、何もかもをその空間から消し去られていた。
後に残っていたのは、ただ大きく口を開ける巨大な闇のみ。
今の今まであの場所に自分達が居たことを考えると、背筋が薄ら寒くなってくる。
だが、なんにせよこれで全て終わったのだ。
自分と同じく帰還を果たした大事な仲間の、大事な家族の身を案じながら、リンディはようやく深いため息をついた。



アースラ艦内の医務室は、現場帰りの局員達で大盛況だった。
傷だらけになった局員がそこかしこに座り込み、一部の治癒魔法が使える局員は、忙しなく部屋のあちらこちらを
走り回り、仲間の怪我の治療に奔走している。
そんな部屋の片隅に、一般局員とは明らかに趣の違う服を着た集団が居た。

「……あれ、フェイトちゃんは?」

集団の中の一人――ベッドに腰掛け、ユーノに捻った足の治療をしてもらっているなのはが、部屋を見渡しながら何気無しに呟く。

「アルフと一緒に護送室だ。彼女はこの事件の重要参考人だからね。申し訳ないが、しばらく隔離になる」

こちらを向きながらそう言うクロノの額には、真っ白な包帯がぐるぐると巻かれており、
こめかみの辺りを巨大なリボン結びで止められていた。
先程まで彼が向いていた方向では、エイミィが満足げな表情を浮かべていた。
どうやらこのチャーミングなワンポイントは、彼女の仕業らしい。
痛々しさもシリアスさも半減である。

「そんな……あいたたた」

「なのは、じっとして」

立ち上がり不服を唱えようとするなのはだったが、不意に足首を襲った軽い痛みに、その場に座り込んだ。
ユーノにたしなめられ、なのははばつが悪そうな顔で俯く。

「今回の事件は、一歩間違えば次元断層さえ引き起こしかねなかった重大な事件なんだ。
 時空管理局としては、関係者の処遇については慎重にならざるを得ない……それは判るね?」

毅然とした態度でそう言い放つクロノだが、なのははやはり何処か不服そうな顔をし、隣へと視線を移す。
まず最初に視界に入ったのは、未だ乾ききらぬ血の跡が付いた指の先。
僅かに顔をゆがめ、しかしなのはは少しずつ視線を上へと向けてゆく。
だが、目的のものが目に入る前にそれは動き出す。

「あ、ちょっと銀さん! まだ治療終わってないですよ!」

突然部屋の入り口へと向かいだした銀時に対し、新八が救急箱から消毒液と包帯を取り出しながら言う。
だが彼の言葉が届かなかったのか、銀時は無言のまま扉を開け、通路へと出て行く。
その姿をしばらく呆然と眺めていたなのはだが、不意にはっとした様子で立ち上がり、
へこへこと痛む左足を引きずりながら銀時の後を追い始めた。
背後からユーノの声が聞こえてくるが、そんなことは気にも留めず、彼女もまた医務室を後にした。

「……あれ? そういえば、神楽ちゃんは?」

なんの突拍子も無く、エイミィが辺りを見回しながら尋ねる。
今の今まで気付かなかったが、そういえば神楽の姿が見えない。
よくよく考えれば、医務室に入ってきた時には既に彼女は姿を消していたことを思い出す。

「ああ、神楽ちゃんなら『寝れば治る』って言って、自分の部屋に戻っていきましたよ。
 一応検査してもらった方がいいって言ったんですけどね……」

手にした包帯と消毒液をユーノに渡しながら、新八は応える。
だがその言葉とは裏腹に、彼の顔には心配よりもむしろ「ああ、やっぱりか」という感じの表情が浮かんでいた。

「まったく……ホントに意地っ張りなんだから……」

苦笑を漏らしながら呟いた新八の言葉に、ユーノは首を傾げるしかなかった。



無駄に広い通路の壁にもたれかかり、銀時はぼぉっと向かいの窓を見つめる。
ガラスに映る自身の姿と、視界一杯に広がる次元の海が重なり、不鮮明な像が映し出される。
何一つ音の発せられぬ無音の空間で、銀時はぶっきらぼうに頭を掻いた。

「……銀さんっ!」

その静寂を破るように、銀時に声がかけられる。
首を傾けた先には、足を引きずりながら壁伝いにこちらへ向かってくるなのはの姿。
しかし、その姿を認めても銀時はなおも動こうとはしなかった。
顔の向きを直し、ただただ真正面を見つめるだけだ。
なのはは苦労しながらもそんな彼の傍へ歩み寄り、そして寄り添う。
きっと、責任を感じている。
人一人を目の前で死なせてしまったことに、負い目を感じている。
そう考え、何かしら声をかけようとここまでやってきたのだが、いざ本人を目の前にしてみると上手く言葉が出てこない。
口をもごもごさせながら「あの……」だの「えっと……」だの、言葉にならない声を出していると、

「……なのはよォ……」

不意に、銀時が尋ねる。
なのはは俯き、押し黙ったまま彼の次の言葉を待った。

「……お前……今、幸せか?」

「……え……?」

突拍子も無い問いかけに、なのはは素っ頓狂な声を上げる。
質問の意図を理解できずに、彼女はただ呆けたように口を開け、目をぱちくりさせながら銀時の顔を見た。
ぶっきらぼうに頭を掻く銀時の表情は、どこかばつが悪そうだった。

「……銀さんは……幸せじゃ、ないんですか……?」

ようやく喉の奥から搾り出せたのは、そんな言葉だった。
頭を掻く手を止め、銀時はしばらく考え込むように天井を見上げて、

「……さぁな……俺には分からねーや」

そう言い残し、なのはに背を向けた。
コツコツと靴が床を叩く音がし、銀時の背中が徐々に小さくなってゆく。
なのはにはその背中が、酷く煤けて見えた。
放っておけば、風に吹かれて消え入ってしまいそうな、そんな寂しい背中だった。
思わず、なのはは声を張り上げた。

「……銀さん! あの……なんて言ったらいいか分からないですけど、私……!」

しかしその言葉を遮るように銀時は右手を挙げ、

「ガキに心配されるほど、ヤワなタマは持ち合わせちゃいねーよ。
 ……俺のこたァいいから、アイツのところ行ってやりな」

その言葉を残し、彼は通路の角へと姿を消していった。
彼が残した言葉には悲しみも憤りも無い。
ただ、諦めに似た何かが込められているようだった。
何故だろうか。
今までずっと身近だった存在が、傍に居るのが当たり前だと思っていた存在が、
いつの間にか手の届かない遠くまで行ってしまったかのような、そんな言い知れぬ不安感を、なのはは感じていた。



床も壁も、そして天井も白一色に塗装された部屋の中に、わずかな衣擦れの音が響く。
扉の上部の格子から差し込む光が、音の主達をぼんやりと照らし出す。
護送室と名付けられたその部屋は、就寝のための簡素なベッド以外には何一つ置かれていない殺風景な部屋だった。
その部屋の片隅に鎮まる影が二つ。
壁にもたれかかり、俯いたままうずくまるフェイトと、彼女に寄り添うアルフであった。
全てが終わりこの場所へ連れてこられたその時から、二人は身じろぎ一つせずその場にただ座り込んでいた。
――そう、全て、終わった。
――何も、取り戻すことはできなかった。
まるで魂を抜かれてしまったかのように、まるで心を失ってしまったかのように、フェイトはただ押し黙る。
そんな彼女らの耳に、二つの足音が飛び込んでくる。
一つは、コツコツと無機質な床を踏む音。
もう一つは、何か柔らかいものが地面を踏みしめるような音。
その音達は次第に護送室へと近づいてゆき、そしてその扉の前と思わしき場所で姿を消す。
何かが布と擦れる音。
そして扉に、何かが当たる音。
残された沈黙の中、フェイトは重たげに首をもたげ、扉を見やる。
差し込む光の量が、明らかに減っていた。
扉の上部の格子に視線を向けると、何か白い毛むくじゃらなモノが見えた。
今まで機能を停止していた思考がようやく活動を開始する。
一体あれは何なんだろうか?
不審に思い、じっと格子の先を見つめる。

「……寝苦しかったから、風通しの良いトコ探してただけアル」

不意に扉の向こうから聞こえてきたその声に、フェイトは聞き覚えがあった。
あの妙に色めかしい服を着た、赤毛の女の子の声だ。
ということは、格子の向こうに見える毛むくじゃらは、彼女がいつも連れ添っているあの巨大犬か。

「…………」

再び訪れる沈黙。
それがフェイトに重圧となって覆いかぶさる。
思えば彼女に対しても、随分と酷いことをしてきてしまった。
目の前で彼女の大事な友人を傷つけ、自分の不注意のせいで、彼女の大切な人を傷付けた。
そんな自分に、彼女と言葉を交わす資格などあろうか。
アルフもまたフェイトと同じく、床を見つめたままじっと黙りこくる。

「……今でもまだ、マミーのこと好きアルか」

扉の向こうから聞こえてくる声に、しかしフェイトは押し黙る。
重い空気と、聞こえてくる自身の呼吸音。
突然、扉が爆発でも受けたかのような振動と共に膨らんだ。
いや、向こうから見れば『凹んだ』というのが正しいだろう。

「……質問に応えろってんだヨ。クソガキ」

明らかに不機嫌なその物言いに、フェイトは思わず肩を竦める。
だが少しの間の後、フェイトは口を開いた。
相手の態度に臆したわけではない。
ただ、自分の意思を、想いを確かめるように、小さな手を胸に当て、フェイトは頷く。

「……うん……」

「だったら、いつまでもメソメソしてんじゃねーヨ」

まるで初めから答えなど分かっていたかのように、間髪入れずに神楽が返す。

「本当にマミーのこと好きならなァ。笑って、泣いて、怒って……あの世で『幸せでした』って胸張って言える生き方、してみろヨ。
 それがマミーに出来る、一番の手向けだろーが」

いつも通りのつっけんどんな言い方。
しかし、どこか優しさも孕んだ言い方。

「でないと……誰も、報われないアル」

最後に付け足すようにぽつりと呟かれたその言葉は、とても寂しく聞こえた。
――誰も、報われない。
……そうだ。
いつも傍に居てくれた相棒も。
自分の味方だとはっきり言ってくれた、あの眼鏡の男の人も。
今こうして扉の向こうで、自分の身を案じてくれている女の子も。
そっと自分の背中を押してくれた、あの男の人も。
……初めて、友達になりたいと言ってくれた、あの女の子も。
一体彼女らは、誰のために、何のために戦っていたのか。
……考えるまでも無い。自分のためだ。
だというのに、自分は。
やっと殻を破って、やっと一人で立つことが出来たというのに、また自分の殻に引き篭もろうとしている。
そんなことをして、一体どこの誰が喜ぶというのか。
一体誰が報われるというのか。
自分も、彼女達も……そして、母も。
母は、報われたのだろうか。
最期の最期でようやく笑顔を見せた、しかし唯一の幸せすらも掴み損ねた母は。
こればかりは、当人で無い限り分からない。
でも……。
ここで自分が折れてしまったら、母も、誰も彼も報われないのではないかと、フェイトは漠然と思う。

「……あの……!」

意を決したように、フェイトは扉に向かって声を投げかける。
返ってきたのはあろう事か、健やかな寝息。
寝床を探していた、というのは全くの冗談ではなかったらしい。
思わず拍子抜けしてガクリと肩を落とすフェイトの耳に、再び客人の来訪を知らせる音が飛び込む。
先程神楽がやってきた時と同じ、コツコツと床を叩くような音。
神楽のときと違い、不規則なリズムを刻みながらこちらへ近づいてきたそれは、扉の前の辺りまでやってきたところで動きを止め、

「……うわ……派手にやったね、神楽ちゃん……」

神楽が変形させた扉を見たのか、呆れとも驚愕とも取れる声を上げた。
声の主は、忘れるはずも無い。
一緒に戦った、あの白い魔導師の女の子だ。
女の子の声はそこで途切れ、代わりにまた神楽の寝息が格子から入り込む。
少しの間を置いて、コン、と何かがぶつかる音が、扉の下から響いた。

「……私も、ここで寝ちゃっていいかな……?」

その問いかけが神楽に対してのものではないということは、すぐに理解できた。
寝ている人間に問いかけをすることなど、そうそう無いだろう。
だからこそフェイトは、その問いを自分に対してのものだと受け取り、そしてすぐに返事を返した。

「……うん……」

それっきりフェイトも、扉の向こうのなのはも押し黙る。
沈黙の中、微かに聞こえる少女の寝息が、フェイトの耳に心地よく響いていた。



『日は流れて三日後。
 ようやく管理局での仕事を終え、地球へ戻れる日がやってきた。
 一番の不安要素であったフェイトちゃんの今後の処遇だが、本来なら数百年以上の幽閉という重罪だそうだ。
 が、状況が特殊であり、彼女自身が自らの意思で犯罪に加担していなかった事もはっきりしているため、
 無罪……とまでは行かなくとも、情状酌量の余地はあるそうだ。
 その辺はクロノくんが何とかしてくれるみたいなので、まあ、ひとまずは安心である。
 それにしても気になるのは、フェイトちゃんのお母さんが目指していたという、アルハザードという土地のことだ。
 遠い昔、次元の狭間に落ちて滅んだと言われている土地。
 時間と空間を遡り、過去さえ書き換える事が出来る秘術。
 そして失われた命をもう一度蘇らせる事が可能な秘術が眠る、幻の都。
 果たして、本当にそんなものがあるのだろうか?
 そんなおとぎ話に出てくるような土地が、本当に存在していたのだろうか?
 真相は、何も分からない。
 でも、そんな不確かな伝承にしか頼れなかった、いや、頼らざるを得なかったフェイトちゃんのお母さんのことを思うと、
 少しだけ、胸の奥が刺されるように痛む。
 ……だが、あれだけの人物が自分の命を賭してまで探そうとした途。
 もしかしたら、彼女は既にアルハザードへの途を――』

「オイ、何やってんだ新八」

「どわっ!? ぎ、銀さん!?」

転送ポートの前で手記を書き連ねていた新八は、突然背後から声をかけられ、大慌てで手帳を胸の前で抱えた。
思春期真っ盛りの青年としては、やはり秘密の日記帳を見られるのは恥ずかしいのだろう。
だがそんな新八の姿を見て、銀時と彼の傍にいた神楽の悪戯心に火がついてしまったようだ。
二人で新八の前後に立ち、彼の手から手帳を引っ手繰ろうとする。
銀時達の魔の手から必死に逃げ回る新八を見て思わず苦笑を漏らすなのはと、彼女の肩に乗って、同じように苦笑するフェレットが一匹。
そう、ユーノだ。
彼の故郷であるミッドチルダ方面は、先の庭園での次元震により航路が不安定になり、復旧までにかかる時間が数ヶ月から半年と見込まれていた。
別段急いで帰る必要も無いのだが、かといっていつまでも管理局の艦に世話になるのも気が引ける。
どうしたもんかと悩んでいたところに、なのはが「これまで通り、うちに居ればいい」と持ちかけたのだ。
もちろんユーノ当人は、最初はやんわりと断ろうとした。
というより、万事屋の三人が猛烈に反対してきたので、迂闊に首を縦に振ることが出来なかった。
しかしそこは見た目よりも頑固ななのは。
およそ一時間に及ぶ口論の末、遂にユーノの高町家への居住権を獲得したのであった。
ちなみに、口論が終わる頃にはユーノ自身の意見は完全にスルーされていたとか。

「それじゃ、今回は本当にありがとう」

「協力に感謝する。……フェイトの処遇は決まり次第連絡する。
 大丈夫さ、決して悪いようにはしない」

名残惜しむリンディとクロノに、しかしなのはは笑顔を作って返す。
短い間とはいえ、一緒に戦ってきた仲間。
今生の別れでは無いと分かっていても、やはり寂しいものがある。

「……次に会った時は、その時こそ決着をつけましょう。銀時さん」

「フン。そん時ゃ、一週間前からメシ抜いてくるこったな。ま、それでも俺が勝つけど」

「目に団子入っても火傷しないように鍛えとけヨ、クロ助」

「二度とやるか! あんなこと!」

その寂しさを吹き飛ばすように、派手に火花を散らしあう甘味王達。
最後の最後までこの騒ぎか。
エイミィと新八が互いに顔を合わせ、呆れ果てたように肩を竦める。

「……じゃ、そろそろいいかな?」

エイミィのその一言で、途端に場が静まり返る。
とうとう、本当にお別れの時だ。
少しだけ悲しげな表情をしながら頷き、なのははユーノと共に転送ポートへと向かう。
銀時達も後に続き、四人と二匹が白銀色の巨大な円形魔法陣の上へと乗る。
装置の傍へ据え付けられたコンソールをエイミィが叩き、なのは達の身体が淡い光へと包まれ、

「……またね! リンディさん! クロノくん! エイミィさん!」

なのはのその声と共に、彼女らの包んでいた光が弾けるように掻き消えた。
後に残された虚空を眺め、エイミィはそっと呟く。

「……そういえば報酬の振込先、銀時さんに聞いてましたっけ?
 というか……ちゃんと日本円で支払えるんですか?」

何故か固まる我らが艦長。
きっかり三秒の沈黙の後、リンディは笑いながら、

「まあまあ、ちょっとした経費削減だと思って♪」

そう言って、足取り軽やかに踵を返した。
そんなお茶目な艦長様を、ジト目で見つめるクロノとエイミィ。
ホント大丈夫なんだろうか、この艦は。
なんとも表現しがたい不安に駆られていると、鼻歌交じりで転送ポートを後にするリンディが突然足を止め
――彼女にしては珍しく――女性的な笑顔を浮かべ、クロノ達へと向き直った。

「それじゃ……サプライズイベントの準備でもしましょうか」



朝焼けの眩しい臨海公園。
初めてクロノ達と出会ったその場所に、彼女らは佇んでいた。
あまりにもあっけなく本来の日常へ放り出され、むしろ今目の前に広がる光景こそ夢なのではないかという錯覚すら感じる。
しかし、打ち寄せる波の音、風に揺れる木の葉の音、遠くから流れる電車の喧騒が、これは紛れも無い現実だと、合唱を奏でていた。

「……帰ろっか、みんな」

呟き、なのはは歩みだす。
そしてそれに連なるように、複数の足音が鳴り出す。
枯れ草と砂が擦りあうような、情緒ある草履の足音……新八。
擦りあうというより、むしろ叩くと言った方が正しいブーツの足音……銀時。
ペタペタと、何か柔らかい物が地面を踏みしめる音……神楽を背中に乗せた定春。
そして、あと二つ。
不意になのはが立ち止まる。
続いていた足音も一緒に止まる。
僅かな疑念と、そして期待を抱きながら、なのははゆっくりと後ろを振り向いた。

「……あ……」

きっとその時の自分の表情はきっと、驚きよりもむしろ嬉しさに溢れていただろうと、なのはは思う。
視線の先、先程まで自分達が居たその場所に、彼女は居た。
はにかみながらこちらを見る、美しい金髪を二つ括りにした少女と、その傍に佇む赤毛の獣人の女性。

「……しばらく、会えなくなるから……今のうちにお話してきなさいって、提督が……」

金髪の少女――フェイトが、恥ずかしそうに、どこか嬉しそうにそう言う。
そのまま訪れる沈黙。
どちらからも言葉を発せぬまま、少しずつ時間は過ぎてゆく。

「……ま、若いモン同士でゆっくりしていきな」

最初に沈黙を破ったのは銀時であった。
彼はそう言いってフェイトに背を向け、新八と神楽をいざない、ちゃっちゃとその場を離れる。
引きとめようと声をかけるなのはだが、彼女の声など馬耳東風といわんばかりの態度で、
銀時は公園の入り口付近のベンチにどっかりと腰を据えた。
いつも何にも興味無さそうな顔をして、その実、どこかでこっそり見守っている。
ただ単に恥ずかしいだけなのだ、彼は。

(ホント、素直じゃないんだから)

なのはは苦笑を漏らし、肩を竦める。

「それじゃ、僕らも向こうにいたほうがいいかもね」

「ん……そだね」

なのはの肩から地面へと飛び乗り、ユーノもまたアルフと一緒にベンチの方へと向かい始める。

「アルフ……?」

「ま、後は若いモン同士ってことで〜」

ひらひらと手を振るアルフの姿は、見る見るうちに小さくなっていく。
後に残された二人の間に、再び沈黙が訪れる。
恥ずかしさと気まずさが入り混じり、なんとも形容しがたい空気が辺りを包む。

「なんだかいっぱい話したいことあったのに……変だね、フェイトちゃんの顔見たら、忘れちゃった……」

「私は……うん、そうだね。私も、上手く言葉にできない」

あはは、と困ったような笑みなのはは浮かべ、フェイトは恥ずかしそうに俯き、そして呟く。
重苦しかった空気が、少しだけ薄れた気がした。
徐々にだが、なのはの笑みからも困惑の色が薄れてくる。
が、しかし。
一度顔を上げ、なのはの顔を見たフェイトは、不意に悲しげな表情を見せ、そして再び俯く。

「……あの時は……ごめんね……」

「え……?」

「君が、『友達になりたい』って言ってくれた、あの時……」

――友達なんて、いらない。
はっきりとそう言ってしまったあの時の事を思い浮かべ、辛そうにフェイトは押し黙る。
なのははほんの少しだけ逡巡し、

「……今でも、あの時と同じ?」

その問いに、フェイトは首を横に振って答える。

「今は……私にできるなら、私でいいならって……そう思ってる。
 だけど私、どうしていいか分からない……だから、教えて欲しいんだ……どうしたら『友達』になれるのか」

「……簡単だよ。友達になるの、すごく簡単!」

嬉しそうにフェイトの手を取り、なのははそっと語りかける。

「……名前を呼んで。はじめはそれだけでいいの。
 君とかあなたとか、そういうのじゃなくて……ちゃんと相手の目を見て、はっきり相手の名前を呼ぶの」

満面の笑顔。
眩しくて、優しくて、どこか心地いいお日様のような笑顔が、フェイトの目の前に広がっていた。
その暖かい笑顔に、どこか懐かしさを感じる。
――ああ、そうか。
"彼"が記憶喪失になった時。
その"彼"が、彼女達の元に帰って来た時に見せた、あの笑顔。
ずっと憧れていた。護りたいと思っていた。
いつか自分も、心の底から浮かべてみたいと思っていた、あの笑顔。
今自分に向けられている笑顔は、まさしくそれなんだ。

「私、高町なのは……なのはだよ!」

そう言う彼女の表情は、純で、何一つの澱みもなくて。
見ているこちらの心まで、洗われていくようだった。
フェイトは少しだけ戸惑いながら、小さく口を動かし、

「なの、は……」

「うん、そう!」

おっかなびっくりに、一言一言を噛み締めるように言葉を紡ぐ。
何度も何度も、その言葉を、名前を呼ぶ。

「……なのは……ありがとう……」

正面から向き合ってくれた。
全てを受け止めてくれた。
ずっと共に在りたいと思ったその少女の手を、優しく握り返す。

「君の手は、暖かいね……なのは……」

愛しむ様に、なのははそっとフェイトを抱きしめた。
ようやく掴んだ"絆"の喜びを、共に分かち合うかの様になのはは涙を流す。
いつだったか、似たような光景を目にしたことを思い出す。
でも、その時の状況は全く逆で。
その時の彼女が流していたものは、紛れも泣く悲しみによるものだった。

「……少し、分かったことがある。
 友達が泣いていると、同じように自分も悲しいんだ」

ようやく、あの女の子の言っていたことが理解できた気がした。
友達が悲しむところを見ることは、自らが友達に悲しい思いをさせてしまうことは、
この世界中の何よりも、悲しく辛いことなのだと。
胸の中で小さく嗚咽を漏らすなのはを、フェイトはそっと抱きしめる。

「ありがとう、なのは……今は離れてしまうけど、きっとまた会える。
 そうしたら……また、君の名前を呼んでもいい……?」

なのはは頷く。何度も、何度も。
裾を握る手から、離れたくない、一緒に居たいという思いが伝わってくる。
そのことが嬉しかった。
フェイトは、ふと頬を緩める。

「会いたくなったら、きっと名前を呼ぶ。
 だから、なのはも私を呼んで。なのはに困ったことがあったら、今度はきっと私がなのはを助けるから」

朝焼けに包まれ微笑むフェイトの姿は、優しくて、神秘的で、
今までの彼女よりも、ずっと美しく映えていた。



両脇から聞こえてきた鼻をすする音に、銀時は思わず辟易した。
もうなんというか、情緒の欠片も無い。
完全に雰囲気ぶち壊しである。

「汚ねーよお前ら。とりあえず拭け」

「ぐず……スンマセン。こーいうの弱いんで……」

「アンタんところの子はさ……なのはは、ほんとにいい子だね。
 フェイトが……あんなに笑ってるよ……」

銀時が差し出したポケットティッシュを受け取り、新八とアルフは涙でボロボロになった顔を拭く。
半ば呆れた様子でため息をつきながら、銀時は件の二人へと視線を向けた。
別れを惜しむように抱き合い、そして微笑む二人の少女。
まったく、ここまで来るのにどれだけ遠回りをしたことか。
銀時は再びため息をつき、しかし何処か安堵した様子で重い腰を上げ、ベンチから立ち上がった。

「人騒がせなお嬢ちゃんだったな。ったく……」

そうとだけ言い残し、彼は公園の入り口へと向かう。
呼ばれるまでもなく、新八と神楽もそれに付き従う。

「……行っちゃうんですか? 銀時さん」

「フェイトとは……話していかないの?」

銀時の背中に、ユーノとアルフから声がかけられる。
彼らもまた別れを惜しむように、銀時達の背中を見つめていた。

「……言いてーことなら、アイツが全部言ってくれたさ」

銀時は立ち止まり、しかし背を向けたまま呟く。
ほんの少しの逡巡。
銀時は三度ため息をつき、面倒くさそうに頭を掻きながら振り返り、

「それに……」

意味深な笑みを、二人へと投げかけた。

「人を、待たせてるんでな」



「……以上が、今回の事件の推移です」

薄暗い個室の中に展開されていたホロスクリーンが消え、女性の声が響く。
美しい紫のロングヘアーに、どこかのやり手の秘書官のような出で立ちをした優艶なその女性は、
傍らに立つ白衣の男に手にしたクリップボードを渡す。

「"プロジェクトF"……まさか独力で完成させていたとはね……いやはや、惜しい人物を亡くしたよ」

心底楽しそうにくぐもった笑いを漏らしながら、ボードに挟まれた書類をパラパラと捲っていた男は、
ある一枚の書類を見つけ、興味深げにそれを見つめだした。
少し豪華な履歴書、とでも言うべきだろうか。
紙面の隅々までにびっしりと書き込まれた文字と、左上に貼り付けられた金髪をツーテールにした少女の写真。
そして、その写真の横に書かれた名前。
すなわち……。

――"Fate Testarossa"

「……直ちに回収を?」

女性が問いかける。
だが、男はかぶりを振り、クリップボードを女性に返しながら笑う。

「楽しみは後に取っておくものさ。それに、さすがに"三兎"を追う気にはなれないね」

「畏まりました。続いて、No6とNo10の起動実験の件についてですが……」

たいした感慨も持たず、女性は淡々と報告を続ける。
男は一人、歓喜するように身体を震わせていた。
その胸中に宿るのは野心か、はたまた無限の欲望か。

「"聖王"と"夜天の王"……先に微笑みかけてくれるのは、果たしてどちらだろうね」



さて、ここへ来るのは何週間ぶりだろうか。
普通の人間なら、そうやって感慨に浸るだろう。
しかし彼は普通ではなかった。
見慣れた家。
見慣れた玄関。
肌身離さず持っていた合鍵をドアノブに差込み、勢いよく玄関を開く。

「うーっす。銀さんがやって来たよーっと……」

そんな彼を待ち受けていたのは。

「……この……」

「……あの、ちょっとはやてさん? 一体何を……」

シャマルに抱きかかえられ、俯き肩をワナワナと震わせるはやてであった。
マズい。非常にマズい。
何がマズいのか、と具体的に聞かれると困るが、とにかくこの威圧感は尋常じゃない。
思わず後退る銀時だか、そんな彼にシャマルは無言で接近してくる。
救いを求めるように銀時は後ろを向く。
一緒にいたはずの新八と神楽は、いつのまにやら忽然と姿を消していた。
どうやら逸早く危険を察知して、安全域まで退避したらしい。

「……こンの……ドアホー!!!」

「ぶふぉ!?」

怒りの叫びと共に、銀時の顔面にはやての鉄拳がめり込んだ。
もう一度言うが、平手ではなくグーパンである。
しかも鼻っ面にだ。
さすがの銀時も、これには倒れざるを得ない。

「ホンマにこの人はもぉー!! 人の気も知らんと、毎度毎度心配ばっかりかけて!!」

「くぎゅ! くぎゅ!! くぎゅ!!!」

だが、はやての怒りは収まらない。
一体何をどうやったのかは知らないが、いつの間にかマウントポジションを取ったはやては、
銀時に仮借ない往復ビンタを叩き込む。
かなりハリのある良い音と共に、銀時の情けない声が玄関先で響く。
その音が十往復ほどした頃だろうか。
不意に銀時の両頬から発せられていた音が消え、あれほど怒り狂っていたはやてが突然鳴りを潜めた。
真っ赤に膨れ上がった頬を押さえ、不審そうに銀時ははやての顔を覗き込む。

「ほんっ……まに、心配したんやから……!!」

ぽたぽたと、顔に、身体に何か暖かい物が落ちてくる。
涙だった。
わなわなと身体を震わせ、搾り出すように声を出すはやての姿に、
銀時は珍しく……本当に珍しく、僅かな罪悪感を覚えた。
ぶっきらぼうに頭を掻き、しかしいつもと変わらぬ無愛想な口調で、

「……悪かったよ。反省してる」

「……ホンマに?」

手の甲で涙を拭いながら、はやてが疑いの眼差しを向けてくる。
それでも銀時は平静を努め、

「ああ」

しかし、銀時が珍しく見せた誠意ははやてには伝わらなかったようだ。
なおもはやては疑いの眼差しを向け、しつこく銀時を問い詰める。

「ホンマに、ホンマ?」

「しつけーな! してるって言ってんだろ!」

ついつい声を荒げて反論してしまう銀時の前に、不意に手が差し出された。
唐突なその行動に銀時は困惑する。

「……何? この手」

「ゴメンなさいで済んだら、警察も真選組もいらへんもん」

目を真っ赤にしながら、ぷぅ、と頬を膨らませたはやては両の手を突き出した格好のまま、
酷く不機嫌な声で小さく呟いた。

「……お姫様抱っこしてくれたら、許したげる」

突然の意味不明な要求に、銀時は思わずぽかんとした表情をする。
――ありのまま今起こった事を話そう。
――『職場に戻ってきたら雇い主に殴り倒されて逆セクハラをされた』
そんなことを言いたげな表情だった。

「アレってお姫様を抱くからお姫様抱っこって言うんだろーが。
 こんなチビガキ抱き上げてお姫様ってそれなんてギャグ……」

かろうじて……の割にはやたらと流暢に出てきたその言葉は、再びはやてを修羅の戦士へと覚醒させるには
充分な破壊力を有していた。
両手を挙げ、鬼神の如き表情で威嚇をする少女の姿に、実戦経験者は本能的に生命の危機を感じ取った。
割とマジで。

「あ、スンマセン。喜んでさせていただきます」

荒ぶるはやてのポーズにすっかり恐れをなした銀時は、慌てるようにはやてを抱き、立ち上がる。
あまりにも急に軽々と持ち上げられたはやてが、小さく悲鳴を上げて銀時の首に手を回してくる。
首筋にかかる吐息が、妙にくすぐったい。
身動ぎしながら器用に靴を脱ぎ、廊下へとあがる銀時の耳に、何故だか妙な電子音が聞こえてきた。
何事かと居間の入り口に目をやる。

「って、お前ら何やってんのォォォォォ!?」

そこには、それぞれデジタルカメラとインスタントカメラを手に取り、
入り口からひょっこりと顔を出すシャマルとシグナムの姿があった。
一体何をやってるんだこいつらは。
まさか撮ったのか? 撮られたのか? こんなこっ恥ずかしいところを?
リミットブレイクした羞恥心を怒りへと変換した銀時が怒鳴り声を上げる。
が、しかし。
シャマルもシグナムもどこ吹く風といった表情で、

「何って……記念写真ですよ。銀時さんの復活記念」

「たまには、こういうのもいいではないですか。ヴィータ、ザフィーラ、お前達も来い」

あろうことか増援まで呼ぶ始末。
何ですかコレは? 新手のイジメ?
全身全霊を込めて銀時は叫ぶ。
この理不尽な状況を打破するために。

「記念じゃねーよこんなん! ほとんど罰ゲームだよ!」

「ヴィータ、早くこっち来るネ! 私の隣空いてるヨ!」

「それじゃ新八さん、シャッターお願いしますね」

「ええ、任せておいてください」

が、銀時の最後の抵抗も徒労に終わってしまったようだ。
いつの間にか帰って来た神楽と新八も加わり、完全ななごやかムードで銀時の言葉など地平線の彼方まで
押しやられてしまった。

「人の話を聞けェェェェェ!!」

「ほら銀さん。ちゃんと前向いて笑わないと」

「笑えるかァァァァァ!!」

いつの間にか用意した三脚にインスタントカメラを載せ笑顔を要求してくる新八を怒鳴りつける。
しかしペースを掴んだ新八は強い。
銀時の言葉など意に介さず、ファインダーの向こうで思い思いのポーズを取る守護騎士に、万事屋に、そしてはやてに言う。

「ほら、みんなも笑って笑って!」

タイマーをセットし、急いで銀時の隣へ。
そんな彼を銀時は一睨み。
どうしてくれようかこのダメガネは。
シャッター下りる瞬間に蹴り飛ばしてやろうか。

「……銀ちゃん」

「あァ?」

悶々とそんなことを考えていた銀時の耳元で、小さく声が聞こえた。
小さく小さく、まさしく蚊の鳴く様な声で銀時を呼び掛けたその少女は、
少しだけ恥ずかしそうに、だが本当に嬉しそうに、溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。

「……おかえり!」