なの魂(旧版)

夏の猛火も過ぎ去り、秋分を迎えてしばらく経ち、ようやく町に秋らしい風景が広がる。
それはここ、真選組屯所も例外ではない。
色づいた楓とイチョウの葉が舞い落ち、風流な和の雰囲気を屯所内に醸し出す。
しかしその落ち着いた雰囲気とは全く逆に、道場からは激しく剣のぶつかる音が響き渡る。
道場の中は、剣道着を身に着け、両手で握り締めた竹刀で打ち合いを行う隊士達で溢れかえっていた。
広い道場を包む熱気と飛び散る汗が、無言で"女人禁制"の看板をその場に掲げているような雰囲気すら醸し出す。

「頑張れ〜! シグナム〜!」

だが熱気渦巻く道場内に浮かんだその少女の声援が、掲げられた"女人禁制"の看板文句を完膚無きまでにぶち壊した。
思い思いに鍛錬に励んでいた隊士達は一様に動きを止め、そして一斉に声のした方を見やる。
道場の一角。そこでは若手の青年隊士と、うら若き女性剣士――シグナムが得物を握り締め、対峙している真っ最中であった。
青年はこめかみから一筋の汗を流し、じりじりと摺り足でシグナムとの間合いを計る。
だがその動きに滑らかさは無く、頭上に掲げられた竹刀には、必要以上に力が込められていた。
一方、相対するシグナムは正眼に構えた竹刀をこちらへ向け、微動だにしようとしない。
青年は奥歯を噛み締め、握る竹刀に力を込めなおす。
動揺を隠せないでいる自分に気付き、そしてその事実が彼にさらなる焦燥感を駆り立たせる。
目の前で相対する女性が、よりにもよって、あの"鬼の副長"――土方十四郎と互角の戦いを演じて見せたという事実は、
真選組に入隊して間もない彼に極度の緊張感を与えるには、充分な理由であった。
互いに相手の出方を伺い、刻々と時間だけが過ぎてゆく。
額を、頬を汗が伝い、しかしその感覚を感じる精神的な余裕は殆ど残っておらず……。
ついに、重圧に圧し負けた青年が動いた。
呼吸を止め、一足投に間合いの内に入り込み、上段からの袈裟斬りを繰り出す。
振り下ろされた竹刀は、何物にも阻まれること無く相手の肩口まで迫り……。
――捉えた!
そう確信したその瞬間、一陣の風が彼の頬を撫でた。
目に眩しい桃色の髪が、まるで敗北を宣告するかのごとく目の前でなびく。
同時に痛ましい打撃音が道場内に響き渡り、青年が音を立ててその場に倒れこんだ。
竹刀の転がる音と、青年が苦しげに咳き込む声だけが辺り響き、道場に妙な緊迫感を生み出す。

「……オイ、今モロに逆胴入らなかったか!?」

「オイ! 大丈夫か市村!?」

遠巻きに見ていた隊士達が、弾けるように倒れた青年に駆け寄る。
顔を青くして倒れた青年を見る者、盛大な拍手を送りながら青年とシグナムをはやし立てる者、ただ敬服の意を込めてシグナムを見る者。
その反応は実に様々であった。
しかしそんな彼らには目もくれず、仲間の肩を借り立ち上がった青年に対し、シグナムは深々と礼をするのであった。



なの魂 〜第二十八幕 全国の若者は色恋を知る前に一般常識を知れ〜



「やっぱシグナムが一番やな〜! カッコよかったよ〜!」

道場の隅っこで諸手を挙げ、はやては快勝を手にした家族を笑顔で迎える。
その隣では、同じように手合いの成り行きを正座で見守っていたシャマルが、控えめな拍手をシグナムに送っていた。

「ん〜……でも、もーちょっと手加減してあげてもよかったんとちゃうかなぁ?」

先程までのお日様のような笑顔から一転、はやては心配そうにシグナムと打ち合った青年に目を向けた。
これも鍛錬の一環である、と理解していても、仲間に担がれて道場から出て行く青年の背中は、とても痛ましかった。
しかしシグナムは首を横に振りそれを否定する。
曰く、「出せる力の全てを持って戦わなければ、鍛錬の意味などありません」との事だ。
それは確かにそうかもしれないな、とはやては一人納得する。

「では、次に手合いの相手をしてくださる方は……」

シャマルから受け取った手拭いで汗を拭きながら、シグナムは後ろを振り向く。
が、彼女の前に名乗りをあげようとする者は一人としていなかった。
その代わりにヒソヒソと仲間内で耳打ちをしあう声だけが漏れてくる。

「……いや、ちょっと無理でしょ……」

とか、

「あんなん隊長クラスじゃないと勝てないって……」

とか。
まあいくら新人相手だったとはいえ、あそこまで圧倒的な試合を見せられてはその反応も致し方ない。
しかし、シグナムとしてはまだまだ今日は鍛錬をし足りない。
少なくともあとニ、三戦は手合わせをしたいところだ。
だが、こう乗り気でない相手と戦ってもろくな成果は得られないだろう。
どうしたものかと考えていると、不意に何かを思いついたらしいはやてが、胸の前でポンと手を打った。

「……よっしゃ! じゃあ誰でもええから次の試合でシグナムに勝てたら、今度の差し入れは二倍や〜!」

瞬間、隊士達の目の色が変わった。
どうやら彼ら、いつの間にやらすっかりはやてに餌付けされてしまっていたらしい。
……いや、それは彼らだけではなかった。
前の爆弾テロ事件の一件以来、毎日のように稽古にやってくるシグナムと、三日に一回くらいの頻度で
差し入れの手料理を持ってくるはやては、すっかり真選組内でも噂になってしまっていた。
特にはやてはその愛くるしさと気立ての良さ、料理の上手さも相まってむさ苦しい隊士達はおろか、
隊内食堂に勤める女中達にも人気の、ちょっとしたマスコットになっていたのだ。
そんな彼女からの差し入れが二倍。
これは本気にならざるを得ない。
隊士達は互いに肩を寄せ合い、真剣に作戦会議を始める。
あいつなら勝てるんじゃないか? いや、それならあいつが。いやいや、あいつの方が勝算が。
そうして頭を悩ませる彼らの背に、しかし全くやる気の無い声が投げかけられる。

「……ったく、ギャーギャーやかましいんだよ。今日は日曜だぜ? もっと静かに出来ねェのかィ」

床に寝そべっていた声の主は、気だるそうに安眠マスクを外し、そして気だるそうにずれた剣道着を直す。
見た目シグナムとそう歳も変わらない、薄茶の髪のその青年は、のそのそと立ち上がって傍に立てかけてあった竹刀を手に取った。

「お、沖田隊長ォォォ! っていうか今日は月曜です! 確かに祝日ですけども!」

と、ノリツッコミをする隊士を素通りし、竹刀でトントンと肩を叩きながらはやての目の前まで歩み寄る。

「なかなか面白そーなことやってるじゃねェかィ、お嬢。俺も混ぜちゃくれねーか?」

どこか挑戦的にそう言い放つ沖田に、その場に居た全員は思わず目を丸くした。
普段から無責任で不真面目で、何かにつけて仕事をサボろうとする彼が、
まさか自ら手合いの相手を申し出るとは誰も思わなかったのだろう。
思わぬ心強い援軍の登場に、隊士達の歓声がどっと沸きあがる。

「おおお! 沖田隊長が出るぞ!」

「隊長ォ! 一丁揉んでやってください!」

「きた! 沖田さんきた! これで勝つる!」

その言葉はどれもこれもが、沖田の勝利を信じて疑わないものだった。
さすがにそこまでシグナムのことを蔑ろにされては、はやても面白くない。
ぷぅっと頬を膨らませて沖田を指差し、手をパタパタと振り回しながら抗議をする。

「真面目に練習もせぇへん人に、シグナムは負けへんもん〜!」

「あらら。こりゃ手厳しい」

本人は精一杯凄んでいるつもりなのだろうが、しかし小さな彼女のその行動は愛嬌たっぷりで、
むしろその場を和ませつつあった。
沖田は肩を竦め、シグナムの方へ目を向ける。

「……フフ。まさかあなたの方から名乗り出てくださるとは、思ってもみませんでしたよ」

気を悪くするどころか、口の端を上げ、むしろ嬉しそうな表情をしているシグナムがそこにいた。
まだ双方の準備も完了していないというのに竹刀を構え、烈火の騎士は好戦的な笑みを浮かべる。
そんな彼女を見て、沖田は呆れながらため息をつき、そして竹刀を構えた。

「他の方々に聞き及びましたよ。なんでも、剣の腕だけなら土方殿をも上回るとか……」

「やれやれ、相変わらずの剣術バカでさァ。土方さんが気に入るのも分かる気がしやすぜ」

互いに竹刀を正眼に構えたままはやて達から程離れ、そしてジリジリと互いの間合いを計り始める。
所謂剣気というものだろうか。
先程の試合と比べるまでもなく圧倒的な威圧感が二人の剣士から放たれ、最早剣呑とすら言えるほどの空気が
ピリピリと道場内を焦がす。
そのあまりの迫力に、隊士達は固唾を呑んで勝負の行方を見守るしかなかった。

「頑張れー! 総悟くんもシグナムも、ファイト! おー!」

「シグナムー! 負けたら承知せぇへんよー!」

しかし、八神家のパープーガールズはそんな空気すらもぶち破る。
二人に黄色い声援を送るシャマルと、烈火に檄を飛ばすはやての姿は、まるで運動会の応援にやってきた保護者のようだ。
その鷹揚な空気が伝染したのか、隊士の一人が沖田に向かって声援を送る。
そしてそれに釣られるように一人、また一人。
あっという間に声援の波は道場内に広がり渡った。
投げかけられる言葉は実に様々。
純粋に沖田を応援する者もいれば、「綺麗な女の子を応援したい!」という男の性に負けてシグナムを応援する者もいる。
どさくさに紛れて「はやてちゃんをウチの息子の嫁に……!」と叫んだ者もいたが、即座に他の隊士達にけたぐりまわされてあえなく沈黙。
最初とは別の意味で騒がしくなった道場内の熱気が最高潮に達しようとした、まさにその瞬間だった。

「お前が真面目に稽古に出るたァ、珍しいこともあるもんだな。どういう風の吹き回しだ?」

道場の入り口から、突如として声が聞こえた。
隊士達は、突然背後からクラクションでも鳴らされたかのように肩を竦ませ黙り込み、一斉に入り口の方へ目を向けた。
遅れてはやてとシャマル、沖田とシグナムも声のした方を見やる。

「……なんですかィ、土方さん。これからって時に」

不快そうな表情を隠そうともせず、沖田は声の主を睨みつけた。
入り口に立つ土方は咥えタバコから紫煙をくゆらせ、どこか居心地悪そうに彼らに背を向け、
静まり返った道場に言葉を残しその場を去っていった。

「お楽しみのトコ悪いんだが……お前に客だ、総悟。さっさと着替えてきやがれ」



「……ったく。こんな昼間っから訪ねてくるたァ、一体どこの暇人でィ」

などと呟きながら、隊服に着替えた沖田は不機嫌そうに長い廊下を歩く。
珍しくやる気になっていたところに水を差されたのだ。気を悪くするのも無理はない。
そんな荒れる隊長さんを、コソコソとつけ回す影があった。

「ブラボ−1より本部へ、ブラボー1より本部へ。前方に目標発見や! どうぞー」

「本部よりブラボー1へ。こっちでも視認したわ。これより追跡を再開しますっ!」

無線機片手にノリノリで交信をするはやてと、彼女を抱きかかえたシャマルであった。
一体どこで用意したのか、真っ黒のスーツに真っ黒のソフト帽、黒レンズのサングラスで身を固めた二人は、
まるで出来損ないのメン・イン・ブラックのようであった。
というか、抱きかかえているということは、二人の距離は肉声でも会話が充分できる距離なわけであって。
ついでに言えば、彼女らは念話が使えるわけであって。
無線機を使う必要性が一体どこにあるのか、甚だ疑問である。

「あ、あー……うぉっほん!」

そんな彼女らの背後から、仰々しい咳払いが聞こえてきた。
びくりと肩を震わせて、二人は眉をひそめながら後ろを振り向く。

「もうっ! 静かにしないと、総悟くんに気付かれちゃうでしょ?」

「そやそや。物音厳禁、私語も厳禁。マッチ一本火事の元や」

可愛らしく顔の前で人差し指を立てるシャマル達の目の前では、シグナムがこめかみの辺りを掻きながら、
不審そうな目つきで二人を見ていた。

「あの……一体何をしておられるので?」

妙な汗を掻きながらシグナムがそう尋ねるが、それも無理のないことだ。
沖田が道場から出て行った後、自分の仲間が、そして主が、突然どこぞの秘密結社の構成員のような格好をして、
二人揃って沖田の後をコソコソとつけ回し始めたのだ。
疑問の一つも投げかけたくなる。
まるで難解な数学の問題に挑んでいる受験生のような顔で頭を捻るシグナムだが、しかしそんな彼女に、
はやては事も無げに悪戯っぽい笑みを浮かべながら返す。

「スパイごっこや!」

サングラスに隠れた瞳には、さぞや無邪気な光が宿っていることだろう。
思わずため息をつきながらシャマルを見ると、彼女のまた心底楽しそうな笑みを浮かべていた。

「だって気になるじゃない? 敵か味方か!? 謎多き青年隊長に突然の来客!
 果たして、総悟くんの運命やいかに!?」

「ドラマやアニメの見すぎだ、お前は」

「もしかしたら総悟くんの意外な一面が見れちゃうかも? きゃっ♪」

「相変わらず面食いやなぁ、シャマルは。こないだも土方さんに欲情してへんかった?」

「よ、よく……!? お、女の子がそんな言葉を使っちゃいけませんっ!」

たまたま近くを通りかかった数人の隊士が、何事かと不思議そうに三人を眺める中、
黒服達はもはやスパイの意味も成さないくらいにやかましく騒ぎ立てた。
ここがどこぞの核兵器廃棄所なら、頭上にビックリマークが出た上でけたたましいアラートが鳴り響いているところであろう。
女三人寄ればかしましいと言うが、彼女らの場合二人でも充分かしましい。

「……あれ? そーいえば、沖田さんは?」

一頻り口論を終えたところで、ようやくはやてが当初の目的を思い出す。
キョロキョロ辺りを見回してみるも、目に入るのはあまり思い出に残っていない有象無象の隊士達の顔。
沖田の姿はどこにもなかった。

「もー! シグナムのせいで見失ってしもたやんかー!」

ぷぅっと頬を膨らませ、はやてはシグナムを不服そうな目で睨む。
少しだけ逡巡してから何かを言い返そうとしたシグナムだったが、しかしはやては彼女を無視し、
シャマルの腕をぺしぺしと叩いて焚き付ける。

「シャマル、すぐに追っかけるよ! 全速前進やー!」

「あいあいさー!」

「あ、おい待て!」

シグナムの制止も聞かず、シャマルははやてを抱えたまま、嬉々として廊下を駆け出した。
すぐさま止めようと後を追うシグナムなのだが、シャマルの足がまた意外と速い。
二人の距離はぐんぐん広がってゆき……不意に、廊下の曲がり角でシャマルが足を止めた。
ほっと胸を撫で下ろし、ようやく追いついたシグナムはシャマルの肩を掴み……そしてそこで気付く。

シャマルの眼前に、黒光りする円筒が突きつけられている事に。

「……こーいう時、なんて言うべきか知ってやすかィ? シャマルさん」

円筒を肩に担いだその人物は、淡々とした表情で問いかける。
シャマルとはやては額からだくだくと脂汗を流しながら首を横に振り、震える声でこう答えた。

『……ご……ごめんなさい……?』

しかし、目の前の人物は首を横に振る。
解答代わりに返ってきたのは、薄ら寒さすら覚えるほどの不敵な笑み。
円筒、もといバズーカを肩に担いだその青年――沖田総悟は、サディスティックな表情を隠そうともせずシャマルを見下ろす。

「……"Jackpot."……って言うのがお決まりらしいですぜ?」

スタイリッシュな台詞と共に砲口から榴弾が吐き出され、乙女三人は圧倒的な衝撃波と黒煙の中に飲み込まれていった。



「……ったく。コソコソしてねーで素直についてこればよかったんでィ」

『ごめんなさい……』

「……何故私まで……」

プスプスと頭から煙を出しながらシャマルとはやてはペコリと頭を下げ、そして巻き添えを食らって
こんがり理不尽に焦げあがったシグナムは、ブツブツと不平を漏らしつつシャマルを睨む。
そんな剣呑な三人娘を引き連れ、沖田は相変わらず廊下を歩いていた。
隊舎としての機能も持ち合わせているせいで妙に広い敷地面積を持つ屯所内を練り歩き、すれ違う隊士達と一言二言挨拶を交わし、
そしてようやく目的の部屋の前に到着する。

「……なんでィ? ありゃァ」

沖田は首を傾げた。
風情ある庭園を眺めることの出来る、上等な客間。
その部屋を外界から分け隔てるために閉められたふすまの前に、すでに先客がいたのだ。
それも一人ではない。
二人、三人。
ざっと見ただけで、十人近くは居る。
ふすまを薄く開けて小さな隙間を作り、何人もの隊士達がひそひそと囁き合いながら、押し合いへし合いその中を窺い見ようとしていた。
沖田は頭を掻いてため息をつき、思う。
確かに自分に対して客が来るというのは、非常に珍しいことだ。
しょぼくれた様子で自分の後ろに付き従う三人の女子のように、並々ならぬ興味を持つのも致し方ないかもしれない。
だが、こうやって大所帯でコソコソと客の様子を窺うのは、いくらなんでも先方に失礼すぎるのではないだろうか?
いや、疑問符をつけるまでもない。
どう考えても失礼だ。
一応人の上に立つ者として最低限の礼節をわきまえていた沖田は、しかし子供程度の理性しか持ち合わせていなかった彼は……。

とりあえず、目の前に積み重なる礼儀知らずの野次馬どもを、仕置きと称してぶっ飛ばすことにした。



背後から迫る脅威に気付かぬまま、隊士達は食い入るように客間を覗き込んでいた。
僅かな隙間から伺い見れるのは、何やら嬉しそうな表情を浮かべ、部屋の真ん中に置かれた机の前に座る近藤の姿。

「そうかそうか! いやそれはめでたい! 式にはぜひ真選組総出で出席させてもらうよ」

机を挟んだ向かいに居るであろう客人に、近藤は笑いながらそう告げる。
客人もまた、釣られるようにクスクスと笑いながら言葉を返す。

「でも、正直結婚なんてもう諦めていたのよ。こんな身体だし……」

女性の声だった。
とても優しく、全てを包み込むかのような美しく柔らかな声。
ただでさえ女っ気に餓えている隊士達にとって、その女神の囁き声はひどく魅力的であった。
我先にとふすまの前へへばりつき、先ほどにも増して食い入るように隊士達は部屋の中を覗く。

「こんなオバさん、誰ももらってくれないって……感謝しなきゃね」

「いやいや、ミツバ殿は昔と何も変わらんよ。キレイでおしとやかで賢くて……。
 総悟もよく話していたよ。自慢の姉だって」

「もう! おだてても何も出ないわよ」

近藤と親しげに会話を交わすその女性は、先程の声のイメージ通り……いや、それ以上の淑女であった。
短く整えられた亜麻色の髪。
優しく暖かな蘇芳色の瞳。
決して派手ではなく、しかし地味というわけでもない、儚げな百合の花の模様が施された上質な着物。
柔らかな笑みを浮かべ、気品を感じさせるその仕草は、一種の色香をも漂わせる。
ありていに言って、その女性は"大和撫子"そのものであった。

「……オイ、アレ誰だ? あの別嬪さん何喋ってるんだ? 何笑ってるんだ?」

「結婚がどうとか言ってなかったか?」

「んだとォ! お妙さんという者がありながら、局長の野郎ォ……!」

まったく予想もしていなかった『結婚』という単語に、隊士達はざわめき出す。
近藤はあれで結構いい歳だし、真選組局長という幕府の要職に就いている。
縁談の話があったとしても、おかしくは無い。
しかし、彼には現在大絶賛片思い中の女性――志村新八の姉――がいる。
だというのに、あの名も知らぬ女性と結婚?
ストーカーという名の泥沼に両足突っ込んでる近藤が、自分達の見ず知らずな女と結婚?

「しーっ! 静かにしろバカ!」

衝撃の事実に心揺さぶられる隊士達を咎めたのは、真選組の最後の良識、山崎であった。
彼は人垣の中心、一番前に居座り、ふすまの隙間から中を覗き見やりながら、

「お前らしらねーの? アレ、沖田さんの姉上様のミツバさんだよ」

「……え?」

言われて、隊士達は再び中を覗き込みその女性を注視する。
髪の色、瞳の色、その容姿。
……確かに言われてみれば、その姿はどことなく沖田を髣髴とさせる。
納得したように頷き、手を打ち、しかし半ば信じられないように隊士達は息を漏らす。

「あ、あの毎月激辛せんべえ送ってくる……」

「辛くて食えねーんだよな、アレ」

「しかし似ても似つかんねェ。あんなおしとやかで物静かな人が、沖田隊長の……」

「だからよく言うだろ。兄弟のどっちかがちゃらんぽらんだと、もう片方はしっかりした子になるんだよ。
 バランスがとれるようになってんの世の中」

山崎がその台詞を言い終える前に、突如として彼らの身体が黒煙に包まれた。
絶大な爆風と衝撃波は、いとも容易く隊士達を吹き飛ばし、そして彼ら自身が先ほどまで覗き込んでいた部屋に突っ込ませる。
火の尾を曳きながら宙を舞った隊士達は、ある者は部屋を突っ切り向かいの障子に頭から突っ込み、
またある者は机の上に着艦する。
普通なら大騒ぎになってもおかしくない状況であるが、真選組では日常的な光景だ。
その事を心得ているのか、驚きも慌てもせずにミツバは口元に手を当て、

「まァ、相変わらずにぎやかですね」

「おーう、総悟やっと来たか!」

近藤がにこやかにふすまがあった所へ向けて手を振る。
彼の視界には、山崎の首を掴み持ち上げ、その喉元に刀を突きつける沖田と、口をあんぐりあけてその様子を静観する
シグナム、はやて、シャマルの姿が映っていた。

「すんません。コイツ片付けたら行きやすんで」

割と本気な目で山崎を睨み付け、近藤達の方を見ようともせずに沖田は言う。

「そーちゃん、ダメよ。お友達に乱暴しちゃ」

そんな彼を、ミツバは諭すように咎める。
怒るでもなく呆れるでもなく、本当に優しく柔らかい口調。
沖田は一瞬だけ、刺すような視線で姉を見やり……。

「ごめんなさいおねーちゃん!!」

手にした刀も山崎もその場に落とし、ミツバのすぐ傍まで行き勢いよく土下座をした。

『え、えええ!!?』

その様子を見て真っ先に驚いたのはシグナム達だ。
あの沖田が、あっさり頭を下げた?
自分勝手で頑固でドS王子の異名を取る沖田が、従順にあっさりと頭を下げた?
まったくもって想像すら出来なかった眼前の光景に、シグナム達は再びぽかんと口を開ける。

「ワハハハハ! 相変わらずミツバ殿には頭があがらんようだな、総悟!」

しかし彼女らとは正反対に、近藤は心底楽しげに笑い声を上げる。
彼にとっては、きっとこれは見慣れた光景なのだろう。
ミツバはというと、久しぶりに再会した、土下座の姿勢のままの弟の頭を、よしよしと撫でて柔和な笑みを浮かべていた。

「お久しぶりでござんす、姉上。遠路はるばる江戸までご足労、ご苦労様でした」

「……だ、誰?」

「ホントに意外な一面が見れちゃったわね……」

はやてもシャマルもシグナムも、沖田のあまりの豹変振りに冷や汗をかきながらポツリと呟く。
いや、だっておかしい。
あの自由奔放無礼千万な沖田が、礼儀正しく頭を下げて労いの言葉までかけて。
しかも何だあれは? なんで頬まで染めてるんだ?

「まァまァ御三方、姉弟水入らず。邪魔立ては野暮ってもんだぜ」

困惑の渦中にある三人に気付いた近藤は彼女らの傍まで歩み寄り、そっとそう告げる。
戸惑いつつも近藤の言わんとするところを理解したはやては、自分を抱きかかえるシャマルの服の袖をクイクイと引っ張り、
部屋の外へ出るように促した。

「総悟、お前今日は休んでいいぞ。せっかく来たんだ、ミツバ殿に江戸の街でも案内してやれ」

去り際に近藤が残したその言葉に、沖田は本当に嬉しそうな顔をして近藤に頭を下げる。
「ささ、姉上!」とミツバの手を取り、半ば引っ張るように沖田は縁側から隊舎の廊下へ向かって駆け出す。
まるで子供のように無邪気な笑みを浮かべる沖田からは、普段の毒っ気は微塵も感じられなかった。

「……はぁ〜。キレーな人やったなぁ」

「総悟くんにお姉さんが居たなんて、意外ねぇ……」

まるでつむじ風のような騒ぎが収まった後、はやてとシャマルは揃ってため息を漏らす。
綺麗、というのは、何も外見だけの話ではない。
物腰も、口調も、そして醸し出す雰囲気も。
一目見ただけだが、その何もかもが本当に綺麗で、同じ女性として嫉妬すら覚えてしまうくらいだった。

「しかし、あの豹変ぶりは……一体何者なのですか? 沖田殿の姉君様は……」

呆けたように騒ぎの残照を眺める二人の隣で、しかしシグナムは解せないと言わんばかりの表情で近藤に問いかける。
近藤は懐かしそうに目を細めながら、沖田たちの去っていった方を見やり語りだす。

「アイツは……総悟はなァ。幼い頃に両親を亡くして、それからずっと、あのミツバ殿が親代わりだったんだ。
 アイツにとっては、お袋みてーなもんなんだよ」

唐突に突きつけられた事実に、思わず三人は息を呑んで近藤の話に聞き入る。
傍若無人で、意地っ張りで、人の言うことなんか全然聞かなくて。
理不尽の塊のような人間だが、思い返してみれば、そんな彼でもはやてに対してだけは、そこまで無茶な態度は取っていなかった。
先ほどの榴弾投射はまた別の話だが。
幼い頃に両親を亡くし、一人での生活を余儀なくされていたはやてを、昔の自分と重ねていたのだろうか。

「男には、ああいう鎧の紐解く場所が必要なんだ。特にアイツのように、弱みを見せずに片意地張って生きてる奴ほどな」

その言葉が、はやての胸の奥をチクリと刺す。
沖田にとって何よりも大切で、傍に居て何よりも安心できる人。
そんな人を、自分達は面白半分で覗き見ようとしていた。
それは土足で他人の心の中に踏み込むのと同じくらい、失礼なことなのではないか。
もし自分の大切な人達が同じように、影でコソコソ言われていたり、興味本位で心無い人間につけ回されたりしていたら……。
そんなことは、想像したくもなかった。
想像したくもないことを、自分は沖田に対して、してしまった。

「……今度沖田さんに会ったら、ちゃんと謝らへんとな……」

誰に言うでもなく、はやては小さく呟く。
ひゅう、と一陣の風が吹く。
蚊の鳴くようなその声は、誰にも聞こえることなく舞い落ちる紅葉の中に消えていった。



休日の昼間ということもあり、喫茶店"翠屋"はいつにも増して繁盛していた。
厨房の奥では士郎と桃子が忙しなく動き回り、カップルや家族連れ、学生達でごった返した店内では、
美由希がひっきりなしに飛び交う注文を受け賜り、恭也は営業スマイルでレジにて客の応対をする。
全員が全員、自分の持ち場を離れることが出来ない、まさに猫の手も借りたい状態だ。
そんなわけで。

「よ〜し! 私もがんばるぞっ!」

家族の危機を救うため、高町なのはここに参上。
随分昔に作ってもらった"翠屋"のマークが入ったエプロンを身に付け、注文用紙を挟んだ小さなボードを片手に、
トコトコとなのはは店内を駆け回る。

「……あれ?」

銀時達も連れてくればもっと楽になったかもしれないな、などということを考えながら、
何気なく窓際の席へ目を向け、そしてなのははどことなく見覚えのある人物を発見した。
短く切られた、亜麻色の髪。
静かに燃える蘇芳色の瞳。
黒いスーツのような服と、席の奥に立てかけられた、立派な日本刀。
同じく亜麻色の髪と蘇芳色の瞳をした綺麗な女性と向き合うように座ったその男性の姿は、
確かになのはの記憶の片隅に描き残されていた。

「どしたの? なのは」

一体どこで見たのだろう? と首を捻りながらウンウン唸っていると、突然背後から声がかけられた。
驚き後ろを振り返ると、トレーを胸に抱えた美由希が、訝しげな表情でなのはの顔を覗き込もうとしていた。
「なんでもないよ」とどもりながら答えると、美由希は「ふ〜ん」と気の無い相槌を打ってなのはが視線を向けていた方を見やり……。
何故かひどく納得した様子で何度も頷き、悪戯っぽい笑みをなのはに向けてきた。

「な・る・ほ・ど〜♪ そっかそっか、なのはも色を知る歳になったのね〜。このおませさん!」

「へ? ……え?」

いきなりわけの分からないことを言われて混乱するなのはだが、しかし美由希は構う事無く捲くし立てる。

「でも、あのお兄さんはやめといた方がいいわよ〜? おねーちゃんの見立てだけど……あの二人、確実にデキてるからね」

「えっと、あの……そういうのじゃなくて……」

「照れない照れない! ……あ、もしかしてなのは、略奪愛とかそういうのが好きなタイプ?
 お姉ちゃん純愛派だから、そういうのはちょっと応援できないかな〜……」

「だ、だから違うってばー!」

パタパタと手を振り回し、顔を赤くして抗議するなのはなのだが、しかし美由希は笑いながらその場を去っていく。
どうやら妙な勘違いをされてしまったらしい。
そもそも自分の好みの男性はああいう人ではなく、もっとこう……。

「……あ」

ふと思い浮かぶのは、兄と父と居候と……自分に"魔法"を教えてくれた、共に背を預けて戦った友人の顔。
そこでようやく、なのはは窓際の男性のことを思い出す。
そういえばあの男性は、ユーノと初めて出会ったあの日、問答無用で自分達にバズーカをぶっ放してきた男だ。
もう半年近く前の話だが、己の生命の危機に関わる出来事だったので今でも鮮明に覚えている。
思わず身震いし、そしてなのはは再び彼――沖田を見やる。

「そーですか、ついに姉上も結婚……じゃあ今回は、嫁入り先に挨拶も兼ねて?」

「ええ。しばらく江戸に逗留するから、いつでも会えるわよ」

「本当ですか! 嬉しいッス!!」

「フフ……私も嬉しい」

視界の中の彼は、向かいに座った女性ととても楽しそうに談笑をしていて。
初めて会った時の印象とは、全く逆だ。
まるで子供のように素直な笑みを浮かべる沖田に、なのはは少なからず興味を抱く。

「じゃあ嫁入りして江戸に住めば、これからいつでも会えるんですね」

「そうよ」

「僕……嬉しいっス」

とりあえず姉の見立ては掠りもしなかったな。などと思いつつ、いけないことだと理解しながらも、
聞き耳を立ててなのはは二人を見守る。
そんな彼女の背後から、男達の忍び笑い。
不審に思い声のした方を振り向くと、上から下まで真っ黒なスーツのような服――沖田と同じ意匠の服を纏った男二人が、
双眼鏡片手に口元を押さえて必死に笑いを堪え、そして彼らの着く席のすぐ傍では、注文用紙を手にした美由希が
困ったように愛想笑いを浮かべていた。

「あ、あのー……お客様、ご注文は……」

「プクク……マジかよ、あの沖田隊長が……」

「"僕"だってよォォォ!」

沖田の知り合いだろうか。
肩の辺りまで髪を伸ばした地味な男と、頭を丸く剃りあげた大柄の男は、困る美由希など意にも介さず
テーブルを叩いて込み上げる笑いに耐えているようだった。
あんなに微笑ましい二人を見て嘲うなんて、失礼な人達だな。と不快感もあらわに、なのはは再び沖田の方を見やる。

「でも、僕心配です。江戸の空気は武州の空気と違って汚いですから。お身体に障るんじゃ……」

と、沖田は神妙そうな顔つきで窓の外を指差し、

「見てください、あの排気ガス」

「え? ……何? どれ、そーちゃん?」

ミツバが外へ視線を向けた、まさにその瞬間。
どこからとも無く取り出したバズーカを担ぎ、鬼のような形相で砲口を先程の男達の方へ向け……。
爆音。
凄まじい大音響と共に、二人の男は紅蓮と黒煙の渦に包み込まれていった。
無論、すぐ傍に居た美由希も一緒に、だ。

「お姉ちゃんんんんんん!!?」

あまりにも突拍子も無く店内で巻き起こった悲劇に、なのはは冷静さを失い絶叫する。
手にしたボードも放り投げ、燃え上がる客席へと一歩を踏み出し……

「いやー死ぬかと思ったね、実際」

「って、あれェェェェェ!?」

なのはは思わず動きを止めて後ろを振り向いた。
目の前には、何事もなかったかのように額の汗を拭う美由希の姿。
何故? ホワイ? これなんて魔法?
混乱しきった頭で自問を繰り返すが、しかし答えが返ってくることはなく。
そんな情景をレジ越しに眺めていた恭也は、頭を押さえてため息をつきながら、掃除道具を取りに店の奥へと姿を消すのであった。



土方は紫煙をくゆらせ、居心地悪そうに休日の商店街を闊歩していた。
横幅に余裕を持って設計されたその道は、しかし蠢く人々によって埋め尽くされており、
その様は人の波というよりむしろ壁のようであった。
"目的地"への最短距離を取るためにこの道を選んだのだが、自分の判断は失敗だったな、と今更ながら土方は思う。
行き交う人々のうねりに身体を揉まれ、バランスを崩して近くを通った乳母車を蹴飛ばしそうになり、
なんとか踏ん張ってその場に留まると、頭の弱そうな女子高生に逆に脛を蹴り飛ばされる。
身体中に電気が通ったような激痛が走り、顔を歪ませながらその女を睨みつけるも、しかし女子高生は無視を決め込む。
一つガツンと言ってやろうかと一歩を踏み出したところで、今度は何者かに肩を捕まれる。
「あァ?」と不機嫌極まりない声を上げながら後ろを振り向くと、冴えない中年男性に咥えタバコに対する注意をされてしまった。
そんなことがあったのが、つい十分前。
いつもなら五分ほどで通り抜けることが出来た商店街だが、休日客と予期せぬトラブルの連続のおかげで、
十分経っても抜け出すどころか中間地点に辿り着くのがやっとであった。
ようやく人の影もまばらになってきた辺りで、土方はため息をつきながら新しいタバコに火をつける。
何やら姦しい話し声が聞こえてきたのは、その時だった。
何気なく声のした方を見やり、そして土方はタバコを咥えようと動かした手を思わず止めた。
彼の視線の先……花屋と服屋の間の路地の影に、三人の少女が居たのだ。
背丈も服装もまちまちなその女性達は、何故か一様に双眼鏡を手にし、
道を挟んだ向かいの店……商店街で評判の喫茶店の中を覗き込んでいるようだった。

「……美味しそう……」

と、よだれでも垂らしそうな声を上げたのは、三人の中では中間くらいの背丈の女の子。
その服装は、白い小袖に深紅の緋袴……ありていに言って、典型的な巫女装束であった。
一本結びにした栗色の長い髪と、とろんとした金色の瞳がなんとも愛らしいが、それと同時に言い知れない違和感を醸し出す。
すなわち、"なんでこんなところに巫女さんがいるんだ?"と。

「おお〜……すっごい美人さん……!」

だが土方の心中の疑問に答える者はおらず。
その代わりに聞こえてきたのは、活発そうな女の子の声。
短く切られた明るい空色の髪に、先ほどの子と同じ金色の瞳。
そして身に纏うのは、ずいぶんと丈の短い萌黄色の着物と、あか抜けた象牙色の帯。
最近若い女性の間で流行の、ミニスカ着物と言うらしい。
双眼鏡から目を離し、その少女は何故だか感嘆の息を漏らす。

「二人とも静かにしていろ! 気付かれたらどうする!」

そしてそんな二人を、おそらくこの三人の中で最年少であると思われる長い銀髪の少女が叱る。
どこからどう見ても小学生なその少女は、しかし身に纏った優美な藍の着物と桜色の帯が、
そして猫のように切れ長な金色の瞳が、異様なまでに大人っぽい雰囲気を醸し出していた。
銀髪の少女は目に当てていた双眼鏡を下ろし、両脇で中腰に立つ二人に目をやり、

「いいか。スナイパーもアサッシンも、姿を見せることなく敵を討つのが仕事だ。
 一般人に気配を悟られるようでは責務をまっとうできんぞ、二人とも」

「まあまあ、二人とも町に出るのは初めてなんだから。浮かれちゃっても仕方ないってば!」

「自分で言うな! 自分で!」

ヘラヘラと笑っていた空色の髪の少女だが、銀髪の少女にピシャリと一喝されてしまう。
空色の髪の少女は不服そうに口を尖らせ、銀髪の少女を見下ろす。

「むー……チンク姉、なーんか機嫌悪くない? ゴローちゃんとケンカでもした?」

「姉の知り合いにゴローなどという人物は居らん」

「伍丸弐號さんのことだよ、チンク姉」

すまし顔で腕を組む銀髪の少女――名をチンクというらしい――に対し、
双眼鏡を覗いていた巫女装束の少女が、口元を手の甲で拭いながらそう言った。

「チンク姉、いつまで経っても"おい"とか"お前"とか倦怠期の夫婦みたいな呼び方しかしないからさー。
 あたしとディエチで勝手に決めちゃった」

「発案者はセインだけどね」

「だれが夫婦だ! 誰が! というか、なんだその素っ頓狂なあだ名は!
 "ご"しか掛かっていないではないか!」

得意げにVサインを作る二人の少女――空色の方がセイン、栗色の方がディエチというらしい――に、
チンクは顔を赤くして怒鳴り返し、しかしすぐに平静を取り繕って、腕を組んで喫茶店を見やる。

「と、とにかくだ! 今回我々に与えられた任務、よもや忘れてはいまいな?」

「そりゃもちろん!」

「あのお姉さんの監視兼護衛。それも、当人及び周囲には内密で……だよね?」

「うむ。取り引きの前に、どこぞの無粋な輩に、重要な駒を傷物にされては困るからな」

そう言って腕を組み、うんうんと頷くチンクなのだが、しかしその表情はどこか物憂げであった。

「……まあ、私はあまり乗り気ではないのだがな……」

「……なんか言った? チンク姉」

「いや。それよりも……」

「オイお前ら」

ふっ、とチンクが小さく息を漏らすのと、彼女らに粗暴な男の声がかけられたのはほぼ同時であった。
ぎょっとした様子で三人は一斉に声のした方を見る。

「こんなところでコソコソ何やってやがる……ちょいと屯所まで来てもらおうか」

黒いスーツのような衣服。
腰に差した刀。
瞳孔開き気味の鋭い目。
見覚えのあるその顔に、セインとディエチは思わず狼狽する。

(チ、チンク姉! コイツあれだよ! 真選組の鬼副長!)

(厄介な人に見つかったね……どうする? さすがに三人がかりなら勝てると思うけど……)

目の前の鬼副長に気取られぬよう、口頭ではなく戦闘機人として備えられた無線通信機能を使ってチンクへ問いかける。
チンクは暫しの間黙考をする。
確かに、自分達戦闘機人は普通の人間とは一線を画する身体能力・特殊能力を持っている。
三人も揃えば、並の人間を打ち倒すことなど造作も無いはずだ。
しかし、目の前の男は並の人間ではない。
幾多の修羅場を潜り抜けてきた、歴戦の戦士だ。
おまけに未確認だが、あの"烈火の騎士"と互角の戦いすら繰り広げたという報告も入っている。
それに引き換え、こちらは実戦経験皆無の機人が三機。
スペック差では勝っているが、経験差があまりにも違いすぎる。
下手に手を出せば、こちらにも被害が出る可能性すらある。
というか、そもそも天下の往来で騒ぎを起こすつもりなど元より無い。
やはりここは、機を見て逃走に移るのが得策だろう。
そう思い、チンクが行動を起こそうとしたまさにその時。
突如として、盛大な爆発音が喫茶店の方から響いてきた。
その場に居合わせた人々は何事かと、皆一様に喫茶店の方へと目を向ける。
それは土方も例外ではない。
そしてチンクは、その隙を逃さなかった。

「……走れ! とにかくこの場から離れるぞ!」

その声を合図に、あっけに取られていたセインとディエチはチンクを追って路地裏へと一目散に駆け出した。
それを引きとめようと土方は手を伸ばすが、しかし喫茶店の方も気に掛かる。
逃げ出した不審者を追うか、原因不明の爆発を調べるか。
ほんの僅かな逡巡の後、土方は舌打ちをして路地裏へと駆けていった。
彼の見知った人物が、その背中に視線を向けていることに気付くことはなかった。



「……! まァ、何かしら……くさい……」

どこかで見たような後姿を見つけ、窓の外に釘付けになっていたミツバは、
店内から漂ってくる異臭に思わず手で鼻を覆った。
臭いの元と思わしき席からは、なぜか黒い煙がもくもくと立ち昇っており、店員の青年が箒とちりとりを腋に挟みながら
煙に消火器を向けている。

「ひどい空気でしょ。姉上の肺に障らなければいいんですが……」

行儀良く席に座り、すまし顔で沖田は言う。
そんな弟からの心遣いが嬉しかったのか、ミツバは小さく微笑み、そして彼女もまた沖田の身を案じて言葉をかける。

「病気なら大丈夫。そーちゃんの毎月の仕送りのおかげで、治療も万全だもの。
 それよりも、そーちゃんこそ大丈夫なの? ちゃんと三食ご飯食べてる?」

「食べてます!」

「忙しくても睡眠ちゃんととってるの?」

「とってます! 羊を数える暇も無いですよ」

「みなさんとは仲良くやっているの? いじめられたりしてない?」

「うーん、たまに嫌な奴もいるけど……僕くじけませんよ」

煙の向こうから「どの口が……!」と言いたげな男二人が頭から煙を出しながらこちらを見ているような気がするが、
きっと気のせいだろうと自分に言い聞かせて無視をすることにする。
こんな感じで姉に心配をかけまいと振舞う沖田なのだったが、しかし次に飛び出した姉からの問いかけには、
さすがの沖田も困り果ててしまった。

「じゃあ、お友達は? あなた、昔から年上ばかりに囲まれて友達らしい友達もいないじゃない。
 悩みの相談が出来る親友はいるの?」

先に言ったとおり、沖田の交友関係というのは決して広くはない。
傍若無人で、意地っ張りで、人の言うことなんか全然聞かなくて。
そんな性格の人間に、友達などそうそうできるものではない。
ましてや親友など。
しかし、そのことを正直に話せば姉に要らぬ心配をかけてしまう。
どうしたもんかと俯き、考え……。
何か妙案を思い立ったのか、ミツバに断って席を立ち、携帯電話片手に店のトイレへと駆け込んでいった。



突如として巻き起こった爆発事件から数十分。
ようやく落ち着きを取り戻してきた店内で、なのはは先程にも増して接客に勤しんでいた。
目一杯の笑顔で愛嬌を振りまき、店内を駆け回って客に商品と癒しを提供する。
注文を聞き、空いた食器を片付け、そして窓際の席へ注文のコーヒーを持っていく。
店の入り口が開き、カランとベルの音が鳴ったのは、コーヒーをテーブルの上に置いたまさにその時であった。
新たな客を迎えるべく、なのはは笑顔で入り口の前までトコトコと駆けてゆき、

「いらっしゃいま……せ……?」

そして絶句した。
目の前に立っていたのは、坂田銀時であった。
いや、彼がこの店に立ち寄るのは、そう珍しいことではない。
金欠でどうしようもないときは、開店準備中にパンの耳をたかりにくるし、逆に仕事の実入りが良かった日には、
鼻歌を歌いながらいちごパフェを食べに来ることもある。
問題は、彼の隣に立つ人物であった。
端正に整った凛々しい顔。
ポニーテールに結わえられた、目に鮮やかな牡丹色の長い髪。
女の自分が見ても顔が赤くなってしまうくらいに豊満な胸と引き締まった腰。
そう、彼の隣に立つ人物は、あろうことか妙齢の女性であった。
それも、町を歩けば男女問わず、誰もが振り向くであろうくらいの美女。
万年金欠の銀時が。
そんな美女と一緒に並んで。
雰囲気の良い喫茶店に。

「あ……えっと……その……」

理解不能な事実を眼前に突きつけられ、なのはは思わず狼狽する。
何故? ホワット? 女にはとことん縁の無いはずの銀時が?
合コンで全戦全敗という輝かしい戦歴を持つ銀時が?
こんな美人と、自分の知らない間にお近付きに!?

「ご……ごゆっくりぃ〜!!」

次の瞬間には、なのはは顔を手で覆いながら店の奥まで駆けていってしまった。
彼女を引きとめようと挙げた右手をそのままに、銀時は呆然とその場に立ち尽くす。

「……なんなんだ、ありゃ?」

「お知り合いですか? 銀時殿」

そんな彼に声をかけるのは、なのは曰く絶世の美女――シグナムだった。
ただならぬ雰囲気を醸し出しながら店舗の奥へと消えていったなのはに、不信感を抱いたのだろう。

「知り合いっつーか、なんつーか……」

「おーい、お二人さん。こっちですぜィ」

しかし銀時が答えを返す前に、二人に声がかけられる。
窓際の最奥、街路樹の並木が美しく見える席。
そこでは自分達を呼び出した張本人が、こちらへ向けて手を振っていた。
一体何の用だと問いかけながら沖田の傍まで行くと、彼は二人の席へ着くよう促す。
釈然としない様子で、言われるままに二人は沖田の両隣へと腰を落ち着けた。
そして席の向かいに座る人物の顔を見て、銀時は眉をひそませ、シグナムは「あ」と素っ頓狂な声を上げる。
そんな二人には気も配らず、沖田は恥ずかしそうに二、三度咳払いをし、

「紹介します、姉上。大親友の坂田銀時くんとシグナムちゃんで……」

「なんでだよ」

銀時に後頭部をつかまれ、凄まじい勢いでテーブルに額を打ち付けられてしまった。
向かいではミツバが「まぁ、そーちゃん大丈夫?」などと言っているが、銀時は完全に無視を決め込む。
一方、シグナムはあまりにも突発的過ぎるイベントについていけず、頭上に沢山のクエスチョンマークを浮かべていた。

「……あの、沖田殿。今一つ状況が読めないのですが……」

「オイ、俺達いつから友達になった?」

「旦那、友達って奴ァ今日からなるとか決めるもんじゃなく、いつの間にかなってるもんでさァ」

ひそひそと告げられる沖田の言葉に、銀時はなんとなく状況を理解した。
つまるところ、向かいに座る女性――会話の内容から察するに、沖田の姉だろう――の前で、
友達のふりをしていてほしい、といったところだろう。
だが、状況が分かったところで快く首を縦に振るほど銀時はお人好しではない。
土曜に買うのを忘れていたジャンプを購入し、ようやく落ち着いて読めると思っていたところに突然の電話。
しかも報酬も何も無しに仕事の依頼ときたもんだ。
銀時は疲れた様子で頭を掻きながら席を立ち、のらりくらりと店の出口へと歩き出す。

「そしていつの間にか去っていくのも友達だ」

なのはが聞けば割と本気で反論してきそうな言葉を残し、銀時はその場を去ろうとする。
しかし沖田は全く動じることも無く、店員に声をかけるのであった。

「すいやせーん。チョコパフェとあんみつ三つずつ追加で」



「友達って言うか、俺としてはもう弟みたいな? まァそういうカンジかな。なァ総一郎君」

「総悟です」

「我々のある……じゃなかった、従妹も良くしていただけて……本当に、良く出来た御方です」

目の前に三つも並べられたパフェを、あんみつを口に運び、銀時とシグナムはご満悦な様子で語る。
白夜叉だの烈火の騎士だの言われても、甘味を用いた懐柔工作には勝てなかったようだ。
二人の言葉に耳を傾けていたミツバは、何故か驚いた様子で口元に手を当て、二人に挟まれて席に着く沖田を見る。

「まぁ。またこの子はこんな年上の方達と……」

「大丈夫です。頭はずっと中二の夏の人なんで」

「中二? よりによってお前、世界で一番バカな生き物中二!? そりゃねーだろ夜神総一郎君」

「総悟です。……心配要りませんよ、姉上。銀時くんはともかく、シグナムちゃんはこう見えてもまだ十九なんで」

銀時の言葉も爽やかにスルーする沖田の言葉に、ミツバは再び驚いたような顔。

「まぁ、そうだったの。ずいぶん大人びた方だから、てっきりもっと年上かと……」

実際のところ、沖田どころか銀時と比べてもとんでもなく年上なのだが、
厄介なことになりそうなのであえてそのことは伏せておく。
シグナムが返す言葉に詰まっていると、ミツバはまじまじとシグナムと沖田の顔を交互に見比べ、

「それにしても、こんなに綺麗な方とお知り合いだなんて……そーちゃんも隅に置けないわね」

頬に手を当て小首を傾げながら、含みのある物言いで二人に向かって微笑みかけてきた。
しかし彼女の言わんとすることを理解できなかったのか、シグナムは小首を傾げ、
そして隣で恥ずかしそうに頬を掻く沖田を見て難しそうな表情をする。

「シグナムさん」

一体何がどうなっているのか、シグナムが必死になって状況を把握しようと努めていると、
ミツバが柔和な笑みを浮かべて彼女の名を呼びかけた。
突然のことに驚くも、しかしシグナムは真摯な目でミツバを見る。

「不束な弟ですけど、どうかそーちゃんのこと、よろしくお願いしますね」

「……は?」

間の抜けた顔をしてシグナムが問い返す。
この地に守護騎士として降り立って約半年。
シグナムは実に様々な地球の文化に触れてきた。
それは娯楽分野においても言える事である。
例えばテレビのドラマとか。
例えば著名な作家が執筆した小説とか。
例えば"全年齢対象"なのに、お子様には見せたくない表現が混ざってる少女漫画とか。
そういったものにもたくさん目を通してきた。
そんな彼女の経験則から言えば、今ミツバが放った台詞は……そう、娘を嫁に出す親が言うべき台詞だ。
つまり、彼女は自分と沖田のことを……。

「は……いえ、その……」

予想だにしなかったミツバの勘違いに、シグナムは思わず動揺して胸の前でわたわたと手を振る。

「やだなァ、そんなんじゃないですよ姉上」

一方の沖田はというと、そう言って一頻り笑った後、声のトーンを落としてシグナムと銀時だけに聞こえるように、

「頼んまさァ、御両人。姉上は肺を患ってるんでさァ、ストレスに弱いんです。
 余計な心配かけさせたくないんでェ。もっとしっかり友達演じてくだせェ」

その言葉に少し意外そうな表情をし、シグナムはミツバの顔に目を向ける。
変わらず柔らかな笑みを浮かべる彼女の顔は白く美しく、そしてどこか儚げだった。
なるほど、色白いのは生来のものもあるだろうが、病気のせいでもあったのか、とシグナムは一人納得する。

「……なんでしたら、シャマルに診るように言いましょうか?
 ああ見えても、治癒魔法の技術はかなりのものですが……」

親切心からそう言ってみるのだが、しかし沖田は小さく顔を横に振り、

「お気持ちはありがてェんですがね。アレルギーなんですよ、姉上。
 治癒魔法も、姉上にとっちゃ毒にしかならないんでさァ」

「そう……なのですか」

申し訳なさそうにシグナムは僅かに俯く。
シャマルの医療技術は、贔屓目抜きにしてもかなりのものだ。
それは永きに渡って共に戦ってきたシグナムが身をもって経験したことであるし、
何より彼女も守護騎士の一員。
生半可な能力では、周りに示しがつかない。
しかし彼女の類稀なる技術力は、あくまでも魔法の利用を前提としたもの。
それが一切合財使えないとなると、せいぜい『腕の良い町のお医者さん』レベルである。
いくらシャマルでもメスを持って肺の手術を、なんてことは出来ないだろう。

「……ん?」

少しばかり不憫に思い、再び顔を上げてミツバを見る。
異変に気付いたのは、その時だ。

「……アレ? ちょっとお姉さん何やってんの? ねェ」

いち早くその異変に気付いた銀時が、恐る恐るミツバに声をかける。
今、ミツバの目の前にはパフェとあんみつが一つずつ並べられている。
自分達の手元にあった、まだ手を付けられていないそれをいつの間にか持っていったのだろう。
ミツバは笑みを浮かべたまま袖の下に手を入れ、なにやら赤い液体の入った小瓶を取り出し、
そして何の前触れも無く、中に入った液体を勢いよく目の前の甘味にふりかけ始めた。
一体何なのだ、あの液体は。
銀時とシグナムは目を凝らし、瓶の内容物を見極めようとする。
ミツバが手にした瓶からチラチラ覗くラベルに書かれた文字。
それは……。

「あ、姉君様ァァァァァ!!?」

「それタバスコォォォォォ!!!」

二人は思わず絶叫する。
そりゃそうだ。
一体どこの世界に、甘味にタバスコをブチ撒けて食す人間がいるというのだ?
しかしミツバはさも当然のように、

「そーちゃんがお世話になったお礼に、私が特別おいしい食べ方をお教えしようと思って。
 辛いものはお好きですか?」

「いや、その……どちらかといえば、あっさりとした和食のほうが……」

「というか、辛いも何も……本来辛いものじゃないからね、コレ」

震える声で二人は応対をする。
ここでイエスと言ってしまえば、間違いなくこの珍妙な甘味を食わされることになる。
なんとしてもそれだけは避けたいのだが……遠回しにやんわりと断る銀時に対し、
シグナムが直球でノーと言ってしまうのはやはり文明の違いなのだろう。
真っ向から嗜好を否定されてしまったミツバは、そのことがショックだったのか突然咳き込みだし、

「やっぱり……ケホッ、嫌いなんですね……そーちゃんの友達なのに……」

「好きですよね? 御両人」

(友達関係なくね!?)

完全に目の据わった沖田が銀時の首に刀を押し当て、そしてシグナムの頭にバズーカの砲口を押し付ける。
今までに無いタイプの人間との接触に、二人はタジタジである。
下手を踏むと取り返しのつかないことになってしまいそうだ。
しかしこのまま黙っていても事態は好転しない。
ひとまず場を取り繕おうと、二人は必死になって弁解を始める。

「ああ、いやその! き、嫌いではないですよ! 嫌いでは!」

「アハハ……そうだな、アレだな。好きかも、そういや……。
 で、でもアレだよ、俺達もうデザート二杯も食っちゃったから……」

「そ、そうですね、さすがにもう胃に収まりきらないというか……」

と、シグナムがそこまで言ったその時だ。
ミツバが苦しそうに胸を押さえたかと思うと、突如として激しく咳き込み始めたのだ。
それはもう、周りの客が皆一斉にこちらを振り向くぐらいの激しさである。

「旦那ァァァァァ!!」

『みっ……水を用意しろォォォ!!』

さすがにコレはただ事ではない。
鬼のような形相をして、銀時とシグナムはスプーンを構える。
しかし。

「ゲホぉ!!」

「飲むなってかァァァァァ!!」

まるで完全に見計らったかのようなタイミングで、ミツバが勢いよく赤く粘り気のある液体を吐き出し、
席から崩れるように床に倒れ伏したのだ。
遠巻きに事を見守っていた客達も、さすがにこの事態は想定外だったのか皆ギャーギャーと声を荒げて大騒ぎを始める。

「姉上ェェェェェ!!!」

「店長ォォォ!! 救急車! 救急車を呼んでください!!」

沖田は必死な表情でミツバを抱き起こし、シグナムは大声で店舗の奥へがなりたてる。
そして一方の銀時は何をしていたのかというと、

「んがァァァァァ!!!」

何を血迷ったのか、タバスコまみれになったパフェに喰らいついていた。
たったの一口でパフェを喰らい尽くした銀時は、しかしそのまま動こうとしない。
否。
よく見れば、小刻みに身体を震わせていた。
そして一瞬、銀時の目が大きく見開かれたかと思うと、彼は大きな奇声を上げてその場で悶絶をし始めた。
ほぼ一瓶のタバスコを一気食い。
一般的に辛い物好きと呼ばれる人間でも耐え切れないであろうこの荒業に、超甘党の銀時が堪えられるはずも無かったのだ。
しかし彼のこの捨て身の行為が現状を打破できるのかと問われれば、そういうわけでもなく。
立ち上がり、まるで火山の噴火のような雄叫びを上げる銀時をほっぽりだし、沖田はミツバの身体を支え、手を握る。

「姉上! しっかりしてくだせェ姉上!!」

「あ、大丈夫。さっき食べたタバスコ吹いちゃっただけだから」

沖田姉弟を除くその場に居た全員は、当然のごとくズッこけた。
盛大な音と共に食器が舞い飛び、人々が床に頭を打ち付ける音が店舗内に響き渡る。
特に銀時のコケかたは見事の一言で、コケた拍子に目の前のテーブルを真っ二つに叩き割ってしまっていた。

「……こりゃ今日は赤字だな……」

レジから事の成り行きを見守っていた恭也は、額に手を当ててそんなことを一人ごちるのであった。