なの魂(旧版)

広大な敷地を持つ夢幻教総本山に建てられた、これまた大きな道場のような施設。
ざわめかしい人々の声が絶え間なく室内から漏れ出し、まるで真昼の街頭にいるかのような錯覚すら感じる。
施設の中で老若男女問わず様々な人達が集っており、一様に同じ真っ白な作務衣で珍妙な舞――というよりは、むしろ太極拳に近い――
のようなものを踊っている姿は、不気味を通り越して薄ら寒さすらも感じてくる。

『ドッリぃぃぃム、キャッツァァァ!!!』

そんな中から、一際大きな声が二つ。
サラッサラのおかっぱヘアーになった銀時と、大盛り『ごはんですよ』で満腹になった神楽だ。
二人は周りの信者達と同じく白い作務衣を身に纏い、そしてあろうことか、毛の生えた付けボクロを自身の頬に付け、
そして並んで両の手を前に突き出し叫んでいたのだ。
先程、斗夢が演出した奇蹟に、すっかり心奪われてしまったのだろうか。

「だから違うって。君達さ〜、発音にこだわってばっかで全然気持ちが入って無いんだよね〜」

その彼らの前に一人の信者――白髪でメガネをかけた、中肉中背の男性だ――が歩み寄り、ため息をつきながらそんな事を言う。
どうやら銀時達の鍛錬の仕方が気に食わなかったらしい。
その男は銀時達をその場に正座させ、そして両手を腰に当てて二人を小馬鹿にするような目で見下ろし、
グチグチと小言を言い始めた。

「気持ちッスか。先輩、分かりました。なんか今ならやれそうな気がします」

神妙にその男の話を聞き入っていた神楽が、突然すっと立ち上がる。
両足を開いてその場に踏ん張り、両手を右腰に添える。
すうっ、と大きく深呼吸。
そしてクワッと目を見開き、

「死ねェェェブサイク!!」

「ぐはァ!」

男性の鼻っ面に、両手での掌底突きを叩き込んだ。
鼻血を噴出し、もんどりうって男性はその場に転がる。

「ちょっ……気持ちってそれ殺意じゃん! 何してくれてんのォ!」

「先輩への気持ちッス。受け取ってください」

「いらねーよ!」

怒り肩で真っ向から拒絶する男性だが、神楽はそんなことなど意に介さず「オッスオッス!」と言いながら
男性に掌底突きを打ち込みまくる。
顔に、腕に、どてっ腹に。
ありとあらゆるところを全力全開で殴打された男性は、涙目になりながらのた打ち回る。
しかし神楽の猛攻は終わらない。
それどころか、銀時までそれに便乗して情け容赦なく男性を足蹴にしはじめた。
もはや公開処刑である。
そんな彼らを、遠巻きに見守る影が二つ。

「……目的忘れてすっかりはまっちゃってんですけど」

新八とザフィーラであった。
首筋元に付けボクロを付け、信者に扮した二人は揃ってため息をついた。

「放っておけ。バカの相手などする必要もない」

壁にもたれながら腕を組むザフィーラは、大絶賛私刑執行中の二人を見やりながらぼやく。
「そうですね……」と額に拳を当てながら同意し、しかし新八は辺りを見回して今度は感嘆のため息をついた。

「でも、これだけ信者がいるのも分かった気がしますよ。あんなもの目の前で見せられたら……」

学校の体育館を思わせる建物の中で、所狭しとよく分からない修練に励む信者達。
おそらく彼らも、先程自分達の目の前で行われたパフォーマンスと似たようなものを見せつけられ、
その超常的な力に魅きつけられここに集ったのだろう。
しかし、新八は違う。
ハナから斗夢の神通力とやらは信じていなかったし、何よりもっと超常的な力を持つ人物達が身近にいたからだ。

「あれ、やっぱり魔法じゃないんですかね? ほら、あるでしょ? 人とか物を、一瞬で移動させる魔法」

銀時の髪はともかくとして、神楽の山盛りご飯は転送を使った小細工の可能性もある。
しかし、ザフィーラは首を横に振り、

「転送系の魔法は、目標地点にも魔法陣が展開される。もし使用されたのなら、気付かないはずがない。
 ……そもそも、我々は奴の手品を暴きに来たわけでは無いだろう」

ちらりと視線を逸らす。
相も変わらず哀れな男に仮借ない乱撃を打ち込む銀時達を顎で指しながら、ザフィーラは心底鬱屈そうにする。

「目的を忘れ、余計なものに気を取られていては、奴らの二の舞になるぞ」

「そうですね。はやくあのインチキ教祖から金を取り返して、ヴィータちゃんやはやてちゃんを安心させてあげないと」

「……そういえば、当の本人はどこに……」

新八がそこまで言ってから、ヴィータの姿が見当たらないことにようやく二人は気付く。
この施設に入るときには確かに一緒に居たのだが、一体どこではぐれてしまったのだろうか?
不意に嫌な予感が脳裏を駆ける。
――まさか、一人で先走って……?
血の気の多いヴィータのことだ。充分に有り得る。
大慌てで二人はその場を離れようとし――

「ドッリーム! キャッチャァァァ!!!」

――叫び、両の手を突き出すヴィータの姿を、視界の端に捕らえた。



「まったく……何度騙されれば気が済むのだ、お前は」

道場裏の細い砂利道を歩きながら、ザフィーラと新八は並んで歩く。
砂利を踏みしめる二つの足音を追うように、何かが引きずられるような音が一つ。
頭に三段のたんこぶを作り、ぐったりした様子のヴィータがザフィーラにずりずりと砂利の上を引きずられていた。

「さぁ、さっさとジャムの部屋まで案内するのだ」

「ザフィーラさん、トムです」

「ちげーよ、ティムだよ……アレ? わかんなくなってきた……」

そんなこんなで、三人はようやく仕事に取り掛かる。
万事屋臨時特設チーム、結成の瞬間であった。



銀時達が生活費奪還作戦へと向かってから、早数時間。
空はすっかり黄金色に染まっていた。
窓から差し込む夕日が、部屋の中を美しく彩る。
まるでドラマのワンシーンにでも出てきそうなその風景の中、はやては鏡台の前でなにやらブツブツ言いながら、
おずおずと両手を突き出して、

「……ど、どり〜む……」

「……何をしておられるのですか、主」

「はぅあ!?」

突然背後から声をかけられ、身を縮こまらせながら後ろを振り向く。
シャマルに火傷やら殴打傷やらの治療をしてもらっていたシグナムが、左手に巻かれた包帯を解きながら、
開け放たれた部屋の入り口の前で呆然と立ち竦んでいた。

「ちちち、違うんよ!? 今のはそーいうんやのーて、その……」

声をかけられてあわあわと手足をジタバタさせるその様は、懐かしのフラワーロックを髣髴とさせる。
その場を取り繕おうと必死に弁明するはやてなのだが、顔を真っ赤にして慌てふためくその姿は、むしろ疑心しか生み出さない。
さすがのシグナムも、これはおかしいぞ? と訝しげな目で主君を見る。
はやてはうーうー唸りながら、小さな脳みそをフル回転させる。
まさかちょっと前にヴィータが行っていた、インチキ宗教の鍛錬をなんとなく試してみたくなったなんて言えやしない。
いや、もちろんそんなもの信じているわけでは無いが、あのヴィータが騙されたのだ。
一応試しておく必要はあるだろう、闇の書の主として。
そう、これは調査だ調査。
これ以上の犠牲者を増やさないためにも、こうして身をもって体験することでインチキ宗教の正体を暴く必要があるのだ。
別に「もしかしたら、ホントに願いが叶うかも……」などという淡い期待を持っていたわけではない。断じて。
そうだ。だからこうしてうろたえる必要も無いのだ。
ありのまま、自分が行っていた事を言えばいいだけなのだ。

「ひ……必殺技の練習や!」

しかし、はやての口をついて出た言葉は、そんな月並みな言い訳なのであった。
「必殺……ですか……」と怪しむのを通り越してもはや呆れた様子でシグナムが問い返してくる。
そもそも必殺ってなんだ? 何に対しての必殺だ?
顔を赤くし瞳を潤ませたはやては、ぷるぷる震えながらシグナムをじぃっと見ていたが、
遂にはその無言のプレッシャーに耐え切れなくなったのか、恥ずかしそうに俯いて小さな声でシグナムに問いかける。

「……どの辺から見てた……?」

「鏡の前で何か独り言を言っていた辺りからです」

一切の気遣いも無く、バッサリと言い返されてしまった。
もともと赤かった顔を、さらに湯気が出そうなくらいに紅潮させ、はやてはぱたぱたと両手を振り回す。

「う……あぅ〜!」

まるでイタズラを咎められて逆ギレをした子供である。
シグナムは額に手をやり、困り果てたようにため息をつくが――長らく共に暮らしていたおかげで、
主がこうなってしまった時の対処法は既に習得済みだ。
ゆっくりと、はやてを刺激しないように彼女の傍まで近寄り、そして車椅子に納まった彼女の身体をそっと抱き上げる。
横向きになったはやての背面から左腕をまわし、右腕は膝の下から差し入れてはやての身体を支える。
俗に言う、お姫様抱っこだ。
最初の方こそ、むくれて抵抗する素振りを見せていたはやてだが、少し経つと大人しくなり、
頬を膨らませながら不服そうにシグナムを見つめるに留まった。
しだいにはやての不機嫌さも薄れてゆき、二分も経たないうちに、彼女ははにかみながら肩越しにシグナムの首に腕をまわす。
――まったく。これではまるで赤子ではないか。
呆れながらもまんざらでは無い様子でシグナムは苦笑を漏らし、はやてを抱えながらリビングを通って小さな庭へと出る。
初夏の風が心地良い。
後ろで結えたシグナムの長い髪が揺れ、庭に干された洗濯物がはためく。
少し早めに出した風鈴が、ちりんと小気味の良い音を奏でた。

「……それにしても……ヴィータには困ったものです」

不意にシグナムが呟く。
守護騎士の将としての責任を感じているのか、それとも単に呆れ果てているだけなのか。

「……あんまり、怒らんといてあげてな?」

「帰ってきたら仕置きが必要だな……」などと言いながらため息をつくシグナムに、はやては顔を曇らせた。

「ヴィータがあんなことになってしもたんはな……全部、私のためなんよ。
 私の足を、治したいって……みんなと一緒に、飛んだり跳ねたりできるようにしてあげたいって……。
 そんな時に、なんでも夢を叶える方法があるって話を聞いてしもたもんやから……」

首を傾げるシグナムに、どこか思い詰めたような表情ではやては事の真相を語る。
まるで、事の原因は自分にあるのだと言いたげに。
だがしかし、そんなことはあろうはずが無い。
事の発端はヴィータがインチキ宗教に騙されたからであり、はやてに非があるわけではない。
シグナムは即座に彼女の言葉を否定しようとするも、はやてはやんわりとそれを御する。

「……ですが、それは……」

「分かってるよ。最終的には、騙されたヴィータが悪いんやーってことくらい。
 私もそこまで純真やないよー」

そう言って笑ってのけるはやてであったが、その表情はやはりどこか辛そうであった。

――みんなと一緒に、飛んだり跳ねたりできるように――

自然と、か細いその足に目が行く。
長らく本来の役割を果たしていなかったそれは、まるで人形のように白く美しく、しかし触れただけで
脆く折れてしまいそうな印象を与えてくる。

「……主の命あらば、我々はいつでも闇の書のページの蒐集を行い、あなたは大いなる力を得ることが出来ます。
 この足も……治るはずです」

そうシグナムが進言するも、しかしはやては首を横に振る。

「あかんて。最初に言うたやろ? 色んな人に迷惑かけてまで力を得たいなんて、私は思わへん。
 そんなことしてまで、歩けるようになりたいなんて思わへん」

その言葉に、きっと嘘偽りは無いだろう。
彼女は何よりも、他人が傷つくことを悲しむ。
己よりも、他人のことを第一に考える。
だからこそ……辛い。
この優しい少女が、何故このような目に合わなくてはならないのか。
何故このような理不尽な想いをしなければならないのか。
心中を悟られないように平静を努めるシグナムだが、しかしやはり主には、夜天の王にはあらゆる意味で敵わなかった。

「ええんよ。ヴィータにも言うたけど、足が動かんでも私は充分幸せや。……好きな人達と一緒におれて、毎日楽しく過ごせて……
 他に望むものなんて、なんもあらへんよ」

シグナムの心境など、既にはやてには筒抜けだったのだろう。
そっと微笑む彼女のその言葉もまた、本心からのものであろう。
気休め程度に気が楽になり、だからこそ不意に沸いた疑問を、興味本位で尋ねる余裕も生まれた。

「好きな人……ですか」

首を傾げながら問いかける。
にっこりと眩しいくらいの笑みを投げかけ、はにかみながらはやては答える。

「うん……いつも無気力で、ぐーたらしてる『お父さん』に、地味でヘタレで頼りない『お兄ちゃん』、
 色気よりも食い気で、淑やかさの欠片も無い『お姉ちゃん』。それに……」

僅かばかりの沈黙。
じぃ、とシグナムの瞳を見つめていたはやては、嬉しそうにシグナムの胸元に顔を寄せる。

「やんちゃで、いっつもかしましい『子供達』。……みんな、大好きや」

首にまわされた腕に、ほんの少しだけ力が込められる。
呆けたように、シグナムははやての姿を見下ろす。
歴代の主の傍に居た時ですら感じたことの無かった、胸の奥が暖かくなる感覚。
未知のその感情に戸惑うシグナムの腕の中で、くすぐったそうにはやてが身動ぎする。

「……そやな……。なんも望み無いって言うたけど……一つだけ、わがまま聞いてもらえるんなら……」

ほんの少し、人差し指を唇に押し付けて考えるような素振りを見せた後、
肩越しにシグナムの首にまわしていた腕を解く。
陽のせいか赤みがかった顔で、はやてはじっと空を見上げる。
雲を掴むように両手を伸ばし、夕日の眩しさに負けないくらいの笑顔で、はやては大きく息を吸い込んだ。

「ドリームキャッチャー! ずっとずっと、ずーっと! みんなと一緒に居られますように!」



なの魂 〜第二十七幕 世界で一番堅いものは女の友情 でも壊れやすいものも女の友情〜



夕日が降り注ぐ屋根瓦の上から眺める風景は、なんとも感慨深いものがあった。
まるで豆粒のように見える人の群れ。
立ち並ぶ木々が風に揺れ波打つ様は美しく、それに囲まれるように、先程まで自分達が施設が建てられていた。
まるで鳥にでもなったかのような、心躍る感覚。
しかし、今から自分達が為さなければいけないことを考えると、気が滅入る一方だった。

「……で、こんなトコまで登って来たけど……ザフィーラさんは勝手にどっか行っちゃうし……
 どうするつもりなの? ヴィータちゃん」

こっそり寺院の屋根の上まで登ってきた新八は、不安げに隣のヴィータに話しかける。
しかし、返事は返ってこない。
見てみると、なにやらヴィータは訝しげな表情で、右手を閉じたり開いたりしながら思案に暮れているようだった。
先程の呼びかけにも全く気付いていないようなので、とりあえず肩を叩いてもう一度呼びかけてみることにする。

「……ちょっとヴィータちゃん? 人の話聞いてる?」

「へ? あ、ああ。なんだよ?」

どうやら本当に意識が飛んでいたらしい。
スイッチの入った玩具のようにビクリと肩を震わせこちらを見る。
一体どうしたというのだろうか。
なにやら手を気にしていた様子だったが怪我でもしたのだろうか。

「どうかしたの?」

「んー……よく分かんねーんだけどさ、なんかここに来る度に身体中から力が抜けていく感じがしてさ」

相変わらず手をグーパーさせながら、ヴィータはそんなことを言う。
「お前はなんともねーのか?」と不思議そうに聞かれるが、特に身体に変調はきたしていない。

「そうだね。特に変わったところはないけど」

と、当たり障りの無い返事を返すも、ヴィータはどこか納得いか無い様子で自身の右手をじっと見つめる。
もしかしたら自分でも気付かないうちに、身体の具合を悪くしているのかもしれない。
先に帰るように促そうかと新八が考えていると、彼の背後で瓦を踏みしめる音が聞こえた。
振り向くと、先程まで姿を消していたザフィーラがそこにいた。

「すまない。遅くなった」

「お前、今までどこに行ってたんだよ!」

突然姿を消した仲間に、少々ご立腹な様子でヴィータは膨れっ面をする。
その彼女の目の前に、突然小型のデジタルカメラが飛んできた。
両手を突き出して受け取ろうとするが、咄嗟のことだったので受け取りそこない、お手玉のようにカメラはヴィータの手の上で
ポンポンと跳ね回る。
四、五度跳ねたそれをようやく受け取り、横から覗き込んできた新八と一緒にカメラに据え付けられたモニターに目をやる。
モニターに映し出されていたのは、乱立する木々と、それに囲まれた銀色の半球状の機械であった。
この写真を見せる意図が分からず新八が問うと、ザフィーラは眉をひそめながら答えた。

「なんですか? これ」

「おそらく、魔法の発動を妨害する装置だろう。ここへ来た時から身体に違和感を感じていたので
 探りを入れていたのだが、案の定というわけだ」

それも敷地内に八箇所。
おまけにご丁寧に防衛機構付きで配置されているらしい。
下手に一つを破壊すると、確実に気付かれるというわけだ。

「あー、なるほどな……」

こんなモンのためにお布施が使われてると知れば、信者達はどう思うんだろうな。などと新八が考えていると、
ヴィータが納得したように胸の前で手を打った。
状況が把握できない新八が首を傾げながらヴィータを見ると、彼女は人差し指を立てて、

「ほら。アタシ達って存在そのものが魔法みてーなモンだからよ。魔法が使えねー場所だと、
 身体能力とか色々弱くなんだよ」

ヴィータの話によれば、闇の書のプログラムである彼女らは、その生命をはやてから供給される魔力によって保っているらしい。
彼女ら自身もリンカーコアを持ってはいるが、それはあくまで外部への出力のための器官であり、
自身の生命活動のためのエネルギーへと変換することは出来ないのだ。
つまり、魔力を受け取ることができないような場所――例えば、魔力を魔力素にまで分解してしまう機器がある場所などでは、
当然受け取ることの出来る魔力量が激減、あるいは全く受け取ることが出来なくなってしまい、
その生命活動に支障をきたす恐れがあるのだという。

「……あの、二人とも突然消えちゃったりしないよね……?」

いきなり電源を抜かれたテレビの画面のように、プツリとその場から姿を消してしまうヴィータ達の姿を想像し、
思わず新八は身震いをする。

「伊達や酔狂で守護騎士を名乗っているわけではない。この程度ならば、たとえ主からの魔力供給が無くとも、
 普通に生活をするだけならば少なくとも一年は持つ」

しかしザフィーラは問題無い、とそう答え、隣のヴィータは「まあ戦闘なんかしたら話は別だけどなー」と補足を入れる。
心なしか二人とも少し得意げな表情をしている。
よほど自分達の能力を誇りに思っているのだろう。
しかし、不意に何か悪いことでも思い出したのか、ザフィーラが難しそうな顔をして思案に暮れだした。
ふむ、と顎に手を置き黙考する。

「しかし……転送魔法で内部へ侵入するつもりだったのだが、この状況下では危険だな。
 加減を間違えて周囲の建造物を巻き込んだり、壁や床の中へ移動してしまう可能性がある」

件の装置で減衰される分の魔力も計算に入れないと云々かんぬんと説明をされるも、魔法のことなどさっぱりな新八にとっては、
むしろその説明こそが魔法の呪文に聞こえてならなかった。
とりあえず相槌を打って適当に頷いていると、ヴィータが不機嫌そうにザフィーラに問いかける。

「じゃあどーすんだよ? 折角ここまで来たってのに、何もしねーで帰るつもりかよ?」

「そうだな……なんにせよ、ここは長居すべき所ではない。直接ティムロスの部屋へ侵入し、金庫を強奪、逃走するのが最善の策だろう」

「ティムロスって誰!? もう原型なくなってんじゃないですか!!」

素で人の名前を間違えるザフィーラに、「だから無理にボケなくていいってば!」と言いながら新八はツッコむ。
しかしまあボケは置いといて、ザフィーラの言っていることは、おそらく理想の行動だろう。
魔法という最大の武器がまともに使えない以上、下手な小細工は仕掛けずにアナログな方法での侵入を試みるべきだ。
むしろこういうハイテクな装備を施している建造物は、意外とローテクに弱いものである。
それなら早速、と屋根の上を移動しようとするが、しかし何故かヴィータがついてこない。
見ると、彼女は不服そうな顔をして、口を尖らせてこちらを見ていた。

「金庫襲うってまるで泥棒じゃねーか。騎士のやることじゃねーだろ」

コソコソするのは彼女の性に合わないのだろう。
だがあいにく、今回は個人のプライドにかまけている余裕は無い。
ザフィーラもそのことは重々理解しているらしく、呆れた様子でヴィータを説き伏せようとする。

「お前が言っていた『肉体言語に訴える』という案も、騎士のやることでは無いと思うぞ」

「あんだと、テメ……!」

いや、むしろ喧嘩を売っていた。
二人の間にパチパチと火花が散る幻覚が見える。
こんなところで騒がれては堪らない、と新八は大慌てで二人を、特にヴィータを宥めにかかる。
余裕たっぷりな様子で相手を見下ろしていたザフィーラに対し、歯を食いしばり犬歯を見せて威嚇していたヴィータだったが、
新八のおかげでどうにか頭を冷やしたらしい。

「分かったよ、クソっ」

と言いながら、肩に置かれた新八の手を払う。
仕方ない。今だけは鉄槌の騎士の名は返上しよう。
それもこれも、全てははやてのため。
――今からアタシは、鉄槌の義賊だ!

「よし……はやての為なら、アタシはやるぞォォォ!!」

ぺしぺしと両頬を叩いて気合充填。
自分を奮い立たせるように声を張り上げ、ヴィータは瓦の上を駆けてゆく。

「あ、ちょっとヴィータちゃん! あんまり目立たないように……」

目の前を走り行くヴィータに声をかける。
しかし、彼の注意はあまりにも遅すぎた。
何かが砕ける音と共に、元から低かったヴィータの身長がさらに縮む。
破片が瓦の上を転がり、埃が辺りに舞い上がる。
なんとも剣呑な空気が辺りを包み……耐え切れず、新八は呟く。

「……ヴィータちゃん。もう家帰ってていいよ」

舞い散る埃の中には、老朽化した屋根瓦をぶち抜き、下半身を屋根に埋めるヴィータの姿があった。



ヴィータ達がドリフのようなコントを繰り広げている最中、
斗夢は自室で、椅子に腰掛け優雅に――他人から見ればまるでボンクラ貴族のように、一人ワインを嗜んでいた。

「まったく、愚かな連中よ。あれしきの奇術も見抜けんとは……やつらの目は節穴か?」

全体的に薄紫がかった、なんとも成金趣味な装飾が施されたその薄暗い和室で、斗夢は一人ごちる。

「夢は人を盲目にする。奴らを誑かすなんぞ、赤子の手を捻るより容易なことだ。
 おかげで私はボロ儲け。まったく、教祖様はやめられないねー」

銘柄も良く分からないがとにかく高価なワインを注いだグラスを口に付け、そして喉を鳴らしながらそれを一気に飲み干す。
本来ワインは、その色や香りと共に味を楽しむものであり、安酒のように一気に飲む物ではない。
なんとも下品で、情緒も何もあったものではない。
もはやワインに対する冒涜である。
しかし斗夢は別段そのようなことを気にすることも無く、天井へ向かって声を投げかける。

「これも卿の力のおかげだよ。どうだ? たまには一緒に飲まないか」

しかし、それに応える者はおらず、ただ己の声が部屋に響くだけであった。
斗夢は眉をひそめ、そこにいる"はず"の人物へ再び声をかける。

「オイ、そこにいるんだろ? ちょっと聞いて……」

ミシミシ、と何かが折れる音が聞こえてきたのはその時であった。
ガタガタと天井が振るえ、埃が落ち、おまけに妙な声が聞こえてくる。

『ぎゃあああああ!!』

訝しげな表情で上を見つめていた斗夢の目の前で、突如として天井が抜けた。
間抜けな叫び声が三重に重なり、砕けた屋根瓦や圧し折れた天井の建材が降り注ぎ、部屋の中に盛大に埃が舞い上がる。
そして舞い上がる埃の向こうには、それぞれ背丈の全く違う人影が三つ。

「痛っつー……!」

「ちょっとォ! ヴィータちゃんがジタバタ暴れるから……!」

首筋を押さえて唸る少女と、ずれたメガネを掛けなおす青年。
脳天から床に落着し、そのあまりの衝撃に悶絶する大男の姿がそこにあった。

「何してんの、君達」

『あ……』

十数秒後、寺院内にけたたましいサイレンが鳴り響いたのは、言うまでも無い。



「うおォォォ! なんか一杯きたんですけどォォォ!?」

叫ぶ、走る、逃げ惑う。
先程まで平穏だった寺院内は、生死をかけた鬼ごっこ会場へと変貌していた。
入り組んだ狭い廊下を走り回り、延々と終わらない迷路の中を駆け巡り続ける。

「ちょっとどーすんですかコレ! どーすんですかこの状況!!」

蒼き狼の背にしがみつき、振り落とされそうになりながら新八は大声で叫んだ。
後ろを振り向くと、そこは人の波。
手に刀やら薙刀やら物騒な得物を持った信者達が、目を血走らせてこちらを追ってきていた。
銃器を持った人間が一人もいないのが不幸中の幸いか。

「騒ぐな喚くな暴れるな! 今考えているところだ!!」

背中でジタバタ暴れる新八に対して、ザフィーラはそう怒鳴りつける。
とは言うものの、背後には廊下を埋め尽くさんばかりの追跡者達。
一発魔法でもぶっ放してやれば一掃できるだろうが、おそらく連中は非魔力保持者だ。
例え非殺傷設定の攻撃を行っても、安くて骨折、最悪死に至らしめる可能性が極めて高い。

「……ザフィーラ!」

流石にこんなところで無益な殺生をするのは忍びない。
どうしたもんかとザフィーラが考えていると、突然隣を併走するヴィータが声を張り上げた。

「新八連れて、はやくここから逃げてくれ!」

何事かと目を向けると、何処か思い詰めた表情でヴィータは戦槌を模したミニチュア――待機状態のグラーフアイゼンを握り締めていた。

「あいつらはアタシが食い止める。だから早く!」

しかし、ザフィーラは首を縦には振らない。
それはそうだ。いかにヴィータと言えど、魔力阻害により弱体化している現状では、あの人数を相手にするのはつらいはずだ。
もっとも、手加減せずに"殺す気で"行けばその限りでは無いが、もしそんなことをして家に戻って、
主に「無事に資金の奪取に成功いたしました。向こうの被害? 死傷者が数人出ましたが、問題ありません」などと報告すれば、
どのような反応を返されるかは想像に難くない。
あの優しい少女が人死にを、いや、人が傷つくことを許すはずが無い。
そのことは、ヴィータも重々承知のはずだ。

「……頼む……!」

だが、それでもヴィータは自らが囮になることを望んだ。
ザフィーラは思案する。
守護騎士が二人に、未だ未熟とはいえ道場の当主を勤める剣士が一人。
三人がこの場に残れば、背後から迫る大群くらいなら返り討ちに出来るだろう。
だが、それだけだ。
ここは敵の本拠地。増援など幾らでも沸いてくる。
おまけに一番頼りになるはずだった二人は、逆に敵の術中にはまっているという始末。
時間を掛ければ不利になることは明らかであった。
半ば諦めたようにため息をつき、そして決断をする。

「……本来、盾は私の役割なのだがな……」

三人仲良く捕まるくらいなら、一人を犠牲にして逃げ切る。
その上で、ミイラになったミイラ捕り二人の目を覚まさせてヴィータを助けに戻る。
現状ではこれが最も被害を少なく押さえられる方法だろう。
この際、金銭の奪取は考えないことにしておく。
ともかくここからの脱出が第一だ。

「……ヴィータちゃん……」

心配そうに新八が名を呼ぶが、しかしヴィータは何も問題は無いと、そう言いたげに笑った。

「こうなったのは全部アタシの責任だ。ケジメくらいつけさせてくれよ」

「……分かった。……死ぬなよ、ヴィータ」

後ろ髪を引かれる気分になりながらも、ザフィーラは新八を乗せたまま廊下を突っ切る。
迫る怒声。遠ざかる足音。
その場に仁王立ちになり、騎士甲冑を身に纏ったヴィータは愛機を握り締める。

「恥ずかしげも無く付けボクロなんかしてる連中に、殺されてたまるかっての」

自分自身も恥ずかしげも無く付けボクロをしていた事実を棚の奥に仕舞いこみ、ヴィータは不敵な笑みを浮かべた。
右手に握ったグラーフアイゼンを振り下ろす。
風切り音と共に廊下の壁に据え付けられた窓ガラスが震え、放出される魔力に呼応するように床が、天井が軋みをあげる。
その様を見、彼女を追っていた大群は一斉に動きを止める。
先程まで逃げ惑っていた少女の変貌に、本能的に身の危険を感じ取ったのだろう。
まるで格上の獣と対峙した肉食獣のように、脂汗を垂らしながら彼らはヴィータを睨みつける。
だが、そんなものは既にプレッシャーにすらなってはいない。
最早この場の主導権は自分にあると確信したヴィータは鼻を鳴らし、愛機を構えなおす。
右足を半歩下げ、両手で握り締めたアイゼンの柄頭を敵へ向ける。
右のこぶしを右腰に付け、左のこぶしを腹の前へ。
日本の剣道で言う、脇構えと呼ばれるものに酷似した構えだ。

「行くぞアイゼン! カートリッジロード!!」

今まさに飛び掛らんと、ヴィータは高らかに宣言する。
しかし……。

パスンッ。

と、気の抜けた音がアイゼンから発せられた。
嫌な汗が額を流れる。
恐る恐るアイゼンのヘッド部分へ目を向け、もう一度カートリッジロードを命令。
再び空気の抜けるような間抜けな音。
気の抜けかけた炭酸飲料の缶を空けたら、きっとこんな音がするのだろう。
排莢口から、空になったカートリッジは飛び出てこなかった。

『Es tut mir leid. Nein Cartridge.』

「……しまったァァァァァ!!」

そういえば真選組と一悶着して以来、カートリッジの補充をしていなかったな、と今更ながら思い出し、
ヴィータは思わず頭を抱えて天井を仰ぎ見るのであった。



所変わって、ここは信者達が鍛錬をしていた道場の近くの男子トイレ。
その辺の公衆トイレよりはいくらか清潔さが保たれたそこの洗面所で、一人の男が頭を鏡に向けてなにやら盛大に悲鳴を上げていた。

「いででででで! ヤベッ、これハゲる! 絶対ハゲる!!」

理由は分からないが、その男は自分の髪の毛を力の限り引っ張っていた。
いや、引っ張るなどと言う生易しいものではない。もう完全に引き抜こうとしている。
全国の頭が寂しいお父さんたちが見れば、間違いなく彼の凶行を止めているだろう。
だが悲しいかな、今この場に居るのはその男だけ。
誰一人として彼の行動を止める事は無く、ベリベリと皮膚から紙が剥がれ抜けていく痛々しい音がトイレに響く。
そして……。

「あ痛ったー……ご丁寧に接着剤までつけてやがらァ……しかし、あんな一瞬でここまでやるたァ、一体どうやって……」

一際大きな音がしたと同時に、男の頭から髪がごっそりと抜けた。
だが、その下から現れたのはつるぴかのハゲ頭などではなく、手入れのされていない白髪の天然パーマ。
男、坂田銀時は、今しがた剥がし取ったカツラを見ながら、涙目になって頭を押さえた。
そんな彼の鼓膜に、ぱたぱたという足音が響く。
音のする方、つまりトイレの入り口へ目を向けると、そこには橙色の髪を二つのお団子に結えた少女が立っていた。

「銀ちゃん! やっぱアンタそれの方がイカすぜ!」

「オイ、ここ男子便所だぞ」

その少女、神楽は銀時の忠告も一切合財無視して、ズカズカと彼の隣へと歩み寄る。
どうやらこの娘の辞書には"羞恥"という言葉は載っていないようだ。
神楽はどこか安堵した様子で銀時が手に持つカツラをじっと見る。

「やっぱりイカサマだったアルか。私、銀ちゃんスッカリ宗教にハマってしまった思ったアル」

「俺が宗教なんぞ信じるほど信心深いと思ったか?
 どうせやるなら、こんなトコ潰してやろーと思ってな。探り入れてたんだよ」

指に引っ掛けたカツラをくるくると廻し、銀時は神楽を見下ろす。
なんやかんやで、当初の目的は見失っていなかったようだ。
一方の神楽は、何故か脂汗を垂らしながらバツが悪そうな顔をして、ゴホンと咳払い。

「わ……私もネ。探り入れるために騙されたフリしたアル。"ごはんですよ"如きでそんな……」

「ハイハイわかったわかった」

「銀ちゃん信じてないネ! ホントヨ! 私ホント騙されてないから! その証拠にトムのこと調べてきたヨ!」

顔を真っ赤にして反論する神楽に適当に相槌を打つ。
全く騙されていなかった、というのは嘘だろうが、どうやら彼女なりに探りを入れていたと言うのは本当らしく、
神楽は顔の横で人差し指を立てて説明を行う。

「斗夢の奴は私達にやったようなデモンストレーションを、信者の前で何度か披露してるネ。
 ただコレが、頭のハゲなおしてほしいとか、安物のバッグが欲しいとか、ショボい夢ばっかり。
 簡単に実現できる夢ばかりを叶えているアル」

「事前に信者から夢を聞いてりゃ、なんとでもなるわけか……。
 問題は、俺のヅラにせよお前のアレにせよ、どうやって一瞬にして実行したかだよな。
 転送魔法ってこたァねーだろうから、目に見えねーほど素早い奴の仕業とか……」

ふむ、と顎に手をやり銀時は思考を巡らせる。
目に見えないほど素早い人間。
そう考えて銀時が最初に思い浮かべたのは、少し前に知り合った金髪のツーテールの少女などではなく、
木刀両手に笑顔で家賃をせびってくる某喫茶店オーナーの姿であった。

「……いやいや、無い無い」

前に一度だけ、家賃を巡って本気で戦り合わされた時のことを思い出し銀時は戦慄する。
まあ一番恐かったのはオーナーの方ではなく、大の大人二人の馬鹿げた喧嘩に立腹した嫁の方だったのだが。
ああいやだ。もうあの二人は怒らせたくない。
そんな事を考えながら身震いする銀時に、しかし彼の心境など知る由もない神楽は無邪気に言う。

「忍者アル! 私、テレビで見たよ」

「お前そんなベタな」

いくらなんでも幼稚すぎる発想だろう、と。
そう言葉続けようとする銀時の後ろから、ガチャリと鍵の開く音、次いで水洗トイレに水が流される音が響いた。
後ろを振り向くと、壁際に並んだ洋式トイレの入り口の一つが開いており、
そこから一人の男が自分の尻を押さえながら出てきている最中であった。

「いてて、痛ー……ヤベーな、また血ィ出ちゃったよ。いきみすぎたな……あーいてて……」

全身紺色の野良着に、顔全体を覆った紺の覆面からはみ出す黄土色の髪。
そしてマフラーのように首に巻かれた、これまた紺色の長い手拭い。
見るからに怪しいその男の風体は……なんというか、忍者だった。
忍者っぽいその男は、銀時達を歯牙にもかけずに彼らの脇を通り過ぎ、心底痛そうに自分の尻を押さえながら
トイレを後にした。
なんだ? 痔か? 痔なのか?
呆気に取られた様子でトイレに残された二人がそんなことを考えていると、忍者男と入れ違いに、
一つの影が入り口の先の廊下を凄まじい速度で駆け抜けていった。
そのあまりの速さのせいで巻き起こった風が銀時達の髪を、衣服を揺らす。

「あ、ちょっとザフィーラさんストップ! 今銀さんいましたよ!」

「っ! もっと早く言え! 守護獣は急には止まれん!」

「車かアンタは!」

男二人の声が聞こえたかと思うと、どたどたと忙しない足音がこちらへ戻ってくる。
少しの間を置いて、入り口の隅からひょっこりと、見慣れた人物達が顔を覗かせた。

「銀さん! 神楽ちゃん!」

「新八? ザッフィー? 一体どーしたネ」

「なんだ? ウンコか? ウンコもれそーなのか?」

「た……大変なんです! ヴィータちゃんが……!」

肩で息をしながら、新八は焦燥した様子で事の成り行きを話す。
金庫を狙っていたことが斗夢にバレた事。
そのせいでとんでもない数の信者に終われる羽目になった事。
そんな状況で自分達を逃がすために、ヴィータが単身囮になってくれた事。
そして……今も一人、ヴィータは囮として戦っているという事。
真っ先に動き出したのは、神楽だった。
血相を変え、新八を押しのけ、神楽はトイレを飛び出し長い廊下を疾走する。
ヴィータが今どこに居るかも分からないと言うのに、だ。
呆れたように拳を額に当て、銀時は神楽を止めるべくトイレを後にする。
新八、ザフィーラも彼の後を追おうとその場を駆け出し――

――ようやく三人は、外の様子が騒がしいということに気が付いた。



「みなさ〜ん! 残念なお知らせがあります! 私達の仲間から裏切り者が出ました!!」

日も沈みかけ、辺りが薄い闇に包まれてきた頃、広場の中心に建てられた櫓から斗夢が叫んだ。
その四角形の櫓(やぐら)には電灯のような近代的な明かりは灯されておらず、沈みかけた夕日と、
四隅に立てられた燭台に挿さるたいまつだけが、ゆらゆらと不気味に櫓の中を照らす。
そして揺らめく炎に囲まれた中心に、まるでファンタジーに出てくる生贄の儀式のように、
十字の影が立てられていた。
その十字が――いや、十字に張り付けられたヴィータが、ギシギシと音を立てて身をよじらせる。
しかし、荒縄で幾重にもその身体を封じられているせいで脱出することすらままならない。
歯噛みするそのヴィータの隣で、斗夢はまるで聖人君子のように大業な振る舞いを見せる。

「彼女は私の部屋に忍び込み、教団を運営していくために、皆さんから寄付してもらったお布施を盗み出そうとしていました!
 さらに! それを止める為に駆けつけた私達の仲間が五十人! 五十人も大怪我を負わされました!
 これを許すことが出来ますか!?」

眼下に集まった群集に問いかけると同時、わっと喧騒が湧き上がった。
ふざけるな、くたばれ。
耳に入れるのも汚らわしい罵詈雑言。
目を血走らせ、憎悪に塗れた信者達は口汚くヴィータを罵り、そしてある者が櫓へ向かって小石を投げつける。
その一投が、狂信者達のたがを外した。
一投、ニ投と高く放り投げられた小石は、最初こそ小雨のように櫓の屋根を叩くだけだったが、
次第にその勢いは増していき、やがて雨霰のようになってヴィータにも降り注ぐ。

「イダダ! てめェらガキにも容赦無しかァァァ!! イダッ! てンめェェェ! 今顔に当てたな!
 絶対ツラ覚えとくかんなァ! 絶対後でぶっ殺すかんなァ!!」

口では強気に罵り返すも、しかしヴィータは目の前の光景に、僅かなり恐怖とも呼べる感情を抱いていた。
確かに客観的に見れば、盗みを働こうとした自分達は悪いかもしれない。
だが、しかしだ。
あまり認めたくは無いが……自分は結構な幼児体型だ。
見た目ははやてとそう変わらない、年端も行かない少女。
だというのに、眼下の人間達は、明確な殺意すら持って自分にこのような仕打ちをしてくる。
狂っている。宗教というものは、ここまで人心を惑わすことが出来るのか。
そう思わずにはいられなかった。
そして同時に。
僅かでも恐怖を抱いてしまった自分が、情けなかった。
インチキペテン師ごときの手に落ちてしまった自分が、情けなかった。
多勢に無勢だったから、などというのは言い訳にしかならない。
何故なら自分は、騎士の端くれなのだから。数多の戦いを経験してきた戦士なのだから。
だというのに、この状況は何だ。
野蛮な人間にこうもあっさり捕らえられ、醜態を晒して。
一体何をやっているのだ、自分は。
胸の奥からこみ上げてくる熱いものに、必死になって耐える。
その時だ。

「なっ……なんだァァァ!?」

遠くから聞こえてくる群集の悲鳴。
少女の雄叫び。
それに呼応するかのように、敷き詰められた群集が割れるように波打つ。

「どけェェェ! テメェらァァァァァ!!!」

白い作務衣。空を思わせる蒼い瞳。陽の如き橙色の髪。
右手に握り締めた番傘が振るわれるたび、彼女を取り押さえようとした大の男達が蹴鞠のように吹き飛ばされる。
猛牛の如き突進力で、その少女は見る見るうちにこちらへと向かってくる。

「……かぐ、ら……?」

呆然とその様子を見やり、ヴィータは誰ともなく呟く。
その声はか細く、自分の耳にすら殆ど入ってこないくらいの、小さな声。
だが神楽は、まるでその声を聞いたかのように不意に顔を上げた。
遠くからなのでその表情は読み取れなかったが、神楽は確かにこちらを向いて――そして、力の限り叫んだ。

「そのガキを放せェェェェェ!! ソイツは私のダチだァァァァァ!!!」



「な、なんだあの子供は……! と、止めろ! 早く止めるんだ!」

天をも震わす怒りの叫びに、狼狽もあらわに斗夢は悲鳴を上げる。
しかし、止めろと言われてそう簡単に止められるわけがない。
向かい来る敵をちぎっては投げちぎっては投げ。
ついには櫓のすぐ足元まで神楽がやってくる。
もはや一刻の猶予も無いと悟った斗夢はその場から逃げ出そうと群集に背を向け、しかし群衆の中から飛んできた言葉に身を固まらせた。

「お、おいアレ見ろ!」

「上に誰かいるぞォ!」

櫓の上を指差し、群集のうちの何人かが声を張り上げる。
すぐさま上を見上げる斗夢の視界に写るのは、闇に包まれた屋根裏と梁のみ。
彼の不安を煽るように、その屋根裏からパラパラと埃が舞い落ちる。

「……ったく。血の気の多い奴はこれだからいけねェ。
 仕事ってのは、もっとスマートにこなさねェとな……そーだろ? ザフィーラ」

屋根裏越しに立つ"誰か"は、心底楽しそうにそう言い放った。



頭だけを覗かせた夕陽を背負い、銀時は櫓の屋根へ立つ。
腰にぶら下げた木刀に手をかけ、屋根の端で膝を付くザフィーラに目配せをする。

「同感だ。もっとも奴が群集の目を引き付けてくれたおかげで、ここまで楽に登ってこれたがな」

屋根に手を付き、探査魔法を発動させる。
距離は――いや、計るまでも無い。すぐ目の前。
腕を交差させ、神経を集中させる。

「……そこかァァァ!!」

ベルカ式の拘束魔法、"鋼の軛"。
ザフィーラの最も得意とする魔法が彼の雄叫びと共に発動し、各頂点に一本ずつ、小さなひし形を描くように、
四本の光の柱が屋根を突き破った。

「……ドリームキャッチャー……」

そのひし形の中心。
ひとっ跳びにそこへ降り立った銀時は不敵な笑みを浮かべ、木刀の切っ先を屋根へと向け、

「見破ったりィィィ!!」

思いっきり、力の限りそれを屋根へと突き立てた。
屋根瓦の砕ける音と木材のひしゃげる音が夕闇に響き渡り、埃が、破片が屋根の下に居るヴィータの目の前に降り注ぐ。
ゴトン、と鈍い音がして、彼女の目の前に何か大きな塊が落ちてきたのはその時だ。
思わず視線を下にやり、落ちてきたものの正体を確認する。

「……誰? コレ……」

それは人間だった。
全身紺色の野良着に、顔全体を覆った紺の覆面からはみ出す黄土色の髪。
そしてマフラーのように首に巻かれた、これまた紺色の長い手拭い。
見るからに怪しい風体のその男は、何故か突き出した自分の尻を押さえて、震えながら悶絶していた。

「ちょっ……服部さん! アンタ困るよしっかり隠れててもらわないと! 高い金払ってるのに!」

突如現れたその謎の人物に、斗夢はうろたえながら怒鳴りつける。
だが、その服部と呼ばれた男は相変わらず尻を押さえたまま、震える声で訴えかける。

「も……もう無理……ケ、ケツに……おもっくそなんか刺さった……」

「てめェふざけんじゃねーぞ! 御庭番衆リストラされて路頭に彷徨ってるところを拾ってやったのに!
 アンタがいないと俺ただのオッサンだぞ!?」

「スイマセン、もうやめますわ。ここのトイレ、ウォシュレット付いてないしもう耐えられませんわ、肛門が」

怒り狂う斗夢をよそに、服部は櫓から一瞬にして姿を消す。
次の瞬間には、彼は寺院の屋根の上を風のように疾走していた。
闇に紛れる紺の装束。
猫のような軽い身のこなし。
そう、その姿はまるで……。

「に……忍者だァァァ!」

「なんで斗夢様が忍者を!?」

群衆の間にどよめきが沸き起こる。
自分の立場が危うくなってきたことを悟った斗夢は、なんとか信者達をなだめようとし……
しかし、それよりも先に広場に響き渡る声があった。

「まだ気付かないんですか!? これがドリ−ムキャッチャーの正体ですよ!!」

驚き、斗夢は後ろを振り向く。
そこには、いつの間にか縄を解かれ、自由の身となったヴィータと、
マイク片手に群集を見下ろすメガネの青年――新八の姿があった。

「思い出して! この人の叶えてくれた夢って、何か具体的な……物が欲しいとか、そんなんばっかじゃん!
 この人はねェ、入信時にあなた達の夢をあらかじめチェックし、叶えられそうな夢だけチョイスして……」

大穴が穿たれた屋根を指差し、そして続けて服部が走り去った寺院の屋根を指差し、
そして最後にざわめく群集を指差し、新八は腹の底からマイクに向かって捲くし立てた。

「あの忍者を梁の上に忍ばせ、その目にも止まらぬ速さで奇蹟を演出してただけなんですよ!
 あなた達は騙されていたんです!」

ハウリング交じりの声がおさまると同時に、広場は沈黙に包まれる。
やがて群集の間に僅かなどよめきが再び起こり、そして喧騒が新八に向けられる。
だがそれは先程ヴィータに向けられていたものとは明らかに違い、敵意だけではなく、
動揺や疑念の声も入り混じったものであった。

「バ……バカな!」

「そんなアホみたいな奇術に俺達が引っ掛かるわけねーだろ!」

「そうじゃ!! ワシなんてハゲてたの、こんなフッサフッサにしてもら……」

一人の壮年の男性が、憤怒しながら自身の頭に手を伸ばす。
見た目の年齢からは考えられないくらいに生い茂ったその頭は、しかし彼自身の手によって
無残なサハラ地帯へと変貌させられる。

「あー! コレ、ヅラじゃねーか!」

「ホントだ!? ジジィ! なんで今まで気付かなかったんだ!?」

「いや、抜け毛を最小限にしようと出来るだけ触れんかったから!」

さて、ここで問題だ。
今まで他の何を置いてでも信じてきていたものが目の前で裏切られてしまったら、人はどうする?
……そう、まず絶望するだろう。
では、その"信じていたもの"に、多大な私財をつぎ込んでいたことを思い出したら、どうなる?
……沸々と、熟成するように腹の底から怒りという感情が湧き出てくるだろう。
ならばその湧き上がった怒りは、一体どこへ行く? どこへ向けられる?
……答えは簡単だ。

「てめェェェ! 斗夢このヤロー! よくも騙しやがったな!!」

「金返せてめェェェ!!」

従順だった信者達は一変、荒れ狂う暴徒と化した。
数々の罵詈雑言と殺意を向けられ、斗夢は顔を真っ青にしてその場から逃げ去ろうとする。

「オウオウ、何やってるアルか、教祖様」

しかし、そうは問屋が卸さない。
恐る恐る、油の切れたブリキの玩具のように斗夢は声のした方へ首を廻す。
櫓の手すりの上。
番傘を担ぎ、気持ち悪いくらい爽やかな笑みを浮かべた神楽がそこに居た。

「こんな時こそドリームキャッチャーだろーが」

背後から聞こえる少女の声。
もう嫌だ。見たくない。
頭ではそう思うも、身体は自然の声のする方を向く。
鉄槌を担ぎ、口の端を釣り上げたヴィータがそこに居た。

『助けてくれってホクロに願えや!!』

烈火の如く怒り狂った二人の少女の一撃は、哀れなエセ教祖の顔面を綺麗に捕らえた。



渾身の一撃で顔面を殴り飛ばされた斗夢の身体は情けない叫び声と共に宙を舞い、
そして荒れ狂う人波の中へと飲まれていった。
鼻に小指を突っ込みながら、蔑むように神楽はその様子を見やる。
不意に背後から聞こえてくる足音。
服で手を拭きながら振り向くと、すぐ目の前に何故か顔を俯けたヴィータの姿があった。
何か用があるのかと思い、黙って彼女の言葉を待つが、ヴィータは一向に喋ろうとしない。
人々の喧騒だけが辺りに響き、冷たい風が彼女らの肌を刺す。

「……ゴメンな、神楽……なんか、色々迷惑かけちまって……」

ようやく発せられたヴィータのその言葉は、どこか震えていた。
いや、震えていたのは声だけではない。
彼女のその小さな身体も、何かに打ち震えるように小さく揺れていた。

「あんな奴に簡単に騙されて、お前らに迷惑ばっかりかけて……一人じゃ、結局なんにも出来なくて……
 ……ホント、バカだよな……アタシって……」

ポツリポツリと、喉の奥から搾り出すようにヴィータは自虐的に言う。
拳を握り締め、わなわなと震えるその姿からは、普段の気丈さは微塵も感じ取ることが出来なかった。

「なぁ、神楽……」

不意に、ヴィータが顔を上げた。
ほんの少しだけ、胸の奥が締め付けられる感覚を神楽は覚える。
目の前の少女は――身体中に小さな痣を作ったその少女は、鼻の先を赤くし、目を潤ませながらじっとこちらを見つめていた。

「なんで、ここまでしてくれんだ……?」

ヴィータは問う。
最初は"死ななきゃ治らないバカ"と罵って、でも結局自分の肩を持ってここまで付いてきてくれて、
不安だらけだった自分を、絶対に仇を取ってやると励ましてくれて。
バカな宗教に騙されかけてたけど、本当に危なくなった時には、血相変えて、たった一人で自分の事を助けに
あの群集へ向かって来てくれた。
理由が知りたかった。
たった一人の小娘のために、危険を顧みずにそこまでしてくれた、理由が知りたかった。
だが、神楽は何も答えない。
何も答えずに――そっと、ヴィータの頭に手を置いた。

「……友達助けるのに、理由が必要アルか?」

ようやく返ってきたのは、そんな答え。
小さな子供をあやすようにそっと笑いかけ、神楽はヴィータを優しく撫ぜる。

「私は、私の護りたいモノ護っただけヨ。大事なモノ護るのに、理由なんか要らない。それが江戸っ子の心意気ネ」

今まで溜め込んでいたものが爆発しそうになるのを必死に堪え、ヴィータは再び顔を俯ける。
優しく髪を撫ぜる指の感覚が心地良い。
でも、今だけは撫ぜるのをやめて欲しかった。
これ以上優しくされると、本当に我慢が出来そうに無かったから。
今すぐにでも、目の前の少女に抱きついて泣き出したいという思いを、止められそうに無かったから。
その思いが通じたのか、髪に触れていた指の感覚が消えた。
同時に、左隣に感じる人の気配。

「でも、今回はちょっと骨が折れたアル」

ヴィータの隣に並んで立った神楽は、唇に指を押し当て、何かを考える素振りを見せ、
悪戯っぽく笑みを投げかけた。

「だから……もし私が困ってる時は、その時はヴィータに助けて欲しいネ」

そう言う彼女の笑顔は、とても眩しくて、魅力的で。
ヴィータは何も言えずに、俯き続ける。
またしても二人の間に沈黙が訪れ、時間だけが刻々と過ぎ去ってゆく。

「あのさ……もう一つだけ、頼みごとしてもいいか……?」

小さく、本当に小さくヴィータが呟く。
「うん?」と首を傾げ、神楽はヴィータの横顔を見下ろす。

「神楽、アタシのこと友達だって言ってくれたけどさ……」

不思議そうな表情を見せる神楽を見上げ、ヴィータは遠慮がちに口を開いた。
その言葉を発するのには……大昔に、とんでもなく巨大な魔法生物と対峙した時よりも、隔絶した実力を持つ魔導師と向き合った時よりも、
ずっとずっと、勇気が必要だった。

「これからも、ずっと……その……友達で、いてくれるか……?」

否定されるかもしれないと、不安だった。
拒絶されるのが恐かった。
だからこそ、一秒と経たなかったその沈黙は、ヴィータにとっては果てしなく長く――それこそ、
延々と続くのではないかと思えるくらい久遠に感じた。
不意に手を包む、暖かい感触。
神楽が微笑みながら、ヴィータの手を優しく握り締めていた。
呆けた顔で神楽の笑顔を見つめ、そしてほんのり顔を朱に染めて、握られた手をじっと見つめる。

「……お前コレ、今鼻ほじってた手じゃ……」

「失礼ネ。掘ってたのはこっちの手ヨ」

手を手を繋ぐ真っ直ぐ伸びた影が、夕闇の中で儚く強く、美しく照らし出されていた。